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第10話 元悪女は、決着をつける(3)


 真琴との面会から数日。時哉から連絡があり、紗希と昇吾は彼の案内で宮本家を訪れていた。


「はじめまして。宮本優珠と申します。この度は、我が夫が」


 深々と頭を下げようとする優珠を制し、紗希は首を横に振る。


「こう言っては何ですが、あなたが謝罪することの重みを知っておいていただきたいです。宮本家家長の妻が謝罪する、その意味を」


 紗希の言葉にハッとした様子で、優珠は姿勢を正す。


「……真琴さんに聞いていた通りですね。紗希さんは、本当に、琴美さんにそっくりだわ」


「以前、青木静枝さまにも言われました」


「そうでしたか。実は、琴美さんと私は同級生なのです」


 今度は紗希が驚かされる番だった。優珠はイタズラが成功した子供のように小さく微笑むと、紗希に言う。


「当時から、総一郎さんや俊樹さんと交流がありました。あの時から何もかもが変わってしまいましたが……あなたのことを琴美さんなら、きっと誇りに思うでしょう」


 紗希の胸のうちに静かな喜びが満ちていく。母を知る優珠に言われると、嬉しさが増した。


「今日は、私がお会いしたかったのも大きいのですが。真琴さんの今後についても、お伝えしておこうと思って」


 思わず紗希は身を乗り出した。あの面会の後、真琴はどのような選択をしたのだろうか。考えてみても、想像もつかない。


 優珠は時哉に目配せをする。時哉がすぐさまいくつかの封筒を持ってきて、目の前の机に並べた。


 紗希と昇吾が覗き込む。それは、華崎和香から、真琴に当てて出された手紙の数々だった。


「あの後。施設に和香さんからは、幾度も手紙が来ました。差し入れが来たこともあります。和香さんにとって真琴さんは、本当の娘、そのものなんです」


 彼女は恥ずかしそうに顔をうつむかせた。上質な着物に皺が寄るほど強く、優珠は自身の体を抱きしめる。


「私は、一度たりとも、真琴に手紙を出さなかった。総一郎さんに良いように使われていると分かっても、真琴を助け出そうともしなかった。私はただ、ただ、産みの母であるという事実に甘えていただけなのです」


「真琴はあの後、自分が誰に対して『見てほしい』と望んでいたのか気づいたと言っていた。彼女がずっと求めていたのは、血のつながりじゃない。母親からの愛情だったんだ」


 手紙を見ながら時哉が言った。紗希は大きく息を吐いた。


「私たち、蘇我家のために懸命に尽してくださった和香さんだからこそ……真琴さんにとっては、辛いことばかりになってしまったんですね」


「……おそらく」


 時哉は辛そうな声で言った。義理で血がつながっていなかったとしても、自分のためにと行動してくれたのは和香だけだった真琴のことを思うと、彼はたまらない思いになったのだ。


 自分が過ごしてきた環境と真琴の生活を比べることはできない。だが、家族を大事に思う時哉だからこそ、真琴の気持ちを思うと切なかった。


「ただ、悪い知らせばかりじゃない。真琴は……和香さんとやり直せるように、一度海外へ出向くことになった」


 昇吾がホッとした様子で頷いた。


「そうか。国内だと誹謗中傷が増えるばかりだろう。一度海外に出て、ある程度、ほとぼりを冷ますのも悪くはないだろうな」


「もちろん真琴の行動で被害を受けた人々には、徹底的に宮本家が救済措置をおこなう。真琴もいずれは、対応の輪に加わってもらうことになるだろう」


「それなら。青木家としても、何も言うことはない」


 自分を支えてくれた幼馴染がやり直そうとしていることが、昇吾には嬉しかった。その喜びを感じたのか、紗希がそっと寄り添う。


 彼女が何を考えているのか聞き取ろうと意識を集中させたが、昇吾には何も聞こえてこなかった。


(……やはり、本当に力を失ったんだろうな、俺は)


 だがそれでもいいと、昇吾は思っていた。聞こえてくることが大切なのではない。むしろ重要なのは、これからも紗希がそばにいてくれること、ただそれだけだった。


「本当に、よかった……」


 紗希は心の底からそう告げた。前世では考えられなかったことだと、昇吾にどう言えば伝わるだろう。


(あら? 昇吾さんは、心を読み取れるはずじゃ……)


 昇吾をじっと見つめるも、彼は何も言わない。まさか、と紗希は思う。昇吾はもしかして、もう自分の心の声を聞きとれないのではないか。


何とも言えない、複雑な思いがした。



===



 5月10日。


 その日。2人で暮らすマンションに帰りついてすぐ、紗希は夕食の用意に取り掛かった。昇吾はどこかへ食べに行こうと提案したが、紗希はどうしても2人で話したいと思っていた。


 昇吾にまだ打ち明けていないことが、刻一刻と近づいてくる。


(本当なら……私は、今日、死んでしまう)


 冷凍シーフードミックスを使った春雨スープ。あっさりと仕上げたレモンソースのサラダ。それから鶏肉の南蛮漬け風。


 手際よくテーブルに料理を並べ、紗希は昇吾と向かい合って座る。


 日常生活をおくることで、紗希は気持ちを落ち着かせていた。だがそれも、もう、うまくいきそうにない。


「……聞きたいことがあるんだろう?」


 すぐさま切り出した昇吾に対し、紗希は何度も頷いた。想いが伝わる状況に対し、自分が安心感を抱いていたことを改めて自覚する。


 ところが。


「と、いう予想をしたんだが、当たっているか?」


 昇吾がそう切り返してきて、紗希は自分の顔から血の気が引くのを感じていた。二度目のチャンスを与えられたきっかけにして、自分を助けてくれた、昇吾の心を読み取る力。それが失われてしまった現実を突き付けられ、恐怖が込みあがる。


 ここからまた、運命が元に戻ってしまうのではないか。


 そんな不安に苛まれる自分が嫌だった。真琴に偉そうなことを言っておきながら、ちっとも解決していない。


 不安がる紗希の表情に、昇吾は尋ねる。


「紗希。教えてもらえないか、何を怖がっているのか」


 戸惑いながら、紗希はテーブルに視線を落とした。魔法みたいにすべてが解決することなんてないのだと、改めて思いながら。



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