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 紫雲英げんげ榠樝かりんを見詰めたまま動かない。


 その真意を探ろうと、深く深く覗き込んでくる。

 榠樝は少しだけ気まずげに睫毛を震わせ、吐息を零した。


「私では王配に相応ふさわしくないという判断か」


 榠樝は首を振っていなを告げる。


「いや、そうではない。現時点で一番相応しいのが紫雲英だ。だからこそだ」


 榠樝は紫雲英を真っ直ぐに見返した。


 見つめ合って視線を逸らさず、じっとお互いの眸の奥を覗き込む。

 一滴のやましさも無く真っ直ぐに。


 先に口火を切ったのは紫雲英。


「何故山桜桃を?」

「理由は多々ある」


 榠樝はちろりと舌を出し、少し唇を湿した。


「どこから離せば誤解が無く伝わるかがわからないな……どうしたものか」


 まつりごとのことならば、こうした心情のことでなければ。

 打てば響く間柄。だがお互いに繊細な心情を表すのが苦手で。


 似ているからこそ却って伝わりにくいこともある。


 口元に手を遣り、榠樝が唸る。

 紫雲英は辛抱強く待った。


「仮に、」


 榠樝がゆっくりと唇を開く。


「あなたは王配で無くとも、私に二心ふたごころ無く仕えてくれるだろう」

「当然だ」


 間髪入れぬ、迷いの一切無い返答に榠樝が苦笑する。


「そういう所だ。だからこそ候補から外す。王配の座をちらつかせなくとも、あなたは確実に私の味方で居続けてくれるだろうから」

「なるほど。そこは納得した。だが何故山桜桃を?黒鳶の姫だからか」


 菖蒲と黒鳶が結べば、それは新女王の大きな後ろ盾となる。


「それもある。紫雲英は山桜桃を好いているだろう?」


 紫雲英が眉を寄せる。


「好いてはいるがそれは別に女性として好ましいとかそういう気持ちではないぞ」

「知ってる」


 苦笑を深め、榠樝は長く吐息した。


「あなたも私もまだ、恋を知らない。たぶんね」

「そう、だな」


「もしかしたら、私はいずれあなたに恋をするかもしれない。わからない。だから、この決定を後悔する日が来るかもしれない。まだ、本当に……わからない」


 そう思うと、少しだけ怖い。


「あなたは、山桜桃を妻に迎えても、きっと大事にする」


 紫雲英は少し言葉を探した。視線が何かを求めるように揺れる。


「喧嘩は……するだろうが、そうだな。妻は大切にすべき存在だ」


 それが榠樝でなくとも。


「それが山桜桃でも」


 誠実に。

 紫雲英は妻となった女性を大切にするだろう。


「そうだな。それが山桜桃でも」


 榠樝は少しだけ震えた。


「あなたが私以外を妻に迎えるのは、たぶん、寂しい。でもきっと、受け入れられる」


 紫雲英は少しだけ、ほんの少しだけ苦く思った。


 そう。榠樝は受け入れるだろう。

 そして紫雲英も榠樝の意を汲み、受け入れるだろう。


 王配の座に未練が無い訳ではない。

 唯一無二の座だ。


 そしてそれだけでなく、榠樝をその手に抱くことのできる唯一の人。

 嫉妬が無いと言ったら嘘になる。


 だが、紫雲英には自身の感情の機微よりも、榠樝の願いを叶えることの方が重要だった。


「手を」


 紫雲英は手を差し出した。


「手を取っても良いだろうか」


 榠樝は差し出された紫雲英の手に自分の手を乗せる。

 紫雲英は榠樝の手をそっと押し頂いて、誓う。


「私が誰を妻に迎えようと。貴方が誰を婿に迎えようと。私の心は変わらない」


 そこで紫雲英は少し言葉を選んで、詰まった。


「いや、その相手を少しはねたましくも思うだろうし、忌々いまいましくも思うだろう。うとましいと思うかもしれない」


 榠樝はかつてなく、読めない表情を浮かべている。


 笑っているような、怒っているような。泣き出しそうな表情にも見える。

 紫雲英にもその表情の意味は読み解けない。


 優しい気持ちが心に溢れる。

 これが愛しさなのかもしれない。


 けれど。


「けれど私、菖蒲紫雲英は終生変わらず、貴方にお仕え申し上げることを、ここに誓う」


 この気持ちが何であれ、己の立場がどうであれ。

 紫雲英は榠樝を傍で支えることを決めた。


 榠樝ごと。

 いずれ迎える榠樝の婿ごと。


 守ってみせる。支え抜いてみせる。

 生涯を懸けて。

 友として。一の臣として。


 隣を歩くのではなく、その背を支え、守る。


 榠樝はふわりと微笑んだ。花が綻ぶような表情だった。


「ありがとう。その誓い、終生忘れぬ」


 紫雲英はきゅっと榠樝の手を握って、離す。

 何故だか泣きそうだなと、思った。

 鼻の奥がつんとする。


 誤魔化すように口にしたのは山桜桃のこと


「だが、山桜桃がうんと言うかな」


 紫雲英の台詞に榠樝は底の知れない表情で小首を傾げた。


「王命と言えば従うだろう。けれどそうはしたくない。紫雲英にも、山桜桃の気持ちを聞いてほしい」

「山桜桃の気持ち?」


 榠樝は紫雲英を見、頷いた。


「私が代わりに言ってはならない。大事なことだから」






 山桜桃のつぼねの前、紫雲英が立ち止まる。


「邪魔しても良いだろうか」


 山桜桃と堅香子かたかごとは会話を止めて顔を見合わせた。

 堅香子が頷き、席を立つ。


「どうぞ、紫雲英どの」


 山桜桃が促し、堅香子が御簾を押し上げ外に出る。


「もういいのか?」

「ええ。わたくしの用は済みました」


 ごゆっくり、と堅香子はそのまま去ってしまって。


「お入りになって。そのまま突っ立っていては邪魔ですわ」


 山桜桃に促され、紫雲英は局に入った。


「主上に言われて来ましたの?」

「うん。貴方の気持ちを聞いて来いと」


 迷いなく頷く紫雲英に山桜桃は思いっ切り苦笑した。

 そういうところだ。


「朴念仁ですわ」


 紫雲英がむっとしたように眉を寄せる。


 ああいけない。

 喧嘩を売りたいわけでは無いのだ。


 山桜桃は首を振る。


「私と貴方ではすぐに喧嘩になってしまいますのにね」

「そうだな。だが菖蒲と黒鳶とが結べば、主上の後ろ盾として申し分ない力になるだろう」


「貴方は」


 山桜桃は苦く吐き出した。


「それで良いのですか。王配として主上の隣に在りたくはないのですか」

「隣に立つよりも、背後で支える方が主上の御為になる。その方が役に立てる」


 紫雲英の迷いの無い台詞に、山桜桃は段々腹が立って来た。

 鼻の頭に皺が寄る。


「貴方は妻が私でも宜しいの?」


 急速に不機嫌になった山桜桃に戸惑いながら、紫雲英は頷く。


「知らぬ相手では無いし、主上を支えるという目的も同じだろう」


 わかってない。


「私の気持ちはどうでも宜しいのね」


 わかってくれない。

 いつだって一番大切なのは榠樝のこと。


「山桜桃?」


 山桜桃は忌々し気に拳で床を叩いた。


「本当に朴念仁ですわね。私は貴方を殿方として好いておりますのよ」


 ぽかん、と紫雲英は山桜桃を見詰める。

 想定外のことを言われて、理解が追い付かないのだろう。


 間の抜けた表情に山桜桃は遂に笑い出してしまった。

 笑いながら涙が滲んでくる。


 ああ、どうして。

 こんな厄介な相手を好きになってしまったのだろう。


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