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 遣使大傅、月白凍星つきしろのいてぼしより密書。

 その内容に榠樝かりんはひどく悩んでいた。


「どう思う、関白」


 五雲国の龍脈が涸れ、神々の加護は完全に離れる未来が伺える。

 待つものは衰亡。


 だが、それを五雲国王、玄秋霜げんしゅうそうに告げるべきか否か。


 蘇芳深雪すおうのみゆきは重々しく吐息した。


「今はまだ、何とも。しばらく様子を見るしかありませんな」

「……ううむ」


 夢で直に伝える分ならいいだろうか。

 私的な会話として、警告する。


 そう考えて、だが榠樝は首を振った。

 そうだとしても、告げる機会を窺った方がいい。

 時宜を得なければ虹霓国よりの悪意とも取られかねない。


「そして、こちらが五雲国しん州、つまりは元蜃国よりの親書にございます」


 そっと差し出された文箱。

 今度こそ榠樝はざぶとんに突っ伏した。


「お気を確かに」

「……大事ない」


 いささか投げ遣りな深雪の台詞に、榠樝はぐったりとうつ伏したまま袖を振った。

 一世一代の大嘗祭おおなめのまつりを前に、外交問題まで降って来るとは。

 それも複数。


「主上は大嘗祭を第一にお考えください。動けるのはそれからでございます」


「どうあっても来年になるか。しかし、それからと言ってもな。十二月もだが、一月など本っっっ当に行事ばかりだぞ」


「御意」


 当然のことながら王である榠樝は多忙を極めるが、関白である深雪などそれ以上だ。

 過労死するのではないかと、こっそり心配している。


 だが五雲国のことを凍星に丸投げするわけにもいかない。


「頭の隅には常において置かねばならんな」

「ご無理はなさいませぬよう。主上の代わりはおりませぬ」


「そなたの代わりも居らぬぞ、関白」

「いざとなれば関白なぞ、どうにでも替えが利きまする。ですが王はそうは参りませぬ」


 どこか自嘲を込めた笑いに、榠樝は溜め息を吐いた。


「違うぞ、蘇芳深雪」


 わかっていないのはこの男も同じか。


「関白ではなく、そなたの代わりが居らぬのだ」


 目をみはった深雪に、畳み掛けるように榠樝は告げた。


「蘇芳深雪は一人だけ。代わりは居らぬ。そう心得よ」


 その言葉に、暫く硬直していたように思える。

 深雪はゆっくりとこうべを垂れた。


「勿体なきお言葉、痛み入りまする」

「そなたが居ないと朝廷は回らぬ。だが少しは休め。このところそなたが内裏に居らぬ日は無いと聞いたぞ」


「生憎と暇がありませぬもので」

「一日くらい仮病を使え。物忌みでも行き触れでもなんでもいい。とにかく身体と頭を休ませよ」


「畏れながら主上こそお休みになられてはおられぬようでございますが」

「私はいいのだ。若いからな」


 榠樝の言い訳に深雪は半眼になった。

 いいわけなかろう。

 だが押し問答をしている場合ではない。


「では主上。異国のことを頭の片隅に置きつつ、大嘗祭のこと、しかるべくお取り計らいくださいますよう、お願い申し上げます」


「うむ。心得た」




 凍星よりの密書にあったのは五雲国の衰亡だけではない。

 五雲国における虹霓国排斥派のことも書かれていた。


 無理もないと思う。

 併合された国々から見れば、虹霓国だけ特別扱い。

 不満も出よう。当然だ。


 榠樝は蜃州よりの親書をめくり、溜め息を吐く。


 五雲国より独立の後押しを頼みたい。

 要約すればそんな所だ。

 虹霓国が国を保ったまま五雲国と同盟関係を結んだことにより、希望を持ったのだろう。

 蜃国も再びの独立を、と。


 五雲国が衰亡すれば、彼の地の者は虹霓国に意識を割く余裕は無くなるだろう。

 次に建つ国が何であれ、数年の内に平穏が手に入るとは思えない。


 五雲国を復興させようとする者、新たな国を興そうとする者、そして支配下から抜け出そうとする諸所の属国。


 乱世が到来する。


 虹霓国の益も、そこにはあるだろう。


 けれど乱世の波は五雲国内のみに留まりはしない。

 諸国を巻き込んだ混乱が起きる。


 虹霓国のみが高みの見物というわけには、ならない。


 国内には、それも王都天雀てんじゃくに、五雲国の遣外館が在るのだ。

 放り出して終いとはならない。


 ソナムらは、光環国の者らはどう動くだろう。

 再びの戦は望まぬと言っていたが、五雲国が滅びれば話は別だろう。

 光環国を始めとした、北西諸国の再興。


 北方も、荒れる。

 虹霓国を混沌とした大波が襲うだろう。


 榠樝は両手で目を覆った。


 戦は多くの者が死ぬ。

 起こしたくない。

 始めるのはとても簡単で。

 だが、止めるのは酷く難しいのだと、博士らが言っていたのを思い出す。


 そして止まった後も、長きに渡り禍根を残す。

 負の連鎖。


「……止めないと」


 だが、今榠樝に打てる手はない。

 時期尚早。様子を見るのだ。

 早過ぎても駄目。遅すぎても駄目。

 機を見て、告げる。


「でも、機って何時いつよ」


 誰も教えてはくれない。教えられるはずもない。

 神のみぞ知る。或いは神すら知らないかもしれない。


 その時は己自身で見極めなければならないのだ。


ばくの糸が、四種の神器があったら」


 虹霓国に伝わる四種の神器。

 神代に失われたというそれはあけの矛、くらの盾、けんの鏡、ばくの糸の四つ。


 明の矛は貫けぬものの無いという矛。

 暗の盾は防げぬものは無いという盾。

 この二つを打ち合わせると、天変地異が起き、世界は無に返ると言われている。

 顕の鏡は何をも映し出す鏡。過去も未来も、運命をも映し出す。


 そして、漠の糸。

 可能性を紡ぐ神器。


 運命、未来、時の流れをも繋ぐという。運命を紡ぎ、空間を繋ぎ、未来を示し、形作る。

 進むべき道を教えてくれる。また、己の思う未来を形作る手伝いをしてくれるという。

 糸を結び合わせると異なる場所や時代とを繋げるという神話もある。


 漠の糸があったなら、と秋霜に話したこともあった。

 顕の鏡が不幸な未来を映し出したとしても、漠の糸があれば新たな未来を形作れる。


 榠樝はぱん、と両手で頬を叩いた。


 無いものねだりをしていても仕方がない。

 結局、ひとつひとつ己の手で掴み取っていくしかないのだ。


 間違えぬように。

 選択を、掴む糸の端を、間違えぬように。



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