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 関白、蘇芳深雪すおうのみゆきは悩んでいた。

 悩んでいることに苛立っていた。


何故なにゆえに私が五節舞姫ごせちのまいひめの選定をせねばならん。躑躅つつじ、当主の役目であろうが」


「ですが私では如何いかんともしがたく。兄上のお決めになられたことならば姫らも素直に聞きましょう」


 躑躅がなんとか宥めに掛かるも、機嫌は悪いままだ。

 蘇芳家よりの舞姫を誰にするかで、家中が揉めに揉めている。


 候補に挙がっているのが紅雨こううの妹の花笠はながさ、従妹の姫百合ひめゆり。そして乳母子めのとご退紅木槿あらぞめのむくげの三名だ。

 どの娘も選りすぐりの美少女で、尚且つ気も強い。

 我こそがと譲らないし、当主の躑躅の言うことなど聞いてもくれない。


「誰が出た所でそう変わらん。蘇芳の娘は皆美しい」


 深雪の言葉に娘たちはぱあっと顔を輝かせた。


「籤でも引いて決めればよい。揉めるな」


 言い捨てて深雪は席を立った。


「兄上!」

「案は出した。後はお前が決めよ」


 躑躅に言い置いて、深雪は足早に内裏へと戻ることとした。

 危急のことと聞いて、慌てて帰って来てみれば、これだ。


「まったく、何が危急か」

「そうとでも申し上げねば兄上、ずっと内裏にお泊りではありませぬか。お身体を壊します」


 躑躅なりに心配してくれているらしい。

 だが。


大嘗祭おおなめのまつりの一連の行事が片付かぬことには、私に暇などない。そう心得よ」


 何しろ行事が目白押し。

 次は大嘗宮だいじょうきゅう悠紀殿ゆきでんでの鬼の歌舞の予行がある。

 金花鬼きびたきおにの舞予行演習である。


 予行演習であるので悠紀殿は使用せず、紫宸殿ししんでん前庭で行われる。


 本来関白が立ち会うことなどないのだが、警備の上で気になることもあり顔を出して置きたかった。

 悠紀殿で実際の警備はまた違うものになるのだけれど、何もせぬよりはずっと良い。

 主基殿すきでんで行われる巫鳥奏しとどそうの予行は時間が空かないので、左大将である銀河ぎんがに任せる。


 鬼に土蜘蛛。まつろわぬ民たちの末裔すえ

 八〇年前の大戦を最後に、朝廷に服従を誓った者たち。


 再び敵対することはあるまいが……。


 深雪は牛車の窓から大路を覗いた。活気あふれるさまは喜ばしい。


 慎重を期して悪いことは無い。


 念には念を。完璧を目指す。

 国家の泰平と民の安寧を、その背に負っているのだから。


 十六歳の女王の、華奢な肩に掛かる重みが、ほんの僅かでも軽減されればいい。

 決して口には出さないけれど。

 深雪は深く国を思い、榠樝を思っている。




 弘徽殿こきでんには深雪の直盧じきろ(執務室でもある部屋)があった。


 直盧に戻った深雪は、僅かの間に溜まった書状を片端から開いていく。

 早々に済ませて左近衛陣座へ行かねばならない。


 陣座は宜陽殿ぎようでん西庇、紫宸殿東南に在る。

 要するに紫宸殿前庭に面しているので、そこから金花鬼の舞の演習を見る予定だ。


 だというのに、細々とした、悪い言い方をすれば些細なことでも、深雪に可否を問う者のなんと多いことか。

 そんなことは自分で決めろといいたいところだが、そうもいくまい。

 豊明節会とよのあかりのせちえでの、五雲国大使らの席も決めねばならないし。


 五雲国と良い関係を維持していくために、五雲国大使らは厚く歓待せねばならない。

 かと言って下手したてに出るわけにもいかない。

 付け上がらせる隙を見せず、且つ丁重に扱い、こちらの掌の上で、そうと気付かず踊らせ続けねば。


 深雪はふと唇を綻ばせた。

 榠樝も同じようなことを言って、頭を抱えていたのを思い出したのだ。


 書記官が、珍しいものを見たと目を瞬く。

 視線に気付いたが、深雪は知らん振りを貫いた。

 書記官は遠慮がちな咳払いをして。


「関白さま。そろそろお時間かと」


 書記官が促す先に、弁官が遣って来るのが見える。

 陣座じんのざへの迎えだろう。


「後は任せる」

「御意」






 陣座には左右近衛大将らが揃って居た。蘇芳銀河ぎんが藤黄南天とうおうのなんてん


 陣座なのだから当たり前のようだが、実は多忙を極める二人だ。

 揃って陣座に居ることは少ない。

 というよりまず無い。


 特に南天は征討軍のこともあり、彼方此方あちこち飛び回っている。


「珍しいな。揃って金花鬼の舞の下見か?」


 二人が揃ってこうべを垂れた。


「私は兄上をお待ちしておりました。右大将もお耳に入れたき儀があるとかで」

「警備の件と、遣外館のことで少し」


「不測の事態か」


 顔を険しくする深雪に南天が首を振る。


「いえ、そうではなく。五雲国大使を始め、とにかく浮かれてるみたいで。宴席で羽目を外すんじゃねえかと心配だって報告がありました」


 深雪が頭を抱えた。


 神秘的な祭祀に参加できるとあって、五雲国の面々はひどく舞い上がっているらしい。

 祭祀といっても、主要なものは見せる訳にはいかない。

 虹霓国貴族であっても目にしてはならぬ秘事が多いのだ。

 内裏には立ち入らせず、また祭祀ではなく。

 大極殿での饗宴に、少しばかり参加してもらうだけなのだが。


「豊明節会の歌舞音曲を相当楽しみにしてるらしく。寧ろ自分たちも何か披露すべきじゃないかって、あちらからの打診が」


「丁重にお断りしろ」

「だと思ったんで一応の断りは入れておきました」


「助かる」

「や、また来るかもしれないですが」


 警備の件はここで話すのは少し都合が悪い。

 巫鳥、金花の里の者らを、今も朝廷側が疑っていると見られては困る。

 実際、隙を見せれば牙を剥かれるのではないかと思っているのだが、表に出す訳にはいかない。


 八〇年、守って来た平穏を揺るがしてはならない。


 目の前では金花鬼の舞の予行練習が行われている。

 都人の目から見れば、特異ともいえるだろう歌と舞。

 だが、力強く美しく、心を動かすものだ。


 国を、王を言祝ことほぐ歌が高らかに響く。


 本心からのものならば良いのだが、と深雪は思う。


 顔にちらとも出しはしないが、おそらくは銀河もそう思っているだろう。

 その辺りはよく似た性分の兄弟である。


 誰をも信用しないわけではないが、警戒心や猜疑心が殊に強い。

 蘇芳の特徴かもしれない。

 その代わり、一度懐に入れた者は、何があっても守り抜くのだけれども。


 ちらと南天に視線を遣れば、純粋に奏を楽しんでいるようだ。


 金花の者らに敵意や害意が感じられない証拠だろう。

 その辺りの気配に異常に鋭い男だ。まるで野生の獣の如く。


「こっちは大丈夫そうなんで、俺は行きます。んじゃ」


 ひらりと身を翻していく南天の背を見送り、深雪と銀河は顔を見合わせた。


「右大将が言うなら大丈夫でしょう。さとい男です」

「そうだな。では大嘗宮の具合を見てくる」


 大嘗宮の殿舎は悠紀殿、主基殿共に順調に造営されている。

 古来は十日間で、地鎮祭から竣工式まで執り行っていたというから正気ではない。

 現在ではひと月以上掛かる工程だ。


 挙句、儀式が終われば破却奉焼。


 勿体無い、などと思ってはいけない。

 虹霓国の王にとって一世に一度の祭祀である。


 大嘗祭のため、物が動き、人が動く。さすれば国が活性化する。

 体内を血が巡るのと同じこと。活発に動くのは望ましい。

 停滞すればそこから壊死していくのだから。


 大嘗祭は、王自らが農耕の収穫を神々に感謝し、山や川の静穏であることを願い、虹霓国とその民の安寧を祈念する。

 虹霓国を守護する神々の末席に、人である王が加わる儀式とも言われている。


 そも、神とは何ぞや。


 それを考え始めれば一生を費やすだろうことをふと思い、深雪はかぶりを振った。

 只人ただびととして。関白として、虹霓国女王の一の臣として。

 深雪は深雪に出来うる限りのことをするだけだ。


 今考えねばならないのは、最優先にすべきは大嘗祭の成功。

 万難を排し、遂行するだけである。



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