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 そんな折、成州では歴史的珍事が起こった。

 大寒波が大雪をもたらしたのである。


 春だ。

 他の州に比べ、成州の春は早い。


 だというのに。

 季節は逆戻りし、かつてない寒さを運んで来た。


 雪など見たことも無い人々が、呆然と立ち尽くす。

 寒さに耐えられるだけの衣服も無く、凍死するものが相次いだ。

 戦死した者たちを弔ういとまもなく、次々と人が死んでいく。


 絶望した成州を、更に地震が襲った。

 崩れ落ちる家屋。逃げ惑う人々。


 このままでは皆、死んでしまう。

 此処にあるのは絶望だけだ。




 そして成州以外の地でも異常気象が起こり始める。


 北方では夏日が続き、井戸が干上がった。

 水を求め、各地でいさかいが起こっている。


 かと思えば西ではかつて無い豪雨が降り注ぐ。

 洪水が起こり、人も家も流されて。


 途方に暮れる以外に何ができようか。



「これは神々の嘆きです。大地を血に染めたことを、神々が嘆き悲しんでいる」

「即刻祭祀を行うべきです。怨念を浄化し、荒ぶる魂を鎮めねばなりません」



 虹霓国の卜部たちが声を上げ、奏上。

 国王、玄秋霜げんしゅうそうにその言葉は届いた。


 だが、宰相会議は動かない。



 虹霓国使節団の神職たちは、今にも爆発しそうな怒りを抱えていた。

 こんなにも神の憤りを身近に感じたことは無い。

 いますぐにでも祭祀を行うべきである。

 できないのなら虹霓国へと帰国すべきだ。


「このままでは更なる天変地異が五雲国を襲いましょう。王都康安こことて壊滅するやもしれません」


 卜部の一人、木賊雛菊とくさのひなぎくは真っ青な顔で月白凍星つきしろのいてぼしに進言した。


「月白太傅たいふさま、真赭長官まそほのかみさま、浅葱次官あさぎのすけさま。手遅れになる前に帰国なさるべきです。ここは危ない。これ以上の穢れは人の身には耐えられません」


 神部の淡香久利うすこうのくりは、もはや立っているのさえやっとの有様。

 皆、ぐったりと顔を曇らせている。

 凍星は真赭万由三まゆみと浅葱佐々介ささげを見た。

 二人共厳しい顔で凍星の決定を待っている。


 ここで帰国すれば、虹霓国は五雲国を見捨てたと後ろ指をさされるかもしれない。

 だが、いずれ滅びる国に義理立てしても益は無い。


 口を開こうとしたその時、巫覡の裏葉小菊うらはのこぎくが飛び上がるように立ち上がった。

 傀儡子にんぎょうめいた動きで、小菊は凍星らの前に踊り出て。



「処刑はならぬ。これ以上の血はいらぬ」



 少女の口から零れた声は、低い男のものだった。


 神託。


「ならぬ。いらぬ」


 神職たちが慌ててひざまずき、こうべを垂れる。

 小菊はくるくると舞い踊り、糸が切れたようにぱたりと床に倒れた。


 小菊を抱き上げ、濡羽柏ぬればのかえが凍星を見上げる。

 他の者も皆、凍星を見た。


 凍星は瞼を閉じ、ひとつ息を吐く。

 腹は決まった。


「五雲国王に、申し上げて来る」

「お供致します」


 長官の真赭万由三、神部の狩安宿花かりやすのよみはなを供に、凍星は足早に麟徳殿りんとくでんを飛び出した。




 まさに宰相会議は白熱し、今にも苔星河の処刑が決されようとしていた。

 止める禁衛を振り切って、凍星らは会議に乱入する。


「無礼であろう。会議中であるぞ」


まことに以て仰せの通り。ですが火急の用件にございまして、どうぞ一時のお目溢めこぼしを頂きたく存じます」


 その場に膝をつく凍星に、鶯皚雪おうがいせつは眉を寄せた。

 普段の凍星なら、このような振る舞いをするはずが無いことは、この場の誰もが知っている。


 よく虹霓国の大輔。

 それが、皆が抱く月白凍星の印象だ。


 国王、玄秋霜は一つ咳払いをする。


「許す。申せ。何があった」


 凍星は顔を上げ、言上する。


「処刑はなりません」


 ただ一言。

 だが宰相たちの眉間に深い皺が刻まれた。


「内政干渉であるぞ」

「控えられませ」

「同盟国とえど、許されぬことかと」


 しかし。

 玄秋霜は怪訝そうに眉を寄せる。


「処刑はならぬと言ったな。何故、今処刑の話をしていたとわかった?」


 宰相たちがざわめいた。


 確かに。

 議題はこの場に居る七人と、書類を纏めた数名に、護衛の禁衛しか知らぬこと。

 それをどのようにして漏れ聞いたのか。


 そう問う前に凍星は告げる。


「神託がございました」


 ぞっとしたように宰相の一人が顔を引き攣らせる。

 人ならざるものを見るような、おぞましい目付きだった。


 神部、狩安宿花が顔を上げ、挑むように宣言する。


「処刑はならぬ。これ以上の血はいらぬ。男神おとこがみの託宣にございます」


 神の名乗りは無かった。

 だが、明らかな意志のある声であった。


 玄秋霜は眉を寄せ、鶯皚雪は口元を歪める。

 鶯宰相は王をまっすぐに見据え、言った。


「反乱の首謀者を生かせば、再びの戦乱の火種となりましょう」

「だが、託宣があったのだぞ」


「苔星河はただの罪人ではございませぬ。国家の大罪人ですぞ!」


 宿花は敢えて声を張り上げた。


「しかし、民の無念の象徴でもございます」


 この場でのわきまえぬ発言は、罰されるどころか、即刻の処刑もあり得る。

 凍星がひやりと背筋を冷やした。


 宿花の双眸は光り、此の世ならぬ所を見ているようだ。

 神威。

 虹霓国では稀に見る出来事だが、五雲国では奇妙な振る舞いの、頭のおかしい人物としか映るまい。


「ここでの者を処すれば、更なる神々の嘆きを招きます。これ以上の血を流せば、神々の嘆きは怒りへと変わる」


 静かではあるが、強い言葉。


 宰相のひとりが、気圧されたようにごくりと喉を鳴らした。

 鶯宰相は忌々し気に袖を振るった。


「神々が怒ったとして、何が起こるというのだ!」


 宿花は顔を上げ、宣言した。


「厄災が地を覆い、天は涙を流します。詳細をお望みであれば、卜占を致しましょう」


 玄秋霜は考え込み、鶯宰相ら一派はせせら笑う。

 宿花の言葉は、世迷言としか捉えられなかった。


「天変地異と反乱の鎮圧に何の関係があると云うのです」

「信じられませぬな」


 宰相たちは次々と宿花に言葉をぶつける。


「神々が本当に怒っているというのなら、その証を見せてみよ」


 鶯宰相が言い放つ。

 そして、その直後。


 大地震が康安を襲った。




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