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 五雲国ごうんこくに天変地異あり。

 虹霓国こうげいこくへの第一報は、当然の如く夢渡りの法だった。


「正式な使者はもう立たせたが、いつ着くかわからん。だが虹霓国の力が要る」


 玄秋霜げんしゅうそうは榠樝の手を取り頭を下げる。


「どうか助けて欲しい」

「すぐはからせる」


 榠樝の返答は間髪入れぬ速さで、却って秋霜は狼狽した。


 これまで無理難題ばかりを押し付けている五雲国であるのに。

 虹霓国は、榠樝は。

 それでも躊躇いも無く、助けてくれるという。


「とにかく祈れ。毎日毎晩ひたすら祈れ。それが一番大切だからな。荒ぶる魂よ、どうか鎮まり給えと心から祈れ」


 あれこれと考えを巡らせているのだろう。

 榠樝は一人百面相である。


 秋霜は思わず榠樝を抱き寄せていた。


「ん、どうした。大丈夫だ。できる限りの手は打つ」


 榠樝は秋霜の想いなど知らぬげに、励ますように背を叩いてくれる。

 体格はまるで逆だが、子供を抱く母親のようだった。

 肩に額を埋めて、秋霜は深く深く榠樝の薫りを吸い込む。


「前にも言っただろう。神は人の祈りや思い、願いにって立つ。だが五雲国にいて、それが著しく少ない。とにかく祈れ。それが第一歩だ」


 榠樝は秋霜の背をとんとんと叩きながら、あやすように呟く。


「取り敢えずは待て。すぐにも万端整えて、神職をそちらに派遣しよう。それまでは持ち堪えるのだぞ」

「持ち堪えられるだろうか」


 気弱な秋霜の呟きに、榠樝は力一杯秋霜の背中を叩いた。

 衣の下には手形がついているかもしれない程の力だった。


「痛い」

「当たり前だ。持ち堪えなくてどうする。そなたは王だ。五雲国を背負って立て。それが役目だ」


 榠樝は自分で叩いた背中をそっと擦りながら、深く溜息を吐いた。


「この場に関白が居てくれたら、諸々すぐにも手配ができるのだがな」

「他の男など呼びたくない」


 多少拗ねた響きに苦笑する。

 そういうことを言っている場合ではなかろう。


「呼びたくないってことは呼べるのか?」

「いや、できないが……」


「できないのなら仕方ない。できることをするまでだ。取り敢えず、今夜もまた術を使ってくれ。会議の結果を教えるから」

「わかった」






「……というわけでな」


 状況を手短にまとめ、関白蘇芳深雪すおうのみゆきに説明したところ、物凄い渋面になった。

 もありなん。


「人道に反することを申し上げますが」

「うん」


「のらりくらりと引き延ばせば、五雲国は滅びましょう」

「だろうな」


 榠樝と深雪は顔を見合わせて、二人揃って溜め息を吐いた。


「ですが見捨ててはおけませぬな。罪なき民草が数多あまた死ぬ」

「そういうことだ。月白凍星らを見捨てるわけにもいかぬ」


 深雪は少し目をすがめた。


「斬り捨てるならとうに遣って居られた」


 榠樝は微かに唇の端を引き攣らせる。

 五雲国のことか。それとも月白凍星のことか。


「なんのことだかわからんな」




 神祇伯、天藍木蓮子てんらんのいたびに陰陽頭、朱鷺尾花ときのおばなは、既に声を掛けられることを予期していたのだろう。

 呼ぶ前に控えていた。


 相変わらずの異能ぶりである。


「神祇伯より申し上げます。此度こたびのことはかつてなき災厄。従って神職の数がまるで足りぬと存じます」

「陰陽頭より申し上げます。五雲国より人を招き、の国の神職を増やすことをお勧め致します」


 関白が眉を寄せた。


「それは神職の留学、育成を行うという意味で良いのか?」

「御意」


「長丁場となりましょう。一年、二年、あるいはもっと掛かるやもしれませぬ。ですが全国くまなく祭祀を行わねば、五雲国の鎮魂慰撫は成りますまい」






「というような話になっている。そちらの都合はどうだ?」


 ざっくばらんな榠樝の話しぶりに、秋霜は唖然とするしかない。

 同盟国とは言え、こちらのツケを虹霓国が一時的にせよ払うということだ。


「ひとつ貸しだ。後々返してもらう。だが、とにかく早急にそちらの足場を整えよ。こちらの人員はすぐに着くとは言えぬ。距離があり過ぎるのだ。海も越えねばならぬし。ええい、面倒くさい。ばくの糸があれば……。いや、無いものねだりしても仕方ないのだが、歯がゆいな」


 そうだ、と榠樝は袖を探った。

 もしかしたらと持って来たのだ。


あか御統みすまるという神器がある」


 榠樝は、赤々と燃えるように輝く玉の首飾りを袖から取り出した。


いわれは色々あるが、世を照らす力を秘めている。陽の力と火の力とがある。そなたに貸そう。期限は決めぬが貸すだけだ。後で返せよ。何年経っても構わんから」


 秋霜の目が、零れ落ちんばかりに見開かれた。

 榠樝は御統を差し出したまま、待っている。


「そんなに簡単に渡して良いものでは無いだろう。神器だぞ。他国の王においそれと貸すか?というか、そもそもうつつのものを持って来れたのだな。どうやったのだ?」

「物は試しだ。袖に入れて寝た。あとものすごく祈った」


 秋霜は流石に唖然とした。


「ぞんざい過ぎるぞ」

「傷付けぬよう絹で巻いた」


 榠樝は得意げに胸を反らせたが、そういう問題では無いと思う。


 秋霜は手を伸ばすのを躊躇う。

 それはそうだ。

 溢れる神威に身が震えている。


「王たる者の覚悟を見せよ」


 榠樝は無情にも言い放った。


「虹霓国からの神職が到着するまで、そなたが場を鎮めねばならんのだぞ。これを使え。使いこなして見せよ」


 秋霜は震える手を伸ばし、御統に指先を触れる。

 ぱちりと火花が散った気がした。


 痛みに一瞬目の下を引き攣らせはしたが、秋霜は確かに明の御統をその手に取った。


 榠樝から秋霜へ。

 神器は確かに手渡された。


「何年かかるかわからんが、とにかく全国行脚して回れ。祭祀をせよ。鎮魂慰撫を心掛けよ。五雲国は神の声が届きにくいと仰せだったぞ」


 秋霜は少し、首を傾げた。

 仰せ。

 榠樝が敬語を使う相手が、虹霓国に居ただろうか。


「誰が」

「神が」


 しばらくの沈黙が落ちた。


「……………神が?」

「うん。夢に出て来てな。五雲国は祈りが足らぬと嘆いておられた」


「……………………」


 神とはそう簡単に夢に出て来るものだろうか。

 胡乱な眼差しになってしまったが、榠樝が嘘を吐く理由が無い。益も無い。


「……………………」


 口を開け、閉じ、また開けて。

 結局何も言えずに唇を引き結んだ。

 秋霜は手にした明の御統に視線を落とす。


 煌々と輝くその神器は、脈打つように煌めいていて。


「やれるだけ、やってみる」


 うんうんと頷き、榠樝はぽんと手を叩く。

 忘れていた。


五雲国そちらから才のある者たちを虹霓国へ留学させぬか?神職の養成をしてはどうかという意見があってな」

「なるほど、借りるだけではなく増やせということか」


「使える手は多い方がいい。異能もコツを掴めば使いこなせる者も居よう」

「ありがたい」


 榠樝は秋霜を真っ直ぐに見つめた。

 視線が、まるで射抜くように秋霜を貫く。


「余計なことと思うが、敢えて言うぞ。神の声と同じくらい、人の声も聞け。此度の厄災は、神と人との嘆きが呼んだ。誰もが苦しみ悲しんでいる。声を聞き届けよ。王の役目を果たせ」


 秋霜は泣きそうに顔を歪めた。


「やはり、そなたしか居ない」


 声が震えた。

 心が震えた。


 后に迎えるなら、榠樝をいて居ない。

 こんなにも有能な相棒は居ない。

 他の誰がこれほどに秋霜を支えてくれるだろう。


 だが榠樝は気付かぬふりで視線を流す。


「今は鎮魂慰撫のことだけ考えていろ。あと、月白凍星を頼れ。あれは有能だ」

「……わかった。榠樝」


 秋霜は榠樝の頬に優しく触れる。

 指先でなぞるように、そっと。


「うん?」

「口付けていいか?」


 榠樝は半眼になった。


「駄目だ」


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