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 晩春。

 虹霓国こうげいこくから神職の一団が五雲国ごうんこくへと渡海した。


 それと前後して、五雲国からは王妹、玄鳳梨げんほうりを乗せた船が虹霓国へと訪れた。

 神職留学船である。


 榠樝かりんが玄秋霜しゅうそうに渡したあか御統みすまるは無事、神器としての役割を果たしたそうだ。


 場所は康安こうあん天霄殿てんしょうでんであったが、成州の鎮魂慰撫を祈る祭祀の際、朱雀が舞った。


 燃え盛る炎の幻が大地を走り、穢れを焼き清めた。

 赤き光が夜空を明々と照らし、神々の恩寵が民の目に焼き付いた。


 そして、神は鳳梨に降りた。


「祈りの一端は確かに届いた。これ以上の争いは、不要である」


 神託。

 鳳梨は確かに神の力を感じたという。


 自分が何と言葉に出したのかはわからないけれど。

 神が自分の身体に降りたのは感じ取れたという。


 それを切っ掛けに、鳳梨は自ら虹霓国への留学を希望したそうだ。




 紫宸殿ししんでんにて、榠樝に拝謁した鳳梨は、神器の貸借に感謝の言葉を述べた。


「お貸しくださいました神器によって、康安の穢れは祓われ、一時の平安が訪れましたこと、まことにありがたく、深く深くお礼を申し上げます」


 榠樝は鳳梨に優しく声を掛けた。


「遠路はるばるよくお越しになられた」

「畏れ多いことにございます」


「聞けばそなたはまだ十三だという。王族とはいえ、国を離れるのはさぞかし心細いことと思う。気に掛かることがあれば、気軽に申されよ。手を尽くそう」


「ありがとう存じます」


 まるで、少し前までの自分を見ているようだ。

 心細げな表情を押し隠し、唇を引き結び。

 しっかりと前を向いている。


 榠樝は目を細めた。


「長旅は疲れたであろう。暫し休まれよ。勉学は落ち着いてから始めるとしよう」

「いえ、女王陛下。すぐにも学びを始めたく存じます」


 鳳梨はきれいに手を揃え、こうべを垂れる。

 虹霓国式の礼だ。


「わたくしは五雲国の王族として、また異能の持ち主の一人として、一刻も早く力を操るすべを身に付け、五雲国へと持ち帰らねばなりません。どうぞ、お力をお貸しくださいませ」


「焦る気持ちはわかる。だが、一朝一夕に身につくものでも無い。あまりに張り詰めていては糸が切れる。心の余裕を持たれよ」


 関白、蘇芳深雪すおうのみゆきしらっとした視線を投げて寄越したのがわかった。

 己でもどの口が言うかと思っていた榠樝だ。

 何が心の余裕だ。

 そんなもの、即位前から今の今まで、有ったためしが無い。

 べ、と扇の影で舌を出して見せる。


「時に鳳梨どの。そなた、どこに居を置きたい?」

「は」


 意味を図りかねて、鳳梨はきょとんとした表情になる。


遣外館けんがいかんに座して頂こうかと思っていたのだが、幾分遠い。お嫌でなければ、内裏の殿舎の何処かをお貸ししようかと」


「主上?!」


 深雪が目を剥いた。

 榠樝は構わず言葉を続ける。


「私の座所が清涼殿と言って、この紫宸殿の続きの殿舎なのだが、他にも幾つか殿舎の空きが有ってな。本来なら後宮として使うのだが、私は女王ゆえ妃が居らぬ。故に幾つかの場所を公卿の直盧じきろ、つまりは執務を行う室として貸し与えているのだ」


「わたくしにも、その一角をお貸し与えくださると」

「嫌でなければだが、どうだろうか。ああ、供の者は女性に限るのだが」


 鳳梨は平伏し、礼を述べる。


「破格の扱いまことにありがとうございます。許されるのなら、是非とも一角お貸し与えくださいませ」


「よし。どこが良いかな。飛香舎ひぎょうしゃは色々使っておるからな。あまり人通りが多くても煩わしい。かと言って人気が無いのは怖かろう。ううん、昭陽舎しょうようしゃ麗景殿れいけいでん辺りが良いか……」


 深雪が重々しく咳払いをする。


「主上、まずははからせませぬと」

「うむ。そうだな。先走った。すまぬ。暫くは五雲国の方々と遣外館でお過ごしあれ。準備が整い次第お呼びしよう」






 一方の五雲国。

 革命軍の首謀者、苔星河たいせいがは処刑を免れた。

 そして革命軍に関わった者たちの罪も減じ、一段階低い罰を与えた。


 更に減税と徴発の停止を通達。

 成州だけに留まらず、全国の税と徴発とを、暫くの間は減じることとした。

 期限を定めはしないこととしたのは、十分な収穫が望めるのがいつになるのか見通しが立たないためだ。



 苔星河を処刑すべしとの声は非常に高かった。

 前例を見れば当然のこと。

 謀叛は死罪。

 わざわざ口にするまでもないほどに、五雲国に浸透していることである。


 だが国王、玄秋霜は神託を重く見、処刑を見送った。


 革命の象徴となった苔星河を生かして置くことは、前例に無いどころか国が引っ繰り返る程の出来事だ。


 だが秋霜は苔星河を生かし、しかも敢えて手元に置くことにした。

 流罪にすることも考えたが、野に放つよりも目の届くところに置いて居た方が良いとの判断だった。


 虎に翼を与え、自由にすればどうなることか。

 再び星河を慕い集まる者も多く居よう。


 星河はそれ程に魅力ある青年だった。

 民を思い、国を憂い、より良き世を望むのは秋霜と同じ。


 苔星河と直接に言葉を交わし、一層その思いは強まった。


 民の声を、思いを直接に知る星河だ。

 秋霜の知らない世の中を教えてくれる存在だ。


 そのことが吉と出るか凶と出るか、まだわからないけれど。


 五雲国は変わらなければならない。




 手始めに虹霓国との協力を強化し、五雲国に新たな神祇機関を設立した。

 祀幽府しゆうふ祈穀院きこくいん

 弔う者の居ない魂や、失われた神々を祀る機関と、五穀豊穣を願う祭祀を管理する機関である。


 ひとまずは足りぬ人手を虹霓国からの派遣部隊で賄い、ゆくゆくは留学していた神職たちをそこにてる予定だ。


 改革はまだ始まったばかり。


 当座の処置として、各州にそれぞれ祠部司しぶしの役人を派遣した。

 戦でだけでなく、飢餓や凍死した者たちを手厚く弔わせる。

 異能が無くとも葬送は出来る。


 ゆくゆくは祀幽府と祈穀院の者を全国各地へ配置し、定期的な祭祀を行わせる目論見だ。

 その祀幽府の長に鳳梨を据える。



 だが、何年掛かるだろうか。


 一年で成せるとは思わない。

 鳳梨が異能を制御できるまでに、儀式を執り行えるまでに成長するのに、一体どれだけ掛かるだろう。


 天変地異は収まったわけでは無い。

 規模を縮小したが、今も地震や異常気象は続いている。


 可能な限り、力の限り、鎮めなければならない。


 秋霜は首を振る。


 毎日の職務に祈祷の時間が足されただけだ。

 どうということもない。


 榠樝に託されたあか御統みすまるを握り締め、秋霜は静かに祈りを捧げた。




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