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第66話 お母さんの葬式3

あれから、一週間と少し経った日。俺達二人は、陽輝の実家の応接間にいた。机を挟み向かい合っているお父さんは、式場で会った時よりは元気そうに見えた。

「母さんはずっと入院していたから、実はまだ亡くなった実感がないくらいだ。見送って骨まで見たのにな」

「入院していたなんて、知りませんでした」

「教えてないからな」

陽輝はあの日から顔色がさえず、正直仕事に支障をきたしていた。どうしたら元気を出してもらえるかと考えていたけれど、良い方法は思い浮かばなかった。そんな中、陽輝のお父さんから俺に『良ければ二人で家に来ないか』と連絡があったのだ。

「父さん。先日は挨拶もなしに帰宅してしまいすみませんでした」

「いや、いい。きっと母さんも……」

お父さんは少し言い淀み「そうだな」と呟いた。

「二人とも……よかったら、今までどんな風に暮らしていたか教えてくれないか。知りたいんだ」

(どうしようかな。話しても大丈夫かな。これは俺の独断では決められない……)

陽輝に目線で、どうするかと問いかけると、彼は俺に向かって頷き、お父さんに話し始めた。

「今は△△区の定食屋を彼と経営しています。元々は別の店主がいたのですが、その方が後継者を探していたので和也が弟子入りして店を継いだんです」

それから、俺は従業員と旅行に行った話や最近のシュミット一家との話をした。

「それで、そこの家の十歳の女の子が迷子になった時に、陽輝さんが探し出してくれて……すごく助かりました」

そんな話を、お父さんはいやに真面目な顔で時折頷きながら聞いていた。多分機嫌が悪いとかではなくて、あまり感情が表に出ないタイプなんだろうな。

「そうか……」

「どうしましたか?」

「いや、元気そうで安心した」

「父さん。俺からも、聞きたいことがあります」

比較的和やかな空気の中、陽輝だけはなぜか神妙な顔をしていた。

「どうした?」

「その……母さんは、最期どんな様子だったのだろうかと……」

俺ははっとして、思わず陽輝をフォローしようと口を挟んだ。

「えと、陽輝さんはお母さんがさみしい思いをしたまま亡くなったのではないかと、とても気にしていて……」

お父さんは「そうか……」と唸る。そして大きく息を吐くと、話し始めた。

「母さんは入院していたと言うところまでは話したな?」

「はい」

「お前が出て行った後すぐ、彼女は精神的に参ってしまってな。自らの身体を傷つける事が多くなったんだ。そのうちに、自傷を止めようとした田辺さんにも怪我を負わせてしまって……」

「そんな……」

「主治医には早めの入院を勧められたのだが、当時の私は世間体を気にしてしまって……家族内の問題を内内に解決したいと。しばらく彼女をこの家に閉じ込めていたんだ」

正直、ショックな話だった。血の繋がっている陽輝はもっとだろう。思わず隣の彼の顔を見ると、眉をしかめて、口は真一文字に結ばれていた。

「そんな中で陽輝、お前に連絡を取ろうと考えなかった訳ではない。しかし、自分から追い出した手前、そうする勇気がでなかった。本当に、今考えると愚かだと思う」

(同じだ。陽輝と……お互いに意地を張りあっていたんだ)

「結局、行くところまで行った。一度、救急車を呼ぶほど大事になった時があってな。風呂場でいつもより深く手首を切ったんだ。私の剃刀が湯船に沈んでいたよ。一体どこから持ってきたのか……」

当時を思い出したのか、陽輝のお父さんは少しの間、沈黙した。

「……比較的発見が早くてその時は大事に至らなかったが、担当医にも再度入院を勧められた。もう限界だと思った」

そこで陽輝が「どうして……」と言葉を発した。

「どうしてその時点で俺に連絡をしてくれなかったんですか」

「陽輝……お父さんも大変だったから……」

「和也、少し黙っていてくれ」

俺をやんわりと制し、陽輝はお父さんに食ってかかった。

「どうして……!」

「連絡を取れば、お前はこの家に戻ってくるかもしれない。しかし、母さんの精神状態とお前が結びついている以上、中途半端に会わせられないと思ったんだ。もっと、良いタイミングでと……」

陽輝は、お父さんの説明に納得はしているのだろう。でも、結果としてお母さんは寂しい思いをしたままだったし、許せないのも何となく分かる。

「……続きを」と押し殺した声で陽輝が呟く。

「話の続きを、教えて下さい……」

お父さんは、鼻から抜けるように小さくため息を吐くと、話し始めた。

「その後は、出たり入ったりを繰り返していたよ。それで……」

「それで?」

俺は思わずそう口を挟んでいた。

「やっぱり、その……」

恐ろしい想像をしてしまい、ぶるりと寒気がした。

「いや、病死だ。元々身体が強くなくて、日々ストレスもあったんだろう。病院から連絡があってからは速かった」

「そう、ですか……」

陽輝の方を見ると、俯いていて表情は分からなかった。もしかしたら、また泣いているのだろうか。

「陽輝」とお父さんが彼の名を呼ぶ。

「後悔しているか。私達家族を捨てて、和也さんを選んだ事を」

「とんでもない」俯いたまま、彼は答えた。

「それでも……母さんを孤独のまま死なせてしまった事を。取り返しのつかない事をしてしまったと。それだけが心を苦しめています」

「ならば、どうする?」

陽輝は、唸り、絞り出すように「わかりません」と答えた。

「俺は、一体どうすれば……」

「陽輝……」

俺は思わず彼の手をとり、叫ぶように宣言していた。

「俺も、どうしたらいいかはわからない。でも、俺ずっとそばに居るから! だから毎年、お母さんのお墓参りに一緒に行こう?」

顔をあげた陽輝は、やっぱり泣いていた。そして俺の顔を見て、ますます顔をくしゃくしゃにして涙を流し抱きついてきた。

「和也……ありがとう」

そんな俺達の様子を見るお父さんの表情は、どこか笑みを浮かべているようにも見えた。

「きつい言い方をしてしまって済まない。陽輝。お前は、そのままに生きていけばいい。恐れるな。お前には、和也さんがついているじゃないか」

「父さん……ありがとうございます」

それから。しばらく休ませてもらって、俺と陽輝は店舗兼自宅に戻ってきた。陽輝はきっともう大丈夫。そう感じた。

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