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第128話

 しばらく走ると、赤黒い棘が天に向かって伸びる剣山が見えた。棘の所々に人の形があり、その麓では、鬼が人間を剣山に向けて叩き下ろしたり投げたり、なんとも残酷な光景が広がる。


 止まりたくなったが止まる訳にはいかない。仙人についていく。


 剣山は一つではなく、いくつもある。大きい山から小さい山まで。そのどれからも人の叫び声が聞こえてくる。自らの犯してしまった罪の後悔、惨めな命乞い、憐れな泣き声、叫んだところでどうしようもない。


 仙人に先導されてやって来たのは一番大きな剣山だ。


 その隙間の奥深くに碧達は身を隠した。


『ここならば見つからないはずじゃ』

『結構いい感じかも』


 暗いが暗いということは外からも見えにくいということだ。それに、この広さだと鬼は中まで入ってこられないはずだ。


『どうやって見つけたの?』

『空から見たんじゃよ』

『あー……その手があった! 他にはなにがあったの?』

『燃え盛る大地に血の池、罪人を煮込む大釜に鬼が金棒を振っておった場所もあったのう』


 その光景を想像して、碧はげんなりした顔をする。どれも痛くて苦しくて辛そうだ。しかし今はそんなこととなどどうでもいい。碧は地獄に観光に来たのではない。翠を救いに来たのだ。


 今話すことは翠がなぜ目を覚まさないのか。それに尽きる。


『なんで翠が目を覚まさないのか分かる?』

『魂じゃろう。やはりあれは小さすぎたんじゃ』

『小さい理由ってなに……?』


 碧は膝の上に乗せた翠の頭を撫でる。温かく、呼吸はしている。ただ眠っているだけのようにも見える。


 このまま起きてくれれば解決なのに、起きてくれない。もどかしい。ようやく救えたと思ったのに。


『魂が……足りんのじゃ……』

『意味が分からない』

『それはわしもじゃ。今の翠は魂が少なくとも八割は戻っておるじゃろう。残りはどうしたのか。地獄に来たということは地獄にあるはずなんじゃ。緋の時はあの場で魂の全てが揃ったんじゃが……』

『じゃあ探せば見つかるの?』

『それは分からん。じゃが、翠が目を覚まさないのなら、この地獄にあると信じて探すしかないのう』


 可能性はこれしか無い。


『じゃあ、探しに行く!』

『そう言うじゃろうと思った。翠はわしが見ておく』

『ありがとう』

『危なくなったら合図を出すんじゃぞ』

『分かった。そっちもね、翠をお願い』


 仙人に翠を見ていてもらうことになった碧は、剣山の中から姿を消して外に出る。


 そもそも翠の魂があるのか分からないし、あったとしてもどのようにあるのかは分からない。それでも、一縷の望みにかけて、碧は地獄の中を駆ける。




 温かい想いが流れ込む。


 ここはどこだろう。目の前にいる愛おしい人。でもこの感情はなんだろう。


 温かいはずなのに、胸が空くような、締め付けられる感覚。


 大好きな人の焦った表情が。見たくないはずなのに、私の心は冷たくなっていく。


「なに? これ」


 自分でもびっくりする程の冷たい声。


 いや、そもそも自分にはこんな風に動く感情なんてあったのか。


 知らない感情だけど、昔からある。でも私は感情の起伏が無い。だけど今はこんなにも動いている。


「私にも分からない! 急に連絡が来てっ――」

「そう言う割には、やり取りしていたようだけれど」


 本気で焦ったような声を出す愛おしい人。それを糾弾する私。


 なんで私はこんなことをあなたに言えるの?


 知らない感情を持って、大切な人を傷つける言葉を吐く私。その私を見て戸惑う私。


 どうしてこんなに感情が動くのか。この感情はなんなのか。


「私のため……ねえ」

「そ、そうなの! 翠のためで、でっでも、会う気なんて無いの! 私、騙されそうになったの!」

「あっそう」


 騙されそうと言った彼女に冷たく返す私。


 どうしてそんなに冷たい気持ちになれるのか分からない。自分が碧にそんなこと言えるはずないのに。


 なら碧と話しているのは私の偽物なのか? 違う。これは私だ。


 ならなぜこんなことを言えるのか。


 この知らない感情はなんという感情なのか。



 それからも碧とのやり取りは続いていく。知らない感情に傷つけられながら。それでも、この流れ込む温かい想いはなんなのか。


 知らない感情と知らない想い。冷たくて温かい。


 ――翠には、その思いが碧のものだとはまだ気づけない。場面が次々と変わり、それに伴って翠自身が抱く感情も変わってしまう。ただそれでも、翠がずっと心の底で抱いている感情、流れ込んで来る温かな感情は変わらない。


 碧を心の底から愛している。

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