灯篭の灯りが照らす。柔らかく、吹けば消えてしまいそうな灯りだ。
石畳が真っ直ぐに伸びており、等間隔に灯篭が並んでいる。先は暗くてなにも見えない。後ろにも同じように石畳が伸びている。
つまりここは石畳の道の真ん中ということだ。
「翠は……?」
「この先じゃよ」
「あっ、来たんだ」
「地獄に用があったからの。それに、わしが来るのは二回目じゃ。碧の助けになることもできるはずじゃ」
「それは助かる、ありがとう」
碧の礼に仙人はホッホッホと笑い、杖を使って立ち上がる。
「わしも礼ぐらいしたいんじゃよ。さあ、行くぞ」
立ち上がった碧は最初から向いていた方角を見る。
どっちが先か分からないけれど最初に向いていた方向へと向かう。
先まで灯篭は灯っているはずなのに、一定以上先は見えない。それがどこか薄気味悪い。
「もうここって地獄なんだよね? わたしの知ってる地獄とはかなり違うんだけど?」
ここは外のはずなのに、碧が二回やって来た地獄とは全く違う。違うというか見上げても真っ暗なのだ。
「地獄じゃよ。ただここは違うみたいじゃの。わしも詳しくは分からん、すまんのう」
地獄なんて誰でも知っている場所ではない。碧はあまり深く考えないことにした。
辺りは風も吹いていないし足音も響かない。
奇妙な感覚だ。本当に地獄へやって来たのか。夢を見ているのではないか。
そんな気持ちを抱きながら歩いていると、不意に仙人が口を開いた。
「翠を救うことができた後はどうするんじゃ?」
「え、なに? 帰るんだけど」
元の世界への帰り方は知らないが、仙人が戻ってきていたのだ。帰ることができないことはないだろう。
「戻ったとしてもどうなるかは分からんぞ? わしは隠れて過ごせていたがのう」
「なんで? ちゃんと罰を受けて戻ってきたじゃん」
「罰を受けて戻ってきただけなら、まあひっそりと過ごせたじゃろうな。ただのう……こうして翠を救おうとしているじゃろう?」
「当たり前でしょ。翠がいない生活なんて考えられない」
「実はのう、碧がこの世界に戻ってこられたのは、禁術を使っても翠が完全に目覚めなかったからなんじゃよ。失敗扱いじゃ」
「失敗しなかったら?」
「追放じゃの。人生を繰り返すことも無くただの人のように生まれて死んで終わりじゃ」
禁術使用者は罰を受ける。碧や仙人も禁術を使い罰を受けた。それでも元の世界に戻ることができた。それは禁術が成功したのではなく、失敗したからだ。
禁術は、碧のような感情の起伏が激しい、仙女らしからぬ者が扱うことができる。ただ、禁術も仙術だ。扱うことができるからと言って、通常の仙術を満足に扱えない碧が禁術を使って成功することは無いのだ。
仙人も同じで、今は長年生きてきたため感情の起伏を抑えられて問題無く仙術を使えているが、当時はまだ、通常の仙術をまともに扱うことはできなかったのだ。
だから感情の起伏があり、なおかつ通常の仙術を巧みに扱うことのできる者ならば禁術を失敗することなく扱うことができる。しかし、そもそも仙術を巧みに扱うことのできる者は感情の起伏に乏しく、禁術を使うという発想には至らない。反対に碧のような感情の起伏が激しい者は禁術を使うことができても、仙術を使うことができないため成功しない。
そもそも感情の起伏がある者は仙人や仙女にはなれないはずだ。
「殆ど意味が無いじゃろうがな。誰も知らんのじゃよ」
「わたしは翠と一緒にいられたらそれでいいんだけど」
碧の揺るがない言葉に仙人は笑う。
「見えてきたのう」
「ほんとだ、翠!」
遂に道の終わりが見えた。灯篭が行く手を阻み、その手前の岩の台に翠が眠っていた。その胸の上には小さな光が漂っていた。喜怒哀楽の世界を巡った時に手に入れた感情の光よりも小さい光だ。
翠の下へかけていった碧が目に涙が溢れる。
「……おかしい」
「え……?」
「いくらなんでも小さすぎる」
「無くなったのは魂の一部なんでしょ? だからじゃないの?」
「そうなのかのう……? 分からん」
「不安にさせないで! それで、どうしたらいいの?」
早口で捲し立てる碧に仙人は落ち着くように行ってから言う。
「翠に戻してあげるんじゃよ。手で押して」
言われた碧は手を小さな光の上に重ねて翠に向かって押し込むような仕草を取る。光には直接触れることはできないが、碧の手の動きに沿って小さな光が翠の胸に吸い込まれていく。
「戻った……⁉」
「目を覚ますはずなんじゃが」
ようやく翠を救うことができた。そう思っている碧だったが、スイが目を覚ます気配が無い。
「なんで? なんでよ‼ なんで目を覚まさないの⁉」
碧が仙人に掴みかかると空間が揺れ始める。
すぐに仙人から手を離して翠を守る碧。
揺れは治まるどころかさらに激しくなる。
「今度はなによ⁉」
「碧、落ち着くんじゃ。この場所が崩れるだけじゃ!」
「もう意味わかんない‼」
半分泣きながら碧は翠を守り続ける。自分の周りがどうなっているのか分からない。揺れる世界から翠を守るために歯を食いしばる。
徐々に揺れが治まり、自然の光が辺りを照らす。
顔を上げた碧は周囲の光景を見て口を引き結ぶ。
照らされてはいるが辺りは薄暗く、鋭い牙のように山々が並び、空は血管が這うように赤い線が走る。
見るのは三度目となる地獄の景色だ。
ただ、前回までとは違い今この場所では悲鳴が大きく聞こえる。それに鬼の影もちらほらと見える。
地獄の真ん中にでも来てしまったのだろうか。
「地獄だ……‼」
「碧、気をつけるんじゃぞ? いつ襲われても不思議じゃない」
とりあえず碧は翠を抱きしめて姿を消す。
とりあえずどこか安全な場所に避難したいがそのような場所はここには無い。目を覚まさない翠を守りながら、鬼が跋扈する地獄を動けるのだろうか。一対一なら負けない自信があるけど、この状況では難しい。
地獄がどのような形をしているかは分からない。それが分かれば鬼がいなそうな場所へと避難も考えられる。
姿を消したまま動くことはできるが、仙人も姿を消しているため、互いにどのようにしているのかが分からない。姿を消したまま動けるが喋ることができない碧は動くにしても一度姿を現さなければならない。
状況の把握を終え、すぐに姿を現して相談する。
「まだ気づかれていないから今のうちに離れたい。どこになにがあるか分からないけど……」
「少し移動した場所にある剣山なら姿は隠せそうじゃが、音を立てると気づかれるからのう……、かといってここに留まる訳にもいかん」
「なんでもいい。ていうか話すだけなら喋んなくてもいいでしょ?」
『それもそうじゃな。すっかり忘れとった』
『まあわたしも忘れてたけど……。とりあえず案内して』
『分かった。じゃあ姿を消してくれんかのう』
碧はさっきみたいに姿を消した。仙人も姿を消し、互いに見えない状態になる。これではどう動けばいいのか分からない。しかしここで仙人が杖で地面を軽く叩く。すると細い糸が見え、碧と恐らく仙人だろう、を繋いだ。
『これならわしらしか見えん。こっちじゃ』
そう言って仙人が動いたらしく、一定の方向に糸が張った。その方向へ翠を抱えたまま走る碧。仙人を追い越しそうになれば糸がたわむため追い越す心配はない。
そうして、鬼に見つかることなくこの場を離脱することに成功した。