あの雨の日の再会から数日。仕事の連絡のついでだと自分に言い訳をして、カズトに会う約束を取り付けた。仕事だと言っても、俺が関わっている星空グループの仕事と、カズトが主に携わっている夜空関係の仕事の内容が被ることはほとんどない。ただカズトに会う口実が欲しかっただけだ。
自分の都合で呼び出してしまっただろうかとも思ったが、待ち合わせたカズトのはにかんだ笑みを見れば、そんな考えは吹き飛んだ。
自分の仕事内容から、辛うじてカズトたちの仕事内容に関わりそうだとひねり出してきた書類をカズトに渡す。
カズトに書類内容を説明しながらその表情を伺うと、どうにもその表情に少しだけ翳りがあるように見えた。仕事が原因、ともあまり思えず、つい書類を捲る手を止めて尋ねた。
「……どうかしたのか」
「え? この書類か?」
「そうじゃない。カズトが……少し沈んだ顔をしていると思ったんだが」
「あー……」
カズトは言いづらそうに視線をさ迷わせる。口を開けて、閉じて。小さく息を吐いて、呟いた。
「実は、さ。サクがあれから口きいてくんなくて……」
気まずげにカズトから告げられた言葉には、正直、思い当たる節しかなかった。
あの日、決して朔には気取られないよう、双子の家からはそこそこ離れたところに車からカズトを降ろした。俺は朔には会わなかったが、何かしらの理由であの日のことが朔にバレてしまったのだろう。
朔には、出会った時から嫌われている。理由は分からない。聞いたこともないのだが、なんだか聞く気にもなれなくて十年間ずっとこのままだ。サクのことは嫌いではないが、向こうから嫌われている以上、こちらが好意的な態度をとることもない。結局、『随分とあたりの強い、想い人の家族』というよくわからないポジションに収まってしまった。
「俺のせいだろう。……ごめん」
「別にいーよ。サクがハルキのこと嫌いなのは前から変わんないし。ったく、十年以上の付き合いになんのに、あいつも懲りないよなあ」
はは、と困った顔で笑うカズトは、朔とは似ていない。双子であるがゆえに、朔とカズトは確かに外見のパーツは似ているとは思う。だからこそ二人の区別がつかない、なんて話も聞いたことはあるが、俺からすれば声も表情も完全に別人だ。カズトのこんな表情は、朔はしない。朔の表情を、カズトがすることもない。
そんなことを考えていると、あ、とカズトは自身のスマホを取り出した。
「なあ、ハルキ。今度の日曜日ってあいてる?」
「日曜?」
唐突に告げられたスケジュールに一瞬戸惑うと、カズトは自身のスマホでカレンダーの画面を出して俺に見せてきた。日曜日のところは——なるほど、7月6日を示している。
「ちょっと一緒に行きたいところあって。7月6日だし」
7月6日が日曜日なのであれば、カズトと朔の誕生日である7月7日は月曜日で、俺自身の誕生日である7月8日は火曜日だ。そうなれば、7月6日はカズトが毎年大事にしている墓参りに行くタイミングだろう。
一緒に行きたい気持ちしかないのだが、本当に残念ながら先約があった。日程的に、カズトの誕生日を意識していなかったわけではない。しかし、先約の指定日が7月7日当日ではないからということもあり、致し方なく首を縦に振ったのだ。カズトとまた交際出来ると予想していなかったこともあり、この日曜日もカズトの方から誘われるとは思っていなかった。先約など反故にして行きたい気もしたが、そういうわけにもいかない。
「……本当にごめん。今度の日曜日は、本家に戻らなきゃいけないんだ」
「本家に? お前、嫌がってたじゃん。何かあったのか?」
誘いを断られたことよりも、俺が実家に戻らなくてはいけないことの方に驚いたようで、カズトは目を丸くした。俺があまり実家を好きじゃないことは、カズトもよく分かっている。だからこその質問なのだろう。
確かに、まだあの実家——というより、父親への嫌悪感は強い。それでも家業のこともあり、どうしても戻らなければいけない時はある。
日曜日に行われるのは、星空家とその親戚筋が集まる親睦会だった。親睦会という名前ではあるが、結局は父親が親族に圧力をかけるだけの場のようなものだろう。俺にとってはどうでもいいことではあるものの、たまには参加しておかないと、いつ私生活にまで口出しが入るか分からない。父親のご機嫌取りをしているようで腹立たしいが、これも朝日子との婚約を解消するための代償だ。仕方ないと諦めるしかなかった。
「どうしても外せない用事でな。……朝日子もくる」
「朝日子さんも? へえ、元気そうでよかった」
カズトが目をぱちくりとさせて笑った。カズトが笑いながら朝日子の名前を出すこの状況に違和感を覚えつつ、有難いような、申し訳ないような、なんともいえない気持ちになる。
本来なら、朝日子とカズトがこういう好意的な感情を向け合うことはなかった。親が決めた朝日子との婚約のせいで、カズトが離れることになったのだから、憎悪していたっておかしくない。
しかし、きっかけこそ朝日子の手助け——という名のちょっかいで、朝日子とカズト、お互いの印象は悪くないものになったようだ。そういった機会を作った朝日子には、感謝をした方がいいのかもしれない。とても癪だが。
「一応、言っておこうと思って」
「変なとこ律儀だよな、お前」
別にいいのに、と屈託なく笑うカズトに、つい複雑な思いを抱いてしまう。朝日子との蟠りがないのはありががたいが、ほんの少しくらいは嫉妬してほしいとも思ってしまう。贅沢な考えだと、首を横に振った。朝日子を交えた一件で、そもそもこの4年を棒に振ったのだ。今はこうして笑い合って隣に居られることがどれだけ幸せか、噛み締めた方がいい。
「カズト」
「なに?」
「7月7日なんだが」
「うん」
「月曜日だし、平日だから難しいとは思うんだが……少し、夜に時間はあるか。会えるだけでいいんだ」
「うん、いいよ。あけとく」
難しいだろうと尋ねたにも関わらず、にこりと笑って即答するカズトに、俺もつい頬が緩む。カズトも、一瞬でも会えたらと思っていてくれたのだろうか。それならありがたい。
しかし、問題がいくつかある。後々どうにかしなければならないものもあるが、とりあえず目下の問題はカズトと現在同居している朔の存在だ。
「朔には、俺からどうにか連絡を入れる」
「はは、いーよ。どうせこの様子じゃ、サクは誕生日までこの調子だって」
流石ずっと行動を共にしている双子なだけあって、カズトは朔がどれだけ荒れようがあまり動じない。慣れているのだろう。俺もだいぶ慣れたとは思っていたが、流石に実の弟には敵わない。
さて、と呟きながら、カズトはほとんど説明を終えていた書類の束をまとめた。ちらりと俺も時計を確認すると、お互いが集まった時刻からそれなりに時間が経っている。お互いにまだ仕事を抱えている身だ。これ以上の拘束は難しい。
それは分かっているのに、離れがたいと、思ってしまう。
今までは、会いたくても会えなかった。声を聞きたくても、聞けなかった。それと比べれば、今がどれだけ恵まれているか。
以前までとは違う。再び糸が繋がったというのに、まだ怖いと思うのだ。
「ハルキ」
名残惜しそうな俺に気付いたのだろう。
俺のすぐ前に立つカズトは、身長差もあって、少し覗き込むような形で俺を見上げた。
琥珀色の瞳に映るのは、不安げに眉を寄せる俺だけだった。
「今度の月曜日に。じゃあ、また」
——また。
再会を約束する言葉が、耳に響く。
こんなに嬉しいと思うのは、久しぶりだ。
「……ああ、また」
俺がそう返すと、カズトは頬を染めてはにかんだ。
くるりと踵を返して走り去って行く後ろ姿は、少し前、パーティ会場で出会った時とは違う。
もう二度と会えないかも、なんて思う必要は、ない。
——『また』あえる日まで、あと少し。