その日の夜。
寝室からバルコニーに出たセフィリアは、冷たい夜風に吹かれていた。
(カイルさんとあんなことがあって、眠れるわけないじゃない……)
夕方の一件後。カイルはあまり態度を変えることなく、いつもどおりディナーの世話をしてくれたように思う。
だがセフィリアは、食事の味をほとんど覚えていない。
「……ねぇ、わたあめちゃん」
「お呼びか、あるじ」
セフィリアが虚空に向かって呼びかけると、現れた白い使い魔が、ふわりとバルコニーの手すりに降り立った。
悩めるセフィリアがわたあめを呼び出した理由は、ひとつ。
「あの……近くに、
このことを、たしかめずにはいられなかったから。
「『前』の世界で、ナナミの妻であったおなごのことだな。わからぬ」
「わからない……?」
「ワタシが魂を判別できるのは、あるじと
「それじゃあ、カイルさんのことがわかったのは……?」
「カイルという少年の魂のかがやきが星藍のそれに似ていた、ゆえにワタシは星藍の関係者だと推測したにすぎない。かの者がナナミの生まれ変わりだと見抜いたのは、あるじだ」
「わたあめちゃんは私や彼と親しかったひとの魂とそうでないひとの魂を選別できるけれど、それがだれなのか判別はできない、ということでしょうか?」
「そうだ。とくにカズサのほうはワタシも見慣れておらぬゆえ、余計に魂のカタチがわからぬ。そして追い討ちをかけるようだが……あるじ、カズサはこの世界に転生しておらぬやもしれぬぞ」
「えっ……どういうことですか!?」
寝耳に水とはこのことか。
驚愕のあまり身を乗り出すようにしてバルコニーの手すりをつかんだセフィリアへ、わたあめは嘆息してみせた。
「そちと星藍、ふたりは同じ世界に転生することが保証されている。この世界の存在意義こそ、神々がそちらに課した試練そのものだからだ」
「そうだわ。今回の転生も、『
「だが本来、輪廻転生とは不確かなものだ。夫婦であった者が同じ世界に転生することはまれであり、ふたたび夫婦になるとも限らない」
そこまで言って、わたあめはふとセフィリアにルビーの瞳を向ける。心配したように。
「そちはやさしいゆえ、かつて妻帯者であったあの少年の想いに気後れしておるのだろう。しかし魂の
「カイルさんが、私に……」
「あるじよ、真にかの者を気づかうならば、ナナミではなくカイルという少年のことを見てやるべきではないか」
「そう……ですね」
わたあめの言葉はもっともだ。
(カイルさんが私に恋なんてするはずがないだとか、現実逃避はやめにしないと)
もともとメインキャラクターではなかったカイルを従者にした以上、
今後の立ち回りしだいで、いくらでも展開は変わる。
(だとすれば、私がいますべきことは──カイルさんと、向き合うことだわ)
どうなってしまうのか、不安はある。
だが、深い霧のなかから、抜け出すことはできた。
「──セフィリアお嬢さま?」
そのとき、セフィリアを呼ぶ声があった。
その少年の声を、聞き間違えるはずがない。
「カイルさん……」
わたあめが音もなく夜の闇に消え入る。
暗闇に目をこらせば、ちょうどバルコニーの真下にカイルのすがたがある。
カイルも、セフィリアを見上げていた。
「こんな時間に外に出て、どうしました? また怖い夢でも見ましたか?」
問いかけられる言葉には、純粋な心配の色がやどっている。
セフィリアがどう答えるべきか決めあぐねているうちに、カイルは思うところがあったのだろう。
「……そっちに行っても、いいですか?」
「え……」
ヒュウウ──……
ふいに風がそよいだかと思えば、『ソレ』は起きた。
たんっ……
外壁を蹴ったカイルが風をまとうようにして、その身を浮かせたからだ。
体重を感じさせない身のこなしだった。
まばたきのうちに、カイルがバルコニーに降り立った。
なにが起きたのか、セフィリアは一瞬わからなかったが。
「カイルさん、もしかして……」
「驚きました? 俺も最近知ったんですけど、魔法がちょっと使えるみたいです。風魔法と水魔法の適性があるらしくて」
照れくさそうに話すカイルは、着崩したワイシャツすがただ。
からだが火照っているのか、ひたいにうっすらと汗を浮かべている。
「騎士団の訓練、自主的にされていたんですか」
「体力有り余ってますからね。有意義に使わないと」
すらすらと答えていたカイルだが、ふと押し黙る。
それからセフィリアをじっと見つめたのち、ばつが悪そうにほほを掻いた。
「あー……お嬢さまが眠れないのって、俺が原因だったりします?」
「……はい。カイルさんのことを考えていました」
セフィリアも正直に答える。
水を打ったように静かになり、しばらく沈黙が流れた。
先に口をひらいたのは、カイルだ。
「らしくないことを言った自覚はあります。でも、正真正銘俺の本心です。セフィリアお嬢さまのことを、特別に思っています。俺のことが受け入れられないなら、その理由を教えてください」
「っ……」
「圧をかけてるわけじゃなくて……なにがダメなんだろって、純粋な疑問なんです。理由もわからないのに、はいそうですかって引き下がれないですよ」
真摯なブルーのまなざし。
胸もとの赤いハート。
セフィリアに向けられた感情は、なにひとつ矛盾していない。
(カイルさんがここまで本心でぶつかってきてくれているんだもの、私も応えないと)
セフィリアはおのれを叱咤し、腹を決めてカイルと向き合う。
「カイルさん、これから私が話すことは、ふつうでは考えられない話です。それでも、聞いてくださいますか?」
「もちろんです」
間髪を容れずに、カイルがうなずく。
あまりにも食い気味だったので、セフィリアは思わず笑ってしまった。
(覚悟ができていなかったのは、私だけなのかもしれないわね)
不思議と心は落ち着いた。
ひと呼吸を置いて、セフィリアは語りはじめる。