(私を追ってきてくれたのね……)
ふり返れば、レイがいる。
カイルのすがたがないのは、おそらくユリエンのそばについているから。
女王であるフィオーネに失礼がないように。それでいて、アーレン公爵家の体裁を損なわないように。
上手く立ち回るため彼ら兄弟に苦労をかけさせたかと思うと、セフィリアは居たたまれなくなった。
「ごめんなさい……あなたにもカイルさんにも、なにも言わず勝手に行動してしまって」
「俺たちは従者だ。きみは好きなところに行けばいい。どこに行こうが、俺も兄さんも付き合うよ」
「ところで」といったん言葉を区切ったレイが、まっすぐに見つめ返してくる。
「大丈夫か?」
「え……?」
「不安で、泣きそうな顔をしている」
そうだった。レイに、先ほどのうろたえた様子を見られていたのだった。
「あっ……心配させてしまいましたね、大丈夫です!」
カイルに似てレイは心配性だ。これ以上迷惑をかけるわけにはいかず、セフィリアはなんでもないように笑ってみせた。
ところが、それに対するレイの反応は予想外のもので。
「こら」
なぜか、セフィリアをそっと抱き寄せたのだ。
口ではセフィリアを叱っているのに、レイの声音は穏やかなものだった。
「ひとりで思い悩むのはきみの悪いくせだな。困ったことがあるなら教えてくれ。俺がそばにいる。不安がる必要はない」
気遣わしげな紅蓮の瞳を前にするだけで、セフィリアはほっと安堵につつまれる。
「レイ……はい、ありがとうございます」
セフィリアは脱力して、レイに身をゆだねた。
「……失礼」
こほん、と咳ばらいが聞こえたのは、それからしばらく後のことだ。
(私ったら、いけない!)
ここにいるのは、自分たちだけではない。
そのことを思い出したセフィリアは、反射的にレイから離れると、ふり返りざまに深々と頭を下げた。
その先にいるのは、リュカオンだ。
「申し訳ありません、殿下! かさねてお詫びいたします!」
案内している令嬢が使用人との仲睦まじいすがたを見せつけてきたのだ。蚊帳の外に出されたも同然。リュカオンからしてみれば、面白くはないだろう。
けれども、恐縮するセフィリアへかけられたリュカオンの言葉は、意外なものだった。
「いえ……こちらこそ配慮に欠けてしまい、申し訳ない。顔をお上げください」
淡々と抑揚のなかった声音に、わずかな揺らぎが生まれる。
それは水面に落ちた木の葉が波紋をひろげるように静かで、それでいて目をこらすほどにわかる、たしかな変化だった。
うながされるままにセフィリアが顔を上げると、リュカオンが丸眼鏡のブリッジを押し上げている。
不思議なものだ。依然としてリュカオンの表情はわかりにくいのに、気まずそうな様子が伝わってくるなんて。
「こうして女性をご案内するのははじめてなもので、いろいろと考えごとをしていました。いえ……言い訳ですね。無理に走らせてしまったのは事実です」
引き返してきた時点で、セフィリアも薄々感じていたが。
どうやらリュカオンは、意図してセフィリアを置き去りにしたわけではないようだ。
「この先に休憩所があります。もうすこしだけ、お付き合いいただけませんか。……お付きの方も、どうぞ」
いま一度頭を下げたリュカオンが、歩み出す。
今度はセフィリアも走らなくてすむ、ゆったりとした歩調で。
「殿下……」
肉体的にも精神的にも余裕が生まれたことで、セフィリアもはじめて気づくことがあった。リュカオンの胸もとに浮かぶ、ハート型の『好感度ゲージ』の存在だ。
(緑色……だけど)
緑色はデフォルト。つまり、好感度がプラスでもマイナスでもない状態を示す。この日が初対面であるリュカオンであれば、なんらおかしいことはないのだが。
(『好感度ゲージ』が……光ってる)
リュカオンの胸もとに浮かぶ緑色のハートが、チカチカと点滅していたのだ。
『好感度ゲージ』の点滅は、好感度が上昇、または下降する際に見られる現象。乙女ゲームでいえば、ヒロインが選択肢をえらんだことによって攻略対象の好感度が変化するシステムに該当する。
はたして、どちらなのか。
息をのみ、目をこらして見守るセフィリアの目前で、せわしなく点滅していた『好感度ゲージ』が、黄色に色を変える。
それは春先に蕾がふくらむような、ほのかな変化。