帝国の刃にして、絶望たる希望。漆黒の大剣の紋章を刻んだ黒甲冑の行列が、帝都の大通りに鋼の音を響かせ歩み行く。
常勝無敗の虐殺部隊、最も多くの生命を殺戮し尽くした男が率いる悪鬼羅刹の行軍、黒甲冑の男を中心とした修羅曼荼羅……。奴隷部隊と卑下され、虐げられていた者達は黒々たる希望と意思を宿し、今や帝国の正規軍にも勝る武功を挙げていた。
「剣士殿」
「……」
「帝国の軍事会合に召集された意味がお分かりですか?」
「……間抜けな軍部の報告会だろう。問答は貴様に任せる、ラグリゥス」
「仰せのままに」
剣士の隣を歩く黒甲冑の青年ラグリゥスは会釈すると、部隊全体に響き渡る声量で「招かれざる戦士は皆王城の門前で待機!!」と話す。
黒甲冑の異質なる行列を見物する帝都の民衆の瞳には、明らかな恐怖心が宿っていた。老若男女問わず部隊の全員が黒甲冑を身に纏い、フルフェイスで顔を覆った戦士であり、その身からは殺伐とした殺意と憎悪を垂れ流していたからだ。
人間、エルファン、ドルク……。人種と性別に違いはあるけれど、部隊に属する者の視線と心は剣士に注がれており、彼に絶対の信頼と忠誠を誓っていた。畏敬と尊敬、崇敬と敬愛、様々な感情が奇妙に入り混じった戦奴達であるが、皆思っているものは一つ。
死して屍を晒そうと、生きて戦い続ける運命であろうとも、最後には剣士の力となり、彼の歩む修羅道と冥府魔道の一部と成りたい。それが、奴隷部隊全員が抱いた願いである。
「ラグリゥス」
「此処に、剣士殿」
「貴様、以前に俺の名は何でるあか問うたな?」
「はい」
「好きに呼べ」
「好きに呼べ……となると?」
「俺は生まれ落ちた瞬間から名の無い者。貴様等が呼びたい名で俺を呼ぶがいい。一々英雄や剣士と呼ばれては面倒だ」
「……ならば、アインという名はどうでしょう?」
「アイン?」
「はい、アインとはゼロの意を冠する言葉。始点でもあり、終点でもあるアインという言葉が貴方様に相応しい。……如何でしょうか?」
「好きに呼べと言った筈だ。貴様等が俺をアインと呼ぶならそう呼べ」
「了解しました、後ほど部隊の者全員に通達しておきます」
黒甲冑の剣士アインの瞳はラグリゥスを一度も見る事は無い。名を呼びたいように呼べと話したのも、ラグリゥスが戦闘前の作戦を話している最中の英雄や剣士という言葉を封じ込める為だった。
どんな名前で呼ばれようと己は己だ。剣を振るい、血肉の温かさを得たいが為に死を撒き散らす一つの悪。それが剣士や英雄と呼ばれる男であり、アインとも呼ばれるようになった男だ。世界に存在する生命が宿る物体を肉塊としか捉えられない異常者、己の中に宿る強大無比なる力の使い方を戦闘にしか見いだせない狂戦士、絶え間ない殺意と憤怒で心を焼き焦がす者。それが男という人間だった。
アインの視界に映るものは衣服という皮膚を纏った幾人もの肉塊と、肉で形作られた木々や建物である。奴隷部隊の隊員が話す言葉は聞く価値がある情報として脳が自動的に処理するが、それ以外の者が話す言葉は意味不明な雑音でしかない。肉塊が人語とよく似た言葉を話す様は、彼の神経を逆撫でし、憤怒の業火を焚くには容易なもの。それが殺意と憎悪に変換され、不可思議で破滅的な力を振るう燃料となるのだ。
彼は誰にも従わない。全てを殺戮し尽くさんとする意思によって振るわれた剣は、敵味方関係なく平等に死を与える。もし、そう、もし彼を制御できる者が存在するならば、その者はアインと同じ力を持つ異常性の塊のような存在なのだろう。
「アイン殿、王城に到着しました」
「……」
「軍事会合の会場までは私に付いて来て下さい。隊の者は貴方が王城より出てくるその時まで、門前で待機させましょう」
「貴様に任せる」
「了解しました……。皆の者!! アイン殿と私はこれより軍事会合に参加する!! 全員意思と戦意を絶やさずに我らが英雄の帰りを待て!! 以上!!」
奴隷部隊の戦奴全員が統制の取れた動きで両脇に並び、各自武器を手に殺意を燃やす。兵士よりも戦士らしい戦奴達に、門番の兵は息を飲み、冷えた汗を一気に噴き出した。
「……」
「どうかしましたか? アイン殿」
「……いや、気のせいだ」
門を通り、王城の中へ進む。
何か、不可思議な力の気配を感じた。強大な力が一点に収束されているような感覚をアインの意思が掴み取る。
視線を巡らせ、力の出処を探す。会合場所から逸れ始めたアインの足をラグリゥスは止めようとしたが、剣士の足は止まらない。力を持つ存在を視認するまで突き進む。
「……」
王城の中庭に白銀の髪を靡かせる少女を見る。少女は麗しくも可憐な存在でありながら、空間を歪ませるほどの魔力を宿す異常の塊だった。だが、そんな異常性などアインにとって些細な違和感程度のもの。彼は、白い花畑で空へ手を伸ばす美しい少女に一瞬にして意識を奪われた。
「……ラグリゥス」
「何でしょう、アイン殿」
「俺は、運命に出会ったのかもしれん。あの娘こそが俺の運命なのだ」
中庭へ歩を進め、少女の白銀の瞳を見つめたアインは彼女の前に跪き、その白い頬を鋼に包まれた指でそっと撫でる。
「貴様、名を何という」
少女は剣士の問いに答えない。
「我が名はアイン、貴様に運命を見た男。言葉を話さなくてもいい。だが、これだけは聞いてくれ。俺は必ず貴様を手に入れて見せる」
少女の双眼はアインを映さず空ばかりを見上げている。視線の先には雲一つ無い蒼穹が広がり、彼女にしか見えない何かがあるのだろう。少女は手を伸ばし、その何かを掴み取ろうとするも、小さな手と細い指が撫でるは空ばかり。
「アイン殿、その御方は」
「ラグリゥスよ」
「……」
「俺の意思と目的は貴様ならば知っているだろう。俺は血肉と死を求める殺戮者であると知っている筈だ。だが、そんな俺が初めて他人を求めた事実を知った時、貴様はどうする」
「……私は貴方様に部隊の命を救われ、生きる意思を抱かされた者。貴方様がその御方を手に入れたいと申すなら、初めて他者を求めたならば私達は全身全霊を以て貴方様の目的を支援する迄。ですが」
ラグリゥスは息を大きく吸い込み、アインの真紅の瞳を見据える。
「アイン殿が求めた御方は帝国王位継承権の末席に座す姫君で御座います。そして、白痴と称される虚ろの白。奴隷部隊隊長であり、戦奴であるアイン殿が手にするには辛く険しい困難なる道を往く必要があります」
「手に入れる事が出来るならば俺はその道を平らにしよう。ラグリゥスよ、不可能を可能にしてこその絶望であろう? 誰が見ても不可能だと言う現実を叩き潰し、踏み躙り、殺戮してこそ己が望んだ現実は引き寄せられるのだ。宣言しよう、俺は必ずこの少女を手に入れる」
立ち上がり、ラグリゥスを連れて中庭から立ち去ったアインの瞳に初めて人が映る。肉塊ではない人間の姿をした人物、それは白銀の少女と幾つもの戦場を踏み越えたラグリゥスだった。