弱さをひた隠しにして戦ってきたわけでは無かった。
孤独や痛みを悲哀と悲憤にして剣を振るってきたわけでも無かった。
欲望を素直に受け入れられず、渇望を朧気な迷いとして手に握り、剣を己の為に振るってきた。敵は敵、敵の敵は味方に非ず、敵としか見えず。アインはこの世に産まれ落ちてから戦いに身を投じてきた。
生きているという実感、死と生の鬩ぎ合い、一人の剣士として戦い続けてきた剣士はある時ふと思った事がある。それは、己が死んだ時、己を誰かが覚えていてくれるのだろろうか。何時死んでも可笑しくない戦い方を続ける己を、あの白銀の少女は覚えていてくれるのだろうか。そんな人間らしい疑問だった。
凄惨な戦場を駆け、死体の山を築く悪鬼修羅のような彼に残された……否、芽生え始めた人間性が囁くのだ。貴様が死んでも誰にも弔われず、死を偲ぶ者も居ない。欲望と渇望に呑まれ、激情と殺意に塗れる貴様は無数の死体の中で腐り果てる……と。
「……死は恐ろしくない。俺は、死よりも貴様に忘れられてしまう方が恐ろしい。その白銀の瞳から忘却され、貴様が誰からも理解されずに死ぬ事も恐ろしい。記憶に残らず、記録されず、ただ世界の一粒として吞み込まれてしまう事が恐ろしいんだ。だから」
たった一人でも、己という存在を覚えていてくれる誰かが欲しい。アインはそう呟き、項垂れる。
誰の記憶にも残らず、どの記録にも残らない。それは真の死を意味しており、其処に誰かが存在していたという事実さえ消し去ってしまう。如何に強大な力を持っていようとも、如何に戦果と武功を重ねようとも、誰かに覚えていて貰わねば人はこの世に存在していた証拠を残せない。
「こんな思いは人を殺し続け、戦場にしか居場所を見出せなかった俺の自分勝手な我が儘でしかない。そんなことは分かっている。分かっているからこそ、俺は貴様に覚えていて欲しい。共に歩んで欲しい。生きて欲しい。捧げた剣を……手に取って欲しいと願う」
己が抱いた意思と誓いは捧げられない。意思という刃と誓いという自分自身の在り方は己だけのもの。だが、白銀の少女、白銀の姫君サレンにアインは自分の人生と剣を捧げる。
一度見た時から特別な運命を感じていた。剣と鞘がぴったりと収まるような既視感めいた縁とでもいうのだろうか。陽光に煌めく白銀の髪も、永遠の無垢を思わせる白銀の瞳も、無辜を感じさせる声も、全てがサレンを形成する上に必要な要素であり、彼女という存在は世界の異物でありながらもアインという剣士の為だけに生きる宝玉であると云えるだろう。
「……悲しいのに涙を流せない。怒りと憎しみ、殺意を燃料にして歩き続けた剣士。貴男は本当に生きたくもないし、死にたくもないと思っているのに、忘却による死を恐れている。矛盾した思い、破綻した方途、自分と同じ存在を求めた手は酷く傷つき血に濡れている。……貴男は、強くも脆い儚い夢。私と同じ、世界の異物」
小さな白い手がアインのフルフェイスを撫で、剣の柄に触れる。
「私は貴男という存在を、貴男が歩んできた道を知らない。絶対的な力を持つ剣士が私を求め、私という異物に手を伸ばした理由が人間性の発露であることは理解出来る。人間性……美しく、尊く、変えてはならない人の本質」
彼の剣士とは違い、少女は己の感情や本質を理解できなかった。自分が何を求め、何を手に入れたいかという欲望や渇望が見つからなかったのだ。
伸ばし続けた手は道を掴む事さえ叶わず、己に触れる者は人の皮を被った人形にしか見えず……。人形であるのに何故人のような仕草をして、人と同じ生き方を目指すのだろう? 何故自分に与えられた役割に徹さず、自由な意思を以て行動するのだろう? 何故……願いや祈り、意思と誓いを力に変えなず嘆くのだろう? この世界は決まった道筋を歩み、己が変わらねば変化を認めないのに。
「白痴と称され、人の言葉を解さぬと言われている私を何故貴男が求めるのか理解できない。父と母、兄と姉、妹と弟、皆私を腫物に触るかのように扱い、王城に押し込める。えぇ、私は力を持たぬ者の言葉や姿形を認識出来ない。
肉親、親類、世話をしてくれる者達……この世界に生きる全ての生命は人の皮を被った人形であり、世界という舞台を回す役者と装置。けど、何故、貴男は人に見えるの? 何故貴男の言葉は私の鼓膜を叩くの? その理由を私は知りたい」
知りたい。そんな単純な理由でも人の心は動く。世界に存在する異物であろうとも、己の感情や本質が見えない白痴であろうとも、運命を感じた瞬間に少女の手は知らず知らずの内に剣の柄を握っていた。
「……剣士さん、貴男の名は?」
「……アイン」
「アイン……ゼロの名を冠する修羅。我が名はサレン、汝が捧げた生と剣を手に取り歩む者。我が剣よ、汝はこれより我と共に歩み、生きると誓うか?」
「誓う」
「ならば我は汝の生と剣を携え栄光へ至ろう。汝が収まるべき鞘として剣が帰るべき場所に在り、汝を記憶し続けよう。これより汝は我が騎士であり、苦難と障害を斬り払う刃で在れ。意思を力に、奇跡を共に。我が騎士アインよ、汝と共に我は永遠の冠を抱く主である。故に、誓おう。祈りと願いを束ね、奇跡を成す栄光を」
言葉に含まれた意思は誓約となり、両者の片目に剣の紋章として刻まれる。
誓約の名は騎士の誓い。誓約を交わした騎士への生殺与奪権と能力の上昇効果を与える誓約を結んだアインとサレンは、互いに互いの瞳をジッと見つめ合う。
「騎士の誓約を結んでよかったの?」
「貴様……サレンとなら、悔いは無い」
「何時でも貴男を殺せるのに?」
「それでもだ」
「おかしな人」
真紅の瞳をした剣士は少女の手を引き、華奢な身体を抱き上げる。
「帰るぞ、ラグリゥス。此処にもう用は無い」
「アイン殿、帝国の王への報告は……」
「俺は既に魔導の塔を打倒し、それ以降も戦果と武功を重ねてきた。王が何と言おうとサレンは俺の女だ。駐屯地へ帰り次第、次の戦場へ向かう準備も整えねばなるまい」
「……アイン殿の選択ならば私からは何も言いません。帰りましょう、我々の部隊もアイン殿と白の君の帰りを待っている」
サレンを抱くアインは部屋を去ると、彼女の父である王へ顔も合わせずに去る。その後姿を追ったラグリゥスは警備の兵に王への書状を手渡した。
「アイン」
「何だ」
「これから何処に行くの?」
「俺達の部隊……仲間が待つ場所だ」
「仲間? 仲間って、なに?」
「行けば分かる」
「……うん」
少女は空を見上げ、黒甲冑へ頬を寄せる。
冷たい鋼の向こう側で鳴り響く剣士の心臓の鼓動に耳を傾けた少女は、瞳を閉じると静かに寝息を立て、眠るのだった。