「実は俺が見守ってるのは、親父のところにいたときに世話になった人でな」
晧月の父親、つまり帝。
「後宮……つまり親父の妃たちが住んでる宮殿のことなんだが、いくつかあるんだ。そのなかの1つである
「本当にいい人なんですね」
「ああ」
林杏は晧月の言葉を思い出す。後宮は仙人の修業とは反対にあるところ、欲や嫉妬などにまみれている、と。
「蛍宮の妃、
「それなら困っていることはないのでは? 後宮の大変さはよく知りませんが、おいしいものを食べられて、美しく着飾られるんでしょう?」
林杏がそう言うと、晧月は小さく溜息を吐いた。
「まあ、一般的な人からすりゃあ、そう思うわな。でも帝である親父が『お前を妃にする、すぐに来い』って言ったら、たとえ好いた男がいようが家族がいようが、後宮にこなくちゃいけねえんだよ。そして妃同士のねじ伏せ合戦がはじまるわけだ」
帝の命令は、すなわち天の命令である。逆らえる人などいない。
晧月は続けた。
「後宮に入れば、子どもだとかおばさんだとか関係ねえ。どれだけ自分が親父に愛されているか、いかに親父からの感心をなくさせるかの戦いだ。……あそこにいる人たちは、不幸だよ」
晧月が遠くを見た。林杏が知らないだけで、晧月もさまざまなことを見聞きしてきて、思うところがあるのだろう。林杏はなにも言わないほうがいいような気がした。
「それで、そのお妃さまがどうされたんですか?」
相談の中身を知るために、林杏は尋ねた。すると晧月は心配そうな顔で答えた。
「どうやら親父がまた妃をとるみたいでな。妃は何人迎えてもいいんだが、宮殿を与えていいのは8人までなんだ。宮殿は1つが広いからな。その新しい妃に宮殿を与えようってんだ。……宮殿8つすべてには妃が住んでる」
「それってつまり」
「そう、誰か1人を追い出さなくちゃいけねえ」
それはあまりにも残酷ではないだろうか。自分の都合で妃を迎え、追い出してしまう。なんて自分勝手なのだろうか。しかし相手は帝であるうえに晧月の親。自身の親を悪く言われていい気分はしないだろう。言葉に迷っているのがわかったらしい晧月は「いいんだ、いいんだ」と言って言葉を続ける。
「俺も身勝手だと思うしな。宮殿に住んでる妃たちは、自分が追い出されるんじゃないかって、気が気じゃねえ。蛍火さまも近頃、溜息が増えてらしてな。さーて、どうしたもんかと」
晧月は腕を組んだ。林杏は浮かんだ考えを口にする。
「それなら、蛍火さまに寵愛が向くように運を操作すればいいのでは?」
しかし晧月の反応は「うーん」とあまりよくない。腕を組んだまま、今度は首までひねりだした。
「たしかに1番簡単なのはそれなんだが、蛍火さまは妃のなかは寵愛を受けたほうでな。宮殿にいる妃では2番目に高齢――といっても32歳なんだが――ではあるが、まだ年上がいるし、不安になる要素はほかの妃より少ないはずなんだ。だからなんで溜息が多いのかと思ってな」
不安要素が少ないはずの妃が憂鬱そうに過ごしている。その心の中を知ることができればどれだけ楽だろう。
(あ、そうだ)
林杏はあることに気がつき、晧月に提案した。
「それなら占いをするのはどうでしょう? 蛍火さまのお気持ちについて、なにかわかるかもしれません」
「それだっ、さすが林杏。さっそくやってみるか」
晧月は窓辺に置いてある占い道具を手にとると、寝台の上で広げ、占いはじめた。手にとったのは木札の束。この木札は1人について詳しく占うときに向いている。しかし木札がなにを表しているのかまで読みとる必要もあるため、ほかの占いに比べて難易度が高い。
晧月は3枚の木札を手にとると、裏向きに横一列に並べ、右から順番にひっくり返す。木札には記号や風景が描かれている。林杏の位置からではどんな絵柄が出たかわからないが、よほど意外な札だったのか晧月は「はあ?」とひっくり返った声を出した。
「はー……なるほど。そうきたか」
「どんな結果が出たんですか?」
林杏が尋ねると晧月は木札を見つめたまま答えてくれた。
「蛍火さまはほかに、思い人がいるみたいだ。それもだいぶ長いな。下手したら親父の妃になる前かもしれん」
「え、じゃあ好きな人がいる状態で妃になって、今でもその人のことが好きってことですか?」
「そう、みたいだな。……どうやらその思い人の今を最近耳にしたらしく、それで揺れ動いてるみたいだな。だが、妃から宮殿を離れたいとは言い出せない」
「そうなんですか?」
新しい妃が来るのならば、蛍火さまが宮殿の退出を申し出ても問題ない気はする。すると晧月は両肩を上げた。
「宮殿を出る、つまり妃をやめるってことだ。妃から
「ええー。妃にしたのに出ていけって言いながら、妃のほうから離れるのは許さないとかっておかしくないですか?」
林杏は思わず本音を言ってしまった。
「ああ、おかしいよな。捨てるのはいいのに、捨てられたくはないなんてよ。そもそも後宮なんて存在がおかしいんだ。好きで妃になったわけでもない方も多いだろう。……本当に、あんな場所なんてなくなりゃあいいんだ」
一瞬晧月の目が恨みや悲しみで濁ったような気がした。しかしすぐにいつもの晧月に戻る。
「つまり、蛍火さまは思い人のところに行きたいが、行ける状況にないってことになるな。じゃあやれることは決まってる」
「なにをするんですか?」
林杏にはどのようなことをすればいいのか、まったく予想がつかない。すると晧月はにんまりと笑った。
「妃をやめられる状況にするんだ、運を操作してな。もちろん不名誉な形にはしない。蛍火さまは親父ときちんと接してくれた。この方には幸せになってほしい」
晧月の表情が柔らかくなる。
「よーし、蛍火さまの運でも操作するかあ」
「じゃあ私はそろそろお暇しますね」
「ああ、相談にのってくれてありがとうな」
林杏は晧月の部屋を出て、自室に戻った。