時間だけが過ぎていき、夜となってしまった。木々のせいか、それとも月が出ていないのか、部屋の中は真っ暗だ。
(果たして出られるんだろうか。……いや、出なくちゃ。
ふと、浩然の手の大きさとぬくもりを思い出す。きっとあの手を握っていれば、この不安も吹き飛ぶだろう。しかし浩然は、ここにいない。
(そういえば、浩然さんは私のことを大事に思ってるって言ってくれたな。でも、大事に思うってなんだろう?)
もしも浩然が怪我をして、平気だと言いながら治療をしなかったら。こちらの治療を拒んだら。
(それは……なんだか悲しいな)
理由はわからないが、想像するだけで涙が出そうになる。浩然もこのような気持ちだったのだろうか。それとも、違うのだろうか。
(もし、こんな気持ちにさせてしまったんなら……申し訳ないことをしたな)
ならば、謝らなければ。この小屋を出て、道院に戻るのだ。
(絶対に出てやるっ。そのためには、まず明日に向けて休もう。今日中に脱出するのは、多分無理だ)
林杏は横になった。床は硬いが修行で山に籠ったときに比べれば、ましである。
(こんなところで修行の成果が出るとは)
林杏は目を閉じ、ゆっくり呼吸をしながら眠りについた。
目が覚め、体を伸ばすとあちこちが痛かった。寝られることと、体が耐えられるかどうかは別だと思い出す。
ふとすき間のほうを見ると、深めの皿とレンゲが置かれている。見てみると、中には粥が入っていた。星宇がわざわざ持ってきたのだろう。どうやら星宇は閉じ込めるだけで、なにか害を与えるつもりはないようだ。
(いや、まあ、食事ない状態も、閉じ込められるのも困るんだけど)
林杏は粥を食べることにした。腹が減ってはいくさができぬ。
母親よりも濃い味つけの粥を食べ、林杏は立ち上がった。
(なんとかして、出口を確保しなくちゃ。しかも星宇にバレないように。ってことは、こっちの右側の窓はだめだ。正面の窓の板をちょっとずつ剥がしていくしかないか)
林杏は扉の正面にある窓に打ちつけられている、下のほうの板から剥がすのを、再び試みる。板の厚みは指の関節2つ分。ずいぶんと分厚い。
(これは時間かかるな。っていうか、無理だ。……そうだ、なにか外に落ちてない?)
林杏は右側の窓に移動すると、体を屈めてすき間から外を見た。腕は手首くらいまでしか出せない。しかも窓から地面までは胸の位置くらいまで離れている。
(地面に落ちてる物を拾うのは無理か。外はどうなってる?)
餌を撒いておいたのか、何種類もの鳥が地面をついばんでいる。ふと近くの草むらを見ると、鳥を狙っているのか1匹の蛇が潜んでいるのが見えた。
(そうか、蛇、もしくは小動物っ。平伏させて父さんや母さんを連れてきてもらおう)
しかし問題はどうやってこの小屋の中に入れるか。餌になりそうな、卵やネズミなどの生物はいない。
(仕方ない。あの草むらの蛇を平伏させてもらおう)
移動して、なんとか蛇がはっきりと見える位置を見つける。ふと、蛇と目が合ったような気がした。すると蛇は目の前の鳥のことなど忘れたかのように、素早くこちらにやってくる。そしてすき間から小屋の中に入ってきた。
林杏は蛇をよく見る。模様や体の色に見覚えがある。そして蛇は林杏の脚に絡みつき、服に噛みついた。相手に絡みつき、軽く噛みつくのは、蛇の求愛行動だ。
「まさか、お前なの?」
蛇は頷くように、尻尾を上下に振った。以前
「久しぶりだねえ。ごめんね、全然山にこなくって」
蛇はまるで「気にしないで」とでも言うように、尻尾の先で林杏の脚をさすった。
この蛇なら、ちょうどいい。頼めばきっと、林杏の両親を連れてきてくれるだろう。
(いや、待て。今の時間だと多分、星宇も一緒にいるはず。ごまかされたり、追い返されたりして、余計に出られなくなるかもしれない)
林杏は蛇の体を撫でながら、声をかけた。
「お前も、まだ食事をしないといけないだろうし、夕方にもう1度来てくれない? 頼みたいことがあるの」
蛇は林杏の体から離れて、舌をチロと出して小屋から去った。舌を1度出すのは、肯定や了承を指す、蛇と決めた合図だ。
(なにか書くものとかあったら、1番いいんだけど、仕方ない)
林杏は服の
しばらくすると、なにかを置く音がした。すき間のほうを見ると、粥が入っていた深皿がなくなって、別の食器が置かれている。皿の上には焼いた肉とゆでた野菜、そして箸が乗せられている。
「星宇、いるのっ?」
返事はない。すき間から覗くと、星宇の後ろ姿が見えた。
「星宇、出してっ。なんでこんなこと、するのっ? 出してっ」
しかし星宇はこちらを振り返ることも、返事をすることもなかった。腹が立ってきた林杏は壁を蹴って八つ当たりをした。
食事を終え、すき間から入ってくる光が弱くなってしばらくすると、再び蛇がやってきた。
「来てくれてありがとう。実は私、ここに閉じ込められたんだ。だから村に行って、私の父さんと母さんを呼んできてほしい。この布に助けてほしいって書いたから、この布を渡して、父さんと母さんを連れてきて。私の家、わかる?」
蛇は短く舌を出した。
林杏が破いた布をくくりつけると、蛇は音もなく小屋から出ていった。
(よし。あとはなにができる? ……待てよ、扉や窓から出ようとするんじゃなくて、建物のどこかに弱い場所があれば、そこを壊せば出られる?)
幸いにも林杏は飛べる。たとえ背が届かないところが弱っていたとしても、見つけられるかもしれない。
(よし、明るくなったら動こう)
山に慣れている人でも、わざわざ夜にやってくるとは考えにくい。夕飯はないだろう。林杏は早めに眠ることにした。