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6話 黒の森の奇跡(12)

 ダメだ、死んだ。誰だって分かる明確な感覚に腰が抜けたみたいに動けなくなる。あんな巨大なものが突進してきたら避けようがない。吹っ飛ばされたらそれだけで終わる。


 俺の下でスティーブンはモゾモゾ逃げようともがいている。

 だが、不意にベヒーモスの意識が逃げた奴等の方へと向き、そこへ向かって突進した。

 辺りの木々は岩のように硬いベヒーモスの突進でへし折れ、地に突き刺さりそうな程低くした頭と角によって地面は抉られていく。そうしてかなり離れた所で、数十という木々が虚空を舞った。ベヒーモスがその凶悪な角で突き上げたのだ。

 土も岩も、木々は根ごと掘り返されて高く舞い上げられる。そこには逃げた兵も混ざっていた。体は衝撃で捻られたのかあらぬ方向に折れていたりしている。


「ん……お兄ぃ?」


 声が側でして、むくりと上半身を起こした星那が辺りを見回して震えた。俺も気づいた。

 いつの間にか囲うように赤い目がある。濃厚になる瘴気と威圧の層が尋常じゃない数を教えてくる。数百……違う、数千はいる多様な魔物が餌を前に唸り声を上げながらも、阻まれて近付いてきていない。


「な……なんとかしろ!」


 悲鳴のような声を上げたスティーブンが星那の腕を強く握る。痛がり払いのけた星那を睨みながら尚もあいつは食いついた。


「聖女だろ!」

「馬鹿言わないでよ! 状況見なさい! こんな数にあんな大きな奴、どうしろってのよ!」

「浄化しろ!」

「アホなの! できるわけないでしょ!」


 俺でも分かる。圧倒的な数の驚異と、大きさの驚異に俺達が立ち向かうなんて無理だ。あんなビルみたいなのに跳ね飛ばされたら一瞬で終わる。

 俺達、ここで死ぬんだ。


ベヒーモスの頭が此方を向いた。瞬間、飛ばされそうな圧力が正面から抜けて、力が抜けた。震えが止まらない。威嚇や殺気だけで死んでいてもおかしくない。


「お兄ぃ……」


 頼りなく震えた星那は泣いていた。俺はよろよろと四つん這いになって近付いて、星那をギュッと抱きしめた。


「う……ぁ……うわぁぁぁ!」


 そんな俺達を置き去りに、スティーブンはへっぴりになりながら逃げていく。

 ガクガク震えながら、視線が固定されたのが分かる。星那を抱き込んだ俺はひたすら願った。星那だけでもと願って、口では「ごめん」を繰り返した。

 前足を掻く振動、体を震わせる空気が伝わる。ギュッと目を閉じて固まった俺の中を走馬灯が巡る。

 その中で最後に現れたのは、この異世界で出会った……俺の気持ちも守ろうとしてくれた大事な人の顔だった。


「っ!」


 もう駄目だ。ごめん、クナル。ごめん!

 縮まる俺は目を閉じた。その時、小さな何かが俺の腕を登り、肩に乗る。そしてつんざくような声で鳴いた。


「キュイ!」


 覚えのある声に名を呼ぶ。その目の前が虹色の膜で覆われた。何重にもなった丸い膜をベヒーモスが角で弾き飛ばした瞬間、俺と星那とキュイはボヨンと吹っ飛んだ。まるでゴムボールみたいに地面を弾み、木々にも弾んであらぬ方向へと飛ぶ。その間俺達は上も下も分からず膜の中でもみくちゃになったけれど、生きている事だけは理解できた。

 そうして暫く弾んだ後、俺達は開けた場所にいた。側には大きな窪地があり、底に水溜まり程度のものがある。

 パチンと膜が弾け、俺と星那はどうにか立ち上がった。そしてキュイは俺の腕の中でぐったりして動かない。


「キュイ!」

「魔力を沢山使ったのかな? 凄く弱ってる」


 星那がキュイに向かい回復魔法を使うと少し楽そうにするが、それでも起き上がったりはしない。

 圧倒的な視線は消えて、逃げようと二人で立ち上がった。

 だが、簡単に逃がしてはくれない。

 追いかけてきた巨体がヌッと此方を見下ろす。その圧迫に迫られながらも、俺は動いた。ジリジリと星那を背中に庇って。


「星那、逃げろ」

「お兄ぃ!」

「キュイ頼む。俺は……」


 守るとか、時間を稼ぐとか、格好いいことが言えれば良かったけれどそんな立派な事はできない。どうにか動けるけれど足は震えている。怖くて……でも、それ以上に今は守りたいと思うんだ。


「俺が走って気を引くから、アイツが釣られたら逃げて」

「お兄ぃダメ!」

「大丈夫、これでも星那の兄ちゃんだから」


 何処まで逃げられるかな。案外足元とかにいたらどうにかならないかな?

 思っているとアイツが頭を下げて突進の構えをした。とにかく動く前にやらないと。俺は逃げようとした。

 その時だった。


『アイシクルランス!』

「っ!」


 俺と星那の後ろから俺達を避けて飛ぶ氷の槍がベヒーモスへと突き立つ。その一つが目に突き刺さり、奴は初めて大きな声を上げて地上に転げた。

 そして俺の目の前に、知っている背が現れた。


「ク、ナル」


 大きな背中が俺を守るように立ち塞がってくれる。それだけで、俺はほっとして泣きそうだった。


「悪い、遅れた」

「クナルぅ」

「キュイが案内してくれた。他はどうした」

「ちりぢりに逃げて、あいつに」

「……」


 暫く地上をのたうっていたベヒーモスが立ち上がり、怒りの咆哮を上げる。空気を震わすそれに俺と星那は固まったが、クナルは歯を食いしばって耐えた。


「逃げろ、マサ」

「え?」

「ロイがそのうち援軍連れてくる。森の出口までセナと戻って、案内してくれ」

「クナルは?」


 その問いかけに答えは戻ってこない。そのかわり、足元を固めるのが分かった。

 ここで、戦うつもりなんだ。


「無茶だよ!」


 腕を引いて俺はクナルに縋る。一緒に逃げようと。けれどその腕は振りほどかれた。此方を見ないクナルの横顔は、恐れながらも立ち向かおうと食いしばるものだった。


「あんた達を庇って戦える相手じゃない。邪魔だ、行け」

「っ!」


 悲しいという思いがこみ上げる。でも、クナルは俺達の為に言っている。

 僅かに震えているのを、俺は見た。だから……。


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