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6話 黒の森の奇跡(13)

 星那の腕を掴んで、俺は背を向けて走った。「お兄ぃダメ!」と星那は何度も言ったけれど、今はこうしなきゃいけないんだ。俺は戦えない。足手まといになる。そんなの抱えてクナルも戦えない。

 悔しい、何もできないのが。何もないのが。選べる選択肢がこれしかないのが悔しい!

 走って、走って……何度も木の根に躓いて転んで、それでも走った先が明るい。瘴気が晴れている。そこに飛び込むと平原で、道がある。その道の先には城壁が見えた。


「星那、戻ってロイさんに報告しよう!」


 急き込んで用件を伝える。その俺の腕を星那は掴んで首を横に振った。泣きながら。


「お兄ぃ、ダメだよ。クナル一人にしないで」

「でも!」

「母さんと父さんが死んだ時と同じ思いするの!」

「っ!」


 俺の両腕を掴んで叫んだその言葉は、恐怖でしかない。呆然と、死んでしまった人達を前にして俺は泣けなかった。泣いている人達を前に、俺だけが泣けなかったんだ。

 それが、今も俺を責め立てる。冷たい奴だ、見捨てたのに泣きもしないでと。


「私、嫌だよ。お兄ぃが苦しい顔をして、隠すみたいに笑うの見たくない。クナルの事大事って思ってるでしょ? 気持ち許して側にいるんでしょ? そんな人に何かあったらお兄ぃ、今度こそおかしくなるよ!」

「でも、俺は何も……何もできない。邪魔にしかならないのに」

「女神様がくれた力があるじゃん!」


 その声に、ハッとしても悩む。

 明確に使える力はない。不確定要素が大きすぎる。頼って行って、何もできなかったら?

 でも、何か出来るかもしれない。出来なかったら結果は同じだ。俺とクナルはきっとやられる。力が発動すれば、助けられる?

 希望はあまりに小さい。それこそ蜘蛛の糸くらい細い。掴まなければ変わらないけれど、掴んでみたら何かが変わる。

 その何かに、賭けるのか?


 手に力がこもった。俺はもう、あの後悔をしたくない。何かが出来たかもしれないのにやらなくて、失うくらいなら出来る事は全部したい。


「ごめん、キュイお願い」


 腕の中のキュイを星那に預け、俺は来た道を戻った。必死に走って、頑張って……クナル死ぬなって何度も心の中で叫んだ。

 俺はもう、見殺しなんかにしたくないんだ!


 義父が事故死した日、俺は義父の顔色が悪いのに気づいていた。「大丈夫?」と声をかけたら、「大丈夫」と優しく言われた。

 でも、大丈夫ではなかった。峠を走行中にガードレールを突き破って転落して、義父は亡くなった。

 母が頑張り過ぎているのも知っていた。あの日、少しふらついた母に「大丈夫?」と声をかけると「大丈夫」と返ってきた。

 でも、その日のうちに母は帰らぬ人になった。

 俺は二人を見殺しにした。具合が悪そうなのに気づいていたのに、強く言えなかった。あの時、もし強引に休ませたり、病院につれて行っていたら二人は今も生きていたかもしれない。俺は何かできたかもしれない!

 俺が、殺してしまったんだと思った。二人を前に、この事を言えなかった。責められるのが怖くて、心に抱えた。


 同じ過ちを繰り返さない。まだクナルは生きている。生きて……お願い、生きていて!


 遠くで音がする。森が、大地が悲鳴のような音を立てている。そこに俺は飛び込んで……呆然と立ち尽くした。


 大きな魔物を相手に、クナルは立っていた。左肩はだらりと垂れて、左足も引きずって、切れた額から血が出て白い髪が濡れていた。


「ク……ナル……」


 怪我が酷い。この状態で戦うなんて、耐えるなんて無理だ。

 ベヒーモスがノソノソと近付いてくる。動きは遅くても体が大きく一歩が大きい。だから距離なんてあっという間に詰められる。巨大な足が踏み潰そうと大きく上がるのを、クナルは辛そうに傷を庇いながら逃げている。メシメシ木が折れて、地表が窪む。割れた岩の欠片や石が無秩序に飛んでクナルに細かな傷をつけている。

 弄んでいるんだ。苦痛を長引かせるように。


 気づいたら悔しくて、俺は土埃に紛れてクナルに近づき、そしてその手を捕まえた。


「クナル!」

「マサ! あんた、逃げたんじゃ」

「クナル一人にはできない。逃げよう」

「! 俺は!」

「逃げるんだよ! お願いだから!」


 今はまだ土埃で視界が悪い。この隙に距離を取れれば隠れられる。時間を稼げればロイがきっと援軍を連れてくる。


 クナルの腕を引き、ベヒーモスの踏みつけもどうにか回避して森の木々に紛れる。見失った事に苛立ったベヒーモスの足を踏みならす振動が響く中、息を殺して遠くを目指す。

 クナルはそんな俺についてきた。


「どうして戻ってきたんだ」

「クナルを死なせない」

「臆病なくせに」

「……見殺しになんて、出来ない。何か出来るかもしれないのにやらなかったから、俺はずっと後悔してる。俺が、両親を殺したんじゃないかって思ってる。もう……そんなの嫌だ」

「……」


 訴えを、クナルは黙って聞いてくれた。そして大人しく付いてきてくれる。

 だがそんな逃亡も長く通用はしない。相手は圧倒的に視野が広い。直ぐに俺達に気づいて追いかけてきた。


「っ!『アイスフィールド!』」


 ドンと地を踏むクナルの足元から地表が凍り付いていく。それはベヒーモスの突進を的確に阻んだ。足を滑らせ転倒した奴は木々を巻き込んで明後日の方向へと行ってしまう。

 その間にクナルが俺の体をヒョイと抱き上げ、猛然と走った。


「っ!」

「足!」

「馬鹿! んな事言ってらんねーだろ!」


 痛い筈の足を庇いながらも獣人の身体能力は高い。足場の悪い森の中を飛ぶように走っていく。


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