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6話 黒の森の奇跡(19)

▼クナル


 無事に意識も戻り、食事も食べられた。とはいえまだ本調子ではなく、急に動くとふらつく。そして相変わらず細いままだ。

 夜、既にマサは静かな寝息を立てている。だが、昨日までの不安はとりあえずなくなった。このままいつ目が覚めるのかと祈るような気持ちでいたのだから。


 最初は、妙なのが来たと思った。

 腐界とすら言えるランドリーから洗濯物を運び出し、魔法もないままに一人黙々と作業をするマサを見て妙に手を貸したくなった。放っておくことも出来たのだが。

 やたらと腰も低くて、笑顔は多くても不安そうにしている。それが匂いで分かるなんて経験はこれが初めてだ。


 獣人は鼻が利く。種族にもよるだろうが、俺は鼻の良い方だ。

 それでも相手の感情が伝わるというのは初めての経験で驚きはしたが、妙に惹きつけられたのも事実。おそらく相性がいいんだろう、くらいに思っていた。

 事実一緒にいると妙に落ち着くし、触れたくなる。困っていれば無償で手を貸して、不安そうにすれば手を差し伸べて。笑うときは、どこか俺もほっとした。

 これを獣人は『運命』と言うようだが、半信半疑だった。今もそれを完全に信じているわけではない。


 そう、思っていたんだけどな。


「ん……」


 もぞもぞと動いて寝返りを打つマサの顔は少し渋い。寝苦しい季節になりつつあるからな。

 立ち上がってほんの少し窓を開けてやると徐々に難しい顔が和らいで、またすよすよと眠りだす。


「はっ、間抜け面だ」


 だがそんな所がいいんだろうなと思うようになった。なんとも毒気のない無防備すぎる顔を見ていると此方の気も緩む。密かな癒やしの時間だ。


 布団の上に出ている手をそっと握り、ゆっくりと力を込めていく。そこに魔力を込めていくとすんなりと受け入れられて行くのが分かる。普通、血縁でももう少し抵抗があるものなんだけどな。

 それに相性が良すぎる。最初、何の気なしに魔力を流した時にこいつは甘い匂いを出した。あれは間違いなく発情の匂いだ。

 魔力を相手の体に流すのは、色々な変化を招く。拒絶が出れば痛みがあり、合わなければ入らない。

 そして相性が良すぎると流す相手に官能を与える。心地良い程度で治まるのが理想だが、俺とマサは更に良いらしくその先の官能という部分まで影響を出してしまっている。

 これに気づいた俺のほうが焦った。果実が熟れて食べられるのを待つように、甘く酔いそうな匂いだったんだ。あれを長く嗅げばこちらも妙な気分になる。


「んっ」


 今も僅かに香る匂いは甘いだろうが、こんな動けない奴を相手に俺が発情するわけにはいかない。だから一時的に鼻を麻痺させている。一時間程度の事だが。

 もの凄い刺激臭で頭が痛くなるが、魔力が足りないマサを回復させるにはこれが一番確かな事。この国を……そして俺を救ったこいつに今俺が出来る事だ。


 あの時、俺は死んだと思った。寧ろ目が覚めた事が妙だと感じていた。冷たくなる体と遠ざかる感覚。意識は妙な所を浮遊していて……ただ心だけはまだ死ねないと願っていた。マサを置いて、俺が先に死ぬなんてできない。あいつだけでも守るんだと、ずっと思っていた。

 なのに周囲の騒がしさとデレクの声に起こされた時、マサは俺の上に倒れていて体は酷く冷たく震えていた。真っ青な顔をして意識もなく、呼びかけにも応じない。ただ、怪我はしていない。それどころか俺の怪我は何も無くなっていた。

 何かした。何をした? 思うよりも前にこいつが死ぬと必死になっていた。死なせない為なら何でもしようと思った。


 俺は、マサを死なせたくない。こいつを守るのは俺なんだ。


 一定の魔力が体に馴染んで入りが悪くなった。俺は手を離して髪を撫でる。暢気な顔で眠る奴を見て、ふっと笑って側を離れる。

 ベッドが見えるソファーに腰を下ろして一つ息をついた俺は、今後の事を考えた。

 何が俺にとって一番いい事なのか。その答えはもう、見えている。


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