少ししてユリシーズは帰った。元々俺に挨拶したかったのと、体調を気にして来てくれたらしい。「気になるようでしたら声を掛けてください」と言われてしまった。
そうして徐々に夕方から夜へと移るくらいの時間に、俺達は執事に呼ばれて奥院の中庭へと案内された。
「わ……ぁ」
外に出た途端、柔らかな花の香りがする。
出入口から広く真っ直ぐに伸びた白い道と、その両脇に植わる蔓薔薇の彩り。中央にあるのは複数の人が座れるような東屋で、そこの屋根に今は暖色の明かりがついている。
東屋の周辺は広くスペースが取られていて、今はそこに白いテーブルクロスを掛けた長テーブルが置かれて料理や飲み物が置かれている。
給仕の従者やメイドが並ぶ、その中央。東屋の前で四人の人影が此方を見つめ、やんわりと笑みを浮かべているのが分かった。
「きたね、トモマサ」
ラフな格好の殿下が近付いてきて俺の前に立つ。そして優雅に右手を差し伸べてきた。
「まずは紹介したい人がいるんだ。エスコートするよ」
「え! エスコート……ですか?」
そういうの慣れてないからどうしたものか。オロオロする俺に笑って、殿下が俺の左手を取る。
こういう所作は流石王子様って感じがする。スマートで嫌味がなくてとても自然で。案内するのが俺みたいな冴えないおっさんじゃなきゃ完璧なんだろうに。
殿下が先を行き、ついていく。明るい東屋の所に来ると残る三人がよく分かった。
一人は綺麗な金髪の男の人だ。年齢は五十代だろうか。肩幅がしっかりある逞しい人で、短く豊かな金髪に男らしい顔立ち。笑い皺のある目元に、切れ長の金の瞳をしている。
耳や尻尾の形を見ると殿下と同じライオンの獣人なんだろう。殿下はホワイトライオンなんだろうな。
「父上、聖人トモマサを連れて参りました」
「……!」
膝を折って恭しく男性の前で礼をする殿下に、ぼーっとしていた俺はアタフタして見よう見まねで膝を折ろうとする。
だがその前に男性が歩み寄ってきて、俺の手を取った。
「国の英雄に膝を折らせる訳には行かない、トモマサ。どうか楽にしていてくれ。ここは私的な場なのだから」
「え! あの」
「ベセクレイド王国、国王イライアスだ。この度は息子達を救ってくれて、心から感謝する」
「いえ、そんな! 俺はそんな大層な事は……」
「トモマサ、厄災級の魔物を退けスタンピードを止めた事は大層な事なんだよ」
呆れ顔の殿下に王様も頷いて、おかしそうに微笑んだ。
「挨拶が遅くなってしまって本当にすまなかった。デレクの元にいると聞いている。何か、不自由はないかね?」
「とても良くして貰っています」
「それは良かった。あれは人はいいんだが、少々こき使う所があってな。無理な事を言われたら正直に言って構わないよ」
「毎日充実していて、とても楽しいです」
クナルなんかはよく「人使いが荒い!」「報告が遅くて雑!」と言うけれど……でも、大事な場面では頼もしい団長だから人もついていくんだと思う。俺もデレクの事は信頼しているし。
「それと、一人の父としても礼を言いたい。ルートヴィヒ、そしてスティーブンが世話になったね」
「あ……」
目尻を下げ、優しい表情で言ってくれる王様を直視できずに視線を外した。
殿下については確かに少しやれたという実感もある。
けれどスティーブンに関してはほとんど何もできなかったし、やれた実感もない。何より結果として彼は操られていたにも関わらず全ての責任を負って辺境に行ってしまったのだ。
俯いてしまった俺を見て、王様は優しい顔をする。そっと頭を撫でる大きく皺のある手は、とても温かかった。
「そのような顔をするものではないぞ」
「ですが、その……」
「……スティーブンの事を気に病んでいるのだろうが、それこそ其方に落ち度の無い事だ。寧ろ完全に被害者なのだ。もっと言えば、あの子が其方に取った数々の横暴な振る舞いと乱暴について、親としても王としても詫びねばならないのは此方の方だ」
「止めてください! 俺、王様にそんな事をされるような人間じゃありません。俺は、何も……」
「いいえ! 貴方はあの子を救ってくれた大恩人です!」
不意に高い女性の声がして顔を上げた。
王様の後ろに控えていた女性が目に沢山の涙を浮かべて此方へと早足に近付いてくる。
直ぐにスティーブンの母親だと分かった。淡く柔らかなアイスブロンドは毛先が内向きにカールしている。目鼻立ちの良い、清楚な顔立ちに宝石みたいな青い目。王女様が着ているようなふんわりとした淡いピンク色の、花刺繍のあるドレスを着ている。
金色のやや大きく先の尖った耳と、ふさふさとした太い金の尻尾から狼だというのは直ぐに分かった。
年齢にして四十代だろうか。彼女は両手で俺の手をギュッと握り、そこに額を付けて申し訳なさそうに涙した。
「あの子が貴方に取った全ては、とても許されるものではありません。母として、なんてお詫びをしたらいいか分かりません」
「あの、そんな!」
「エルシー」
「そんなあの子に温情を駆けて頂けた事。あの子の洗脳を解いていただいた事。本当に、ありがとうございます」
「え?」
俺が洗脳を解いた?
初耳で側にいる殿下に視線を向けると、彼は首を傾げている。いや、俺初耳ですけれど?
「あれ? 言ってなかったかな?」
「聞いてません!」
「ごめん、抜けてたみたい。何せ色々あってさ」
「それも分かりますけれど……」
本当に色々と勘弁してください。
殿下の話によると、スティーブンが自分を取り戻した切っ掛けは黒の森を浄化した、あの光爆弾だったらしい。
あの光が体を通過した瞬間、頭の中の靄は晴れて清々しい気分となり、体の重さや感情をかき乱す苛立ちも消えて無くなったという。
同時に己の罪まで認識してしまい、その場で自死すら考えたがそれでは王族としての責任を全うできないと恥じ、出てきたという。
ついでにハンナの洗脳が解けたのもこの瞬間だったけれど、彼女の場合は洗脳期間が長すぎてどうすることも出来なかったという。
わりと大事な話だったように思うけれど、今初めて俺はこれを知った。
「貴方の浄化によって正気を取り戻した息子と、数年ぶりにちゃんと話が出来ました。私が民の側に立つと分かってから、あの子はまともに取り合ってもくれなくて。何度も話をしようとはしたのですが……貴方はあの子を救っただけではなく、私達親子の時間まで取り戻してくれたのです。本当に、ありがとうございます」
震えながら今も俺の手を両手で握るエルシー妃につられ、俺も泣きたいような気持ちになってくる。悪いものじゃなくて、もらい泣きなんだろうけれど。
俺は何も出来ないと思っていたけれど、少なくともこの人の助けにはなれた。大事な時間を、繋ぐ一助ができたんだろうか。
そんな俺の手に王様の手も重なり、頷いてくれる。そこにいるのは王様と王妃様ではなく、一人の父と母だった。
「この恩は忘れない。トモマサ、何かあれば頼りなさい。必ず力になると約束しよう」
「私からも誓います。貴方の助けとなります」
「ありがとうございます」
素直に礼を言って、有り難く申し出を受ける事にした。実際、この人達の力を借りなければならない事態は遠慮したいけれど分からない。何せ敵はまだはっきりと見えないのだから。