「海王国ウォルテラはこの国とは同盟国でね。そこでも最近、リヴァイアサンの動きが活発になり民が恐れているとある。是非とも奇跡の聖女にお目通り願いたく、同時に話を聞いてもらいたい。という内容だ」
「奇跡の聖女って……」
「実質はトモマサだね。ベヒーモス討伐の話は既に国外にまで及んでいる。女神の祝福がない国にとって、浄化が出来る聖女の力は頼りたいんだ」
つまり二件の依頼内容は同じ。そのリヴァイアサンというのを浄化しなければならない。
ただそうなると俺はほぼ無力に近い。武力は持ち合わせていないのだから。
チラリと隣のクナルを見る。考え込む様子ではあるが、拒む様子はない。
「つまり、リヴァイアサン討伐が依頼内容か」
「そうだね。クナル、行けるかい?」
「俺一人じゃ無理な話だな。俺は飛行系の魔法は持っていないし、だからといって海の中で自由に活動する事もできない」
「え? リヴァイアサンって海の魔物なの?」
思わず問いかける俺にクナルは溜息をつき、殿下は面白そうに笑った。
「あんたは、本当にその辺の知識がないな」
「セナは結構知ってるのにね」
「俺は異世界物の話とか読まなかったし、ゲームやアニメもあんまりで」
料理と家事以外にも、もう少し興味を持てばよかったのにな。なんて、最近思うようになった。
「リヴァイアサンは海竜の一種で凶暴な魔物だ。ランクはAプラス。厄災級だな」
「海の中では敵無しじゃないかな。海流を生んで船を引きずり込んだり、大津波を起こすとも言われている」
「そんな怪物相手にするんですか!」
思い出すのはベヒーモスだ。あんな巨大な魔物がまた出たなんて、とても怖い。震えた俺は自分の体を抱く。そこに、クナルも肩を抱いて引き寄せてくれた。
「まだ辛いよな。一週間くらいしか経ってないし」
「酷だとは思うんだけれどね。そのレベルの魔物を浄化できるのはトモマサだけなんだ。勿論人は用意する。海王国のシユ王からは魚人族の精鋭を用意する約束だし、ルアポートも領軍と船を出すって。地上と海中、両方から一気に攻めて弱らせた所で浄化すれば、トモマサの負担も減るんじゃないかな?」
確かにそうかもしれない。今回はちゃんと協力してくれる人もいる。戦力として期待できる。
何より女神の使命を遂行するのに今回の件はうってつけだ。ルアポートばかりじゃなく、魚人達からも感謝の念が集まればそれだけ女神の力が増すんだから。
怖くないとは言わない。でも歩みを止めないと決めたなら、俺は進まなきゃいけない。
「分かりました、頑張ります」
今は目の前にいるこの人達の助けになりたい。その気持ちはちゃんとある。
俺の顔を見た殿下はにっこり笑って頷いて、後日城で顔合わせをする旨を伝えてくれた。
殿下達が帰った後も、俺は暫く応接室にいた。隣にはクナルがいる。依頼書を並べて見比べながら、彼は小さく息をついた。
「良かったのか、受けて」
「……うん」
逃げられるならそうしていたかもしれない。使命の話がなければ無理だと言っていた。でも……俺は動くって決めたんだ。後悔しないように、力もつけたい。ベヒーモスを前に戦う術もなく逃げの一択しか選べなかった時、俺は絶望した。助けたい人を置き去りに無様に逃げた自分が、本当は一番嫌いだったんだ。
クナルは腕を組んでソファーにもたれ掛かる。そうして、俺の頭をワシッと撫でた。
「無理するなよ」
「……うん。ごめん、迷惑かけて。また、危ない事になって」
俺を守るクナルはどうしても巻き込まれる。俺の選択はきっとクナルを傷つける事だ。今度こそ死なせてしまったら……怖くて、考えたくない。
でもそんな俺を見るクナルは優しい目をしていて、俺の腕を引き寄せてしまう。バランスを崩して倒れ込む俺はクナルの腕の中で、何となく恥ずかしくなった。
「気にすんな。寧ろ他の奴が付くってなったら荒れるぞ」
「でも」
「俺がそうしたいんだ。だから気にするな」
クナルは俺に甘い。こんな風に甘やかしてくる人はいなかった。母も守ってはくれたけれど、こんな風には甘えられなかったな。
トクントクンと音がする。逞しい腕の中が心地よくて抜け出せない。こんなんじゃダメだって思ってるのに。
不安が緩む。望みが浮き彫りになる。
俺は、クナルとこうして一緒に居たいんだ。
§
謁見の話から数日、俺の異世界暮らしもとうとう一ヶ月を過ぎた。
今では日常となりつつある宿舎での生活は安定していて、騎士団のメンバーとふざけ合う事も多くなった。
でも、そういう日はクナルが入念に俺を風呂で洗うのがなんとなく疑問状態だ。
そうして約束の謁見の日。
城へと向かい通されたのは豪華な一室。どうやら国賓などと対談する用の部屋らしい。
大きな窓からは日の光が入り、その光は毛足の長い赤い絨毯へと吸い込まれる。家具はどれも重厚で優美で古く、存在感がある。飾られている調度品、花だって今日の為に用意されたのだと分かる気合いの入りようだ。
その部屋へと招かれてクナルと行くと、複数の人がいた。
殿下とロイは当然見知っている。だが他の人が分からない。
殿下と談笑している、この中では一番年長と思われる人が此方を見て、パッと目を輝かせる。
年の頃は五十代だろう。きっちりと撫でつけた鳶色の髪に鼻の下の髭。愛想のいいニコニコ顔は少し作り物めいても見える。筋力はそれ程ないようにも見えるけれど、オレンジ色の目は俺だけを見ていて少し怖い。
その人がズンズン凄い勢いで来るのだ。思わず引いてしまう俺だけれど逃げる前に両手を捕まえられる。案外強い力だ。
「おぉ! 貴方様が聖人トモマサ様! お会い出来て光栄ですぞ!」
「あぁ、いえ。あの」
「ただならぬオーラ。これぞまさしく女神に愛された方なのですね!」
「いえ、あの!」
えぇ、どうしよう! ちょっとじゃなくて大分怖い! 凄い勢いと押しで怖い! 言葉も仕草も芝居がかった大仰さでどうしたらいいの!
「出会いの記念に手に口づけを」
「ひぃ!」
「止めろ、迷惑親父」
取られた手にキスをされそうになり狼狽える俺。だが後方から飛んだ声と音もなく近付いた人物に後頭部を鷲掴みにされ、更にはギリギリと締められて男は止まった。
この青年はとてもまともそうだ。
長めのボブくらいの鳶色の髪にやや死んだオレンジ色の瞳。顔立ちは美青年と呼べるのだが、何せ目の下の隈が凄い。唇もかさついているし、顔色も良いとは言えないものだった。
何よりこの両名、耳はない。だが間違いなく獣人だ。背中に鳶色の羽があり、体に対して大きい気がする。
痛みにバタつく男を後ろへと放り投げた青年が前に出て、きっちりとした礼をした。
「うちの父が大変失礼を致しました。後で粛正しておきます」
「あの、大丈夫……です」
粛正って、日常会話で聞く単語じゃないんだけれどな……。