クナルはもう片方の足も同じように見て、側のテーブルにあった呼び鈴を鳴らす。すると直ぐにメイドが来て、丁寧に頭を下げた。
「桶と香油、タオルが数枚欲しい」
「かしこまりました」
静々と下がっていったメイドは短時間で戻ってきて、木で出来た桶と花の香りのするオイル、そして数枚のタオルを置いて出ていった。
二人きりになって、クナルは手に香油を垂らして温めて、俺の足に触れる。ぬるりとした感触は慣れないけれど、そうして塗り込まれた部分が徐々に温もってきた。
「痛かったら言えよ」
親指の腹でじっくりと足の裏を押し込み、流していく。両手でフニフニと揉んだりもして、足の裏がジワッとする。
そして今度は俺の足の指一本一本を指で摘まんで、クリクリと緩く圧迫しながら伸ばしていった。
「ん……」
なんか、血が巡っていく感じがする。ジワって広がる熱で体までぽかぽかしてきた。
そんな俺を見上げて、香油をまた少し足したクナルが今度は俺の足の指の間に手指を差し込んだ。
「あ……」
これ、変……かも。指の付け根を広げるように指が行き来していく。そこをぬるりとした指が滑る度、ゾワッとした感じが上がってくる。気のせい……にも出来るとは思う。でも一度意識してしまうとその感覚はよりはっきりしてきて、マッサージなのに恥ずかしい気持ちになる。
俺、これ続けられたら変な気分になるかも。そんな予感に焦った。
「気持ちいいか?」
「へぁ! あっ、うん、気持ちいいよ」
「へ~ぇ、どんな風に?」
「!」
僅かにすがめられる瞳、楽しそうな笑みが此方を鋭く見る。それはまるで俺の焦りやその裏にあるものを見透かしたみたいだ。
手がスルスルと足の裏、足首をゆっくりと通って脹ら脛へと触れる。疲労で張り詰めた、その裏側を指がツ……と撫でたのが、俺の限界だった。
「もっ、もう大丈夫! 大丈夫だから!」
足の疲労よりも俺の精神が耐えられない。心臓がバクバク音を立てて、体が熱くなって動けなくなりそう。恥ずかしいのに気持ちいいってどういう状況なの! 俺、クナルに変な気分になってない?
思わず両手でクナルの頭を押してしまった。
彼は少しムッとした後で、突然ニッと悪戯っぽい笑みを浮かべる。そして、押している俺の手を素早く取ってその甲に唇を寄せた。
「いぃぃぃぃぃ!」
「くくっ、リアクションでかい。あんた、そういうのマジで可愛いよ」
「も……クナル! そういう意地悪するなら今日の肉少なくするんだからな!」
「なに! ちょ、それは勘弁しろよ! 分かった、俺が悪かったって!」
途端に鋭さが消えて子供っぽい顔で抗議をする。そんなクナルを見るとほっとした。
でも、こんな事でドキドキした俺はなんなんだよ。しかもからかわれて……一番困るのは、こんな事をされて困惑はしても嫌だとは思わないって事なんだよ。
この年になっても自分の事が分からないなんて、俺って情けないな……
その夜、やっぱり足が重怠くてリデルを訪ねると、やはり足に疲労が溜まっていると言われて今はマッサージをしてもらっている。
ベッドにうつ伏せになり、脹ら脛に温かいタオルを当てられ、両手で圧迫しながら血流を促すようにしてくれる。これがとても気持ちいい。
同時に、最近のレッスンの事や今日のマッサージの事を話すと、リデルは面白そうに笑った。
「クナルと随分打ち解けたのですね」
「ん……かもしれないです。でも今日のはちょっと困ってしまって」
「ふふっ、素敵です。きっとあの子は貴方を誰にも取られたくないんですね」
「? 俺を欲しい人なんて、いるんですか?」
うつ伏せのまま問いかけると、リデルの手が僅かに止まった。気づいて振り向くと、彼は困った笑みを浮かべていた。
「無自覚と自己肯定の低さもここまで来ると心配ですね」
「え?」
「そうですね……まず、トモマサさんは人気があると思います。親愛か、恋情かの違いはあれどね。私もトモマサさんの事は好きですよ。のんびりとお茶をする友人として」
「俺も、リデルさんとはそういう関係で好きですけれど」
でもあの言いようはもっと違う意味も含んでいそうな気がする。
「それに加えて、今後は奇跡の聖人という評価も加わります」
「え?」
「分かりやすく言うと、政治的な意味での利用価値ができたんです」
その言葉に、俺はゾッとしてリデルを見てしまった。
きっと青ざめていたんだろう。リデルは目尻を下げて気遣わしい顔をした。
「殿下は守るとおっしゃいますが、手が届かない所で何かある可能性もあります。身分の低い家が貴方を無理矢理手込めにして権威を強めるとか、有力貴族が家の格を上げるためにとか」
「そんな!」
「だからこそ、自衛してください。私も友人がそのような理不尽な思いをするのは嫌ですし、許せません」
こうはっきりと言われると怖くなって、思わずギュッと自分の腕を握る。その手にリデルは触れて、やんわりと微笑んだ。
「そういう意味では、クナルが少し意識的に貴方を囲っているのは悪くないのですよね」
「囲う?」
「……ねぇ、トモマサさん。クナルの事は嫌いですか?」
「え! まさか! 好きですし、大切ですよ!」
この世界に来て真っ先に俺を案じて寄り添ってくれた人だ。そんな相手を嫌いになるなんてあり得ない。
それに……離れたくないって思えるくらいには……不安だって思えるくらいには居たいんだ。居てくれると、安心するから。
俺の頭をやんわりと撫でるリデルが頷いている。眼鏡の奥の瞳が柔らかく俺を見ている。
「それなら側にいて。その好きを大事に温めてみてください。貴方の気持ちを、否定しないでくださいね」
「? はい」
俺の気持ち。それは、最近少し分からなくなっている。
今までなら家族が、星那が一番大事。俺が店や家族を守らなきゃって思いでいた。
でも今はそれもあまり必要なくなってきて、皆が俺自身を認めて大事にしてくれて……クナルが俺を甘やかして。
知らない感情が増えたんだ。不意にドキリとする心臓や、熱いと感じる体。撫でられると嬉しくなる気持ちや、甘えて凭りかかる事への安心感。
今はこれらに振り回されて、対処ができない。何処から湧き上がる気持ちなのかも分からない。我が儘になる自分も、馴染まない。
でもそれらと向き合えば何かが見えるはず。
その先がどうなるのかは……まだよく、分からないけれど。