§
紫釉との約束の日、王都の港に俺とクナル、そして殿下とロイの四人でいる。
こうして港に立ったのは初めてだ。行ったのは手前の市までだったから。
立ち並ぶ倉庫と、そこからの桟橋。大きな船が複数入港できるのだろう立派なものだ。
だが、何故か俺達がいるのはそんな港のもの凄く端っこだった。
「ここでいいんですか?」
「そうだね。彼等の船は少し特殊だから、普通の場所だと無理なんだよ」
苦笑する殿下の説明だけれど、不安な理由もある。ここ、桟橋とかがある場所じゃなくて本当に港の端っこ。行き止まりにいるんだ。
どうやって船に乗るんだろう?
思って見ていると、突如離れた所の海面にぷくぷくと泡が浮き始めた。それは徐々に数を増していき、軽く海面が持ち上がっていく。
「え?」
「あぁ、来たね」
今では「何か海底で爆発した?」 と言わんばかりの水の盛り上がりとなっている。同時にもの凄く大きな影が下から浮き上がってくるのも見えた。
「マサ」
クナルが腕を掴んで少し後ろへと引く。俺と、俺の肩にいるキュイは引っ張られて後ろに。次にはザバァァン! と大きな波を立てて巨大なものが現れた。
「……亀?」
目の前が影で暗くなるくらい大きな生物が現れる。山くらいありそうなそいつは大きさこそ怪獣映画の亀型怪獣だが、間違いなく緑色の亀だ。
あれ? 俺が行くのは竜宮城なのか?
一瞬血迷った事が浮かんだが……だって、亀がお迎えだよ? そう思うじゃん!
その間にも亀は此方に向き直り、大きな頭を下げてくる。頭は俺達のいる陸地に。そしてそのままクパァと口を開けた。
「え!」
亀が口を開けると、そこにいたのは紫釉と護衛の燈実だった。二人は特に気にした様子もなく亀の口の中から出てきて、俺ににっこりと微笑んだ。
「こんにちは、マサ殿。再びお会い出来て嬉しいです」
「紫釉様! あの、この亀は……」
思わず聞いてしまう。すると彼は後ろを見てクスクスと笑った。
「見慣れませんよね。驚かせてしまいましたか?」
「あぁ、いえ」
「これは霊獣です。霊亀の子供でしてね。地上と海中を安全に行き来できるのでたまに力を貸してもらっているのです」
霊亀と呼ばれた大亀は何処か誇らしげな様子でいる。それにしても、霊獣というのは案外いるものなんだな。
「其方も素敵なお供を連れておりますね。地上の霊獣はあまりお目にかかれませんので、とても嬉しいですよ」
綺麗な青い瞳をキュイに向けた紫釉に、キュイは最初警戒した。だが彼が指を近づけその匂いを嗅いで、直ぐに警戒を解いてしまった。
「ふふっ、可愛らしい。柔らかく、温かなものです。やはり海の生物とは違いますね」
柔らかな毛を楽しむように指先で撫でながら彼は嬉しそうに微笑む。そうしていると余計に綺麗で、目のやり場に困ってしまう。
「シユ殿、続きは後で存分になさると良いですよ。そろそろ出発しなければ」
「おぉ! そうでしたね」
殿下に声をかけられ、ポンと手を打った人が俺とクナル、そしてキュイにも例の真珠のネックレスをくれる。それぞれが身につけた所で、俺達は霊亀の口の中へと案内された。
「……大丈夫かな?」
思わず弱気になる。だって、巨大亀の口の中に自ら入っていくんだよ? 勇気がいる。
その俺の背後にぴったりと付いてくれるクナルが、トントンと肩を叩いた。
「俺が守るから、安心しろ」
「うっ、うん」
頼もしいし、信じてる。でもそれ以上にドキリとした。低く頼もしい声音が心地よいのだ。
霊亀の口の中は、なんだか異空間みたいだった。言うなれば暗くて狭いトンネルみたいな感じでひんやりとしている。
数分そうして歩いていると、少し先が明るくなっている。出口だって分かって、どこかホッとしてしまった。
通り抜けた先は心地よく寛げる感じのゲストルームだ。板張りの床に一段高くなった小上がり。そこに複数人が掛けられる籐のソファーと木製のテーブル。ラグも敷いてあり、ふかふかで心地よかった。
「どうなってるんだ?」
クナルも珍しそうに辺りを見回している。なにがって、この部屋は周囲の全てがガラスみたいになっていて、そこに外の様子が映っている。今は殿下とロイ、そして港の風景だ。
「ここはあの巨大亀の腹の中じゃないのか?」
「厳密には違いますね。ここは霊亀が作り出す異空間となります。自らの中にそうした空間を作れるのですよ」
「……落ち着かねぇ」
ブスッとした顔をして腰に手を当てるクナルに、紫釉は可笑しそうに笑った。
「神子」
静かな声がかかり、燈実が手を差し伸べ紫釉を椅子へと誘導していく。それは少し妙な感じがあった。
「あの、どこか悪いのですか?」
顔色とかは平気そうだけれど、なんだか介護みたいに見えたから。
そんな俺に彼はくすくすっと笑って「少し疲れていまして」なんて言うばかりだった。
ガラス面に映る景色が変わる。地上を向いていたものが海を向き、徐々に水の中へと入っていく。リアルに潜るから思わず合わせて息を止めてしまった俺を見て、紫釉は可笑しそうに笑った。
「真珠がございますよ、マサ殿。其方は可愛らしいですね」
「でも」
思わず声が出て、ハッとして口を塞ぐが……平気だった。
「あれ? 何も変わらない?」
そもそもここは水の中なのか? ってくらい変わらない。体が濡れている感触すらないのだ。
「不思議なものだな。ここまで同じに感じるのか」
「海神の涙は加護。コレを持つ者を海は拒まないのです」
フフッと微笑んだ紫釉が燈実へと視線を向けると、彼は箱の中から茶器とお茶菓子を出してくれた。
これも濡れているのでは? と警戒したけれど、美味しいクッキーだった。
「不思議だ」
とことん、どうなっているんだろうこの世界。