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7話 海王国からのSOS(11)

 とはいえ、ガラス面に映る世界はとても綺麗だ。色とりどりの魚が泳いでいたり、魚群が真っ黒い塊になって生き物みたいに動いていたり。かと思えば巨大な鯨が此方を覗き込んだりしている。

 それら全てに反応する俺に、紫釉は楽しそうにするのだ。


「なんか、すみません」

「いえいえ。我等からしたら見慣れた世界ですので、このような反応は寧ろ面白くて。マサ殿はとても素直な方でいらっしゃいますね」

「単純って言われます」

「お可愛らしいと思いますよ」


 コロコロと鈴を転がすように笑う彼は、やっぱり性別不明の綺麗な人だった。


 やがて世界は暗くなっていく。濃紺よりも黒に近い世界だ。


「深いな」

「えぇ。我等の国は海底にあります。しばらくはこの世界が続きますね」


 俺の側で同じく外を見ていたクナルが席に戻り、俺も倣う。出されたお茶は温かく、ほっと一息つけた。


「それにしても、本当に受けて頂けるとは思いませんでした」

「え?」


 一息ついた所で突然そう言われて、俺は紫釉の方を見る。彼は苦笑して、その後は遠い目をした。


「この世界に渡ってこられてまだ一ヶ月程度と伺っておりましたし、あのような惨事を治めてから間もなかったので。お体に不調などはございませんか?」

「お気遣いありがとうございます。大丈夫です」

「よかった。聖女を持たない我が国としては、其方だけが希望でしたので」


 そう、僅かに暗い目で彼は言う。その指先が僅かに震えている気がした。

 それにしても、どうして聖女を迎えないのだろう。他国も盛んに聖女召喚を行っていると聞いたけれど。


「あの、どうして聖女を迎えないのですか?」


 俺の問いかけに、紫釉は苦笑した。


「環境問題が一番ですね」

「環境?」

「我等の国は海の底。そのような場所にか弱い人間を招けば酷です。海神の涙によってお二人はこの深さまで潜っても平気ですが、通常であれば潰れていますよ」

「ひぇ……」


 そう、だよな! 水圧ってあるよな!

 思わず自分を見て、思い切り息をしてみるが大丈夫だ。このアイテム、絶対になくせない。


「でも、聖女とか聖人は必ず人間なのって、何故なんですか?」


 以前にもそんなことを聞いた。けれど「何故」というのは知らないままだった。

 此方をジッと見た紫釉は穏やかな様子で頷く。慈母のような視線を向けられ、俺は姿勢を正した。


「人族は唯一、女神アリスメリノ様から浄化と癒しの力を得た部族だったのです。そして、アリスメリノ様も人族と同じ姿をしていたと伝わっております」

「そう、なんですか?」


 これはこの世界の常識なんだろうか。クナルを見ると彼も頷いている。ってことは常識だな。


「人は本来とても弱い存在。そんな彼等が生き抜けるようにと、女神が慈悲をかけたと伝わっています」

「地上でも同じように伝わっているな」

「女神アリスメリノ様は人族全てを祝福し、男神アリスタウス様は獣や魔物を祝福した。二人は本来二柱の神であったのです」

「アリスタウス?」


 そんな神様の名前は聞いたことがない。少なくとも地上では神様といえば女神だけだった。

 そんな俺の様子を見て、紫釉は悲しそうに目尻を下げた。


「地上では邪神という名の方が通っていることでしょう」

「あ!」


 そうだ、邪神! 名前は知らなかったし、他の人もそれについては口が重かった。

 紫釉は苦笑し、唇に人差し指を立てる。シーと、秘密の話をするように。


「言の葉は呼ぶ。そう言われています。ですので誰もその名を呼びたがらない。別の名を与え、本当の名は伏せて。ですが彼は決して悪しき者ではなかったのです。愛した女神を失い、狂ってしまった憐れな者なのです」


 不思議と引き寄せられる声音だ。此方を見る目も何かが乗り移ったように静かに引き込まれて……でも、怖くも感じる。両の口の端を上げた彼はやんわりと語り出した。


「マサ殿は女神に選ばれた御仁。なれば知らせるのも我の役目なのかもしれません」

「何を、ですか?」

「地上では消された歴史と神話を」


 消された?

 ドキリと心臓が鳴って、思わず胸元を握る。ほんの少し怖くなる。でも……女神が言っていた「あの人」と、彼女の力を奪った何者かに繋がるかもしれない。そう、思えてならなかった。


「地上では消された歴史か」

「クナル、そうなの?」

「消されたものを俺如きが知るかよ。ただ、可能性は十分だ。歴史も真実も一番上に立つ奴の都合のいいように伝聞されて残る。不都合なものは消えるんだ」

「マサ殿の守人は賢くていらっしゃる。まさにその通りです。西側諸国が女神を崇拝する女神神殿に飲み込まれた時に、多くの歴史は失われてしまった。他の亜人族達も現状を鑑みれば女神神殿を受け入れざるを得なかった。唯一多くが残るのがここ、海の中。他の介入を拒める環境だからこそ、海神様はここで歴史を守れと我々に厳命なさったのです。いつか必要になる時の為にと」


 ドクン、ドクンと音がする。知る事が怖いような、知らなければいけないような。

 考えて、知らなければいけないのだろうと思い俺は頷いた。それを見て彼もまた、確かに頷いた。


「女神アリスメリノ様の力は浄化と生命。あらゆる生き物を産み、癒し、清めるお力を持った方。そして男神アリスタウス様の力は破壊と再生。あらゆる者に死という安楽を与え、破壊されたものを新たに再生させる力。女神が生み出した命を良きところで壊し、再生させて再び女神へと渡し、新たな命としてまた生み出す。そういう循環を行っていたのです」

「大事、ですよね」

「そうですね」


 日本にも輪廻転生とか、そういう考えがある。俺も両親が亡くなった時に思った。今度は苦労なく、幸せに生まれ変わってほしいと。

 これはきっとそういう話で、二人の神様はそうして回っていたんだ。


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