「二柱の神の下には眷属と言われる神獣が控えておりました。水の神獣である海龍。今では我々が海神と崇める方です」
「龍なんですか」
「えぇ。姿こそは魔物と変わらないと言われておりますが、そのお力は神に属するもの。海を守る神様なのです」
多神教文化だからそれも分かる。なんせ八百万の神の国で生きてきたからね。
「他にも、地上を守る天狼、火を司る天狐、空を守る竜がおりました」
「今じゃ聞かないな」
「全ては女神が消滅し、アリスタウス様が邪神へと転じた時にお隠れになったと伝えられています。我は海龍の血を引く王族であり、海神の神子。故に時折天啓のようなものが流れ込んでくるのです。歴代の神子もまた、そうだったようです」
「海の世界では海神の意志を受け取れる神子は尊き存在。中でも紫釉様は高い魔力も有している最も尊き方だ。国についたらその辺りを踏まえてもらいたい」
紫釉の護衛についている燈実が鋭い視線を此方へと投げる。突然で驚いていると紫釉の方が苦笑し、背後の彼を視線で嗜めた。
「良いのです、そのようなもの。其方は女神が選んだ希有な人間。奇跡を起こせる聖人殿です。此方の都合で縋っておいて尊大な態度など取れようはずもございません」
「主上!」
「それに、個人的に仲良くしたいのです。立場上、そう簡単に友などできぬ身の上です。故に其方とは語らう友となりたい。そう思ってはいけませんか、マサ殿」
寂しく微笑む人の視線は本当にそれを求めていると分かるものだった。そんな目で見られたら拒めないし、そもそも拒む理由がない。俺だってせっかくなら仲良くなりたいのだ。
「こちらこそ、宜しくお願いします」
改めて手を差し伸べると、彼はとても嬉しそうに笑って俺の手をやんわりと握り返した。
どのくらいの時間が経ったのか分からなくなってきた頃、突如海底に光る何かを見つけて俺はガラスの側へと向かった。まだ遠いそれは半円の形をしていて、色としては真珠みたいだ。
「見えてまいりましたね」
声にそちらを見れば紫釉が近付いて、隣に並んだ。
「あれが海王国ウォルテラです」
徐々に近付いていくと様子が見えてくる。巨大な丸い外壁から丸く天井をかけるように張られたものが、魔物の侵入を拒む結界なのだという。
町並みは古い中国みたいで、石造りの橋や道が見える。壁は基本白壁で、大きく立派な建物には朱色の柱に緑や黒っぽい瓦屋根がついている。獣人国の西洋風建物とは違い、屋根は低めになっている。
「なんか、落ち着く」
「そうなのか?」
「うん。俺の世界でも寺社仏閣ってこんな感じだったから」
まさか海の底に故郷を思わせる景色が広がっているとは。ちょっと、寂しくなったな。
霊亀はそんな町並みを跳び越え、外壁の上にある他と違う建物の正面に立った。
綺麗な建物で、豪華な門みたいな場所。装飾された朱色の柱と緑青色の屋根がついている。そこへと首を伸ばした所で、ガラス面の映像が消えた。
「到着しましたね。さぁ、行きましょう」
先導して歩いて行く紫釉の後ろを燈実がついていく。その後ろに俺とクナルがついて、俺達は初めて海の中の国に降り立った。
地上とまったく同じだと言われてもやっぱり怖い。目の前の地面を確かめるようにして降りた俺は、何も変わらない事に驚いている。見上げると深い黒。光も届かない海の底なのが分かる。
けれど建物の先は昼のように明るく、上から見た感じとても文明的な国が広がっている。人知の及ばない世界に降り立った、そんな感覚を味わっている。
「陛下、よくぞご無事で」
門の所で待っていたらしい人達がきて、両膝を折って両手を組み、頭を下げる。こういうのもまるで古い中国の光景だ。ドラマでしか見た事がないけれど。
「皆、世話をかけました。大事ありませんか?」
「はっ、問題ありません」
深く頭を下げたままの人が答え、紫釉は鷹揚に頷く。
その時、少し遅れて誰かが此方へと走ってきた。
まだ小さい子供で、着流しみたいな服を着ている。薄いピンク色の髪をハーフアップにして、そこに飾りをつけた子はお付きの人の制止も聞かず紫釉の足元にしがみついた。
「叔父様!」
「秀鈴、ただいま」
見た目、五~六歳くらいの少女はとても嬉しそうに目を輝かせている。長身の紫釉の足にしがみつくと腰に全然届いていない。
ただ、凄く可愛らしい子だ。色が白くて、目がぱっちりと大きくて。耳はやはり魚人族らしく薄い魚のヒレのようで、色は髪色と同じでピンク色だ。
その子を見る紫釉の表情はとても優しく愛しそうで、目を細め頭を優しく撫でている。叔父と言われていたから……。
「マサ殿、クナル殿、紹介いたします。我の姪で秀鈴です。秀鈴、こちらは我の友であり、地上の神子でもあるマサ殿と、その守人であるクナル殿です」
此方に気づいた少女は驚いた顔をした後に少し後ろに下がってしまった。人見知りだろうか。でも彼の後ろに隠れてしまう程ではない。青い大きな目がジッと俺達を見ている。
俺は笑ってしゃがみ込んだ。そうすると秀鈴の目線の高さになる。見つめて笑うと、ちょっとだけ表情が和らいだ気がした。
「初めまして、マサです。少しの間だけお世話になります」
「……秀鈴、です」
可愛らしい声で言ってくれて、俺はにっこり笑う。小さな時の星那みたいだ。
思わず頭を撫でてしまいそうになった俺に向かい、威嚇するような男性の声が響き渡った。
「姫様に触るな! 外界の獣が!」
この声に他の人達は困惑した様子を見せ、秀鈴は怯えて紫釉の後ろに隠れてしまう。
そして紫釉は見た事のない怖い顔をしていた。
男は五十代くらいだろうか。武人の格好をして、猛々しく逆立った黒髪に立派すぎる髭を生やしている。顔つきは厳つくて、目はギョロリと此方を睨み付けていた。