「紫釉殿、外の世界から人を招くなどどういう了見か! これが大王様に知れればなんと言われるか分かりませぬぞ!」
「貴様、無礼な振る舞いは許されぬぞ!」
怒った燈実が前に出て男を牽制するが聞く耳をもたない。一方的に意見を言うばかりだ。
が、それも長くはなかった。
突如男が地面に押し潰され、呻き声を上げ始めた。そして隣にいた紫釉の目は青く光っている。彼が指先をクッと下に振る度に、男に掛かる圧力は増しているようだ。
「彼は地上の厄災を退けた神子。此度この海域で起こっている脅威を解決すべく、我等に尽力してくださる事となった方です。その者に対し、無礼な振る舞いをするというのであれば処遇も考えねばなりませんよ」
「そんなヒョロイ者に何がぁ!」
「では、お前がリヴァイアサンを討伐すると? 彼の厄災を退けると言うのですか?」
「それは……」
途端に男は言い淀む。それに対し、紫釉は見下す瞳を更に細くした。
「この国の王はこの我だ。文句があると言うならば本国の父王にでも訴えてみよ。彼の厄災を退けてくれるのであれば、我は潔く王の座でも何でも退く。出来ぬなら口出しは無用ぞ」
彼がそう言い放ち、グッと手を握ると男はもがき、やがて白目を向いて動かなくなった。慌てて駆け寄ろうとしたが紫釉が手を取って首を横に振る。寂しく笑って。
「気絶させただけです。心配には及びません。それよりも、我が国の者が其方に対し無礼な振る舞いをしたこと、心よりお詫び申し上げます。不快な思いをさせ、すみません」
「いえ、そんな! 本当に何も気にしていませんから!」
頭を下げた人を前に慌てて上げてもらえるようにお願いした。紫釉は眉を下げてしまうし、燈実は憎たらしく倒れている男を睨むし、秀鈴は怯えているし。一気に空気は悪くなってしまった。
「ひとまず場所を移りたい。シユ様、お願いできますか」
周囲を見ていたクナルが丁寧に礼を取りながら進言して、紫釉も「そうですね」と同意して先頭に立って歩き出す。
何となく不穏な空気を残したまま、俺は彼の案内で一路城へと向かう事となった。
この国のお城は町の中心にある。
立派な門を抜けると何千人と入れそうな広場があり、その奥にこれまた立派な屋敷がある。白壁に朱色の柱や柵、緑青の屋根。二階建ての中華な城を、俺は物珍しく見回した。
「景色が違って見えるな」
「凄い異国感」
まぁ、それは獣人国もそうなんだけれど。
「ここは政治の場ですので、無駄に大きいのです。これからお通しする奥院は我の住まう場所ですので、もう少し落ち着けるかと思います」
「え! あの、紫釉様の生活する場所に泊めてもらえるんですか?」
客用の所とかかと思っていた。
俺の驚きに彼も驚いた顔をして、次には悲しそうにされた。
「お嫌ですか?」
「いえ、そんな! ただ、不用心とか……」
「まさか! 女神が選び、霊亀が乗せた者が何かするだなんて思っておりません。それに、先程も言いましたが我は其方と友になりたいのです。友を家に招くのは、少し憧れだったので」
ちょっぴり恥ずかしそうにそんな事を言われて、「行きません」なんて言える人間はいない。少なくとも俺は無理!
っていうか、俺も何か照れるなぁ。
「あの、有り難くお世話になります」
「本当ですか! わぁ、おもてなしをどうしましょう。あっ、呼び方もよければ紫釉と」
「えぇ! あの、それは大丈夫ですか?」
「はい、勿論です」
美人の満面の笑みに勝てる奴って、存在しないよな。燈実に睨まれながらも、俺は結局同意した。
彼の私的な屋敷は城の奥の方にあった。一度外に出て、大きな蓮池にかかる橋を渡った先にある。
「海の中なのに、池?」
クナルは疑問符だらけで見回し、俺はもう深く考えない事にした。なんせ魔法のある世界なんだから、この際何があっても気にしない。考えるだけ無駄だ。
「面白いでしょ? 火も使えますし、煮炊きもできますよ」
「あっ、じゃあ今日は俺がご飯作りましょうか?」
申し出てみると紫釉の目がパッと輝く。この様子、どうやら殿下から何か聞いてるな。
「良いのですか! 実はルートヴィヒから其方の作る料理が絶品だと伺って、是非とも食べてみたいと思っていたのです」
「主上! 流石にそれは」
「お前も食べてみたくはありませんか? 外界どころか異世界からの客人が作る料理なのですよ!」
「それは……」
「秀鈴も食べてみたいですよね?」
紫釉と手を繋いでいた秀鈴も目は輝いている。どうやら似た者のようだ。
「……失礼ですが、作っている所を見させて頂いても宜しいか。この方はこの国の要。何かあっては大変な事になるのです」
「それは構いませんよ」
「なんなら一緒に作ればいいんじゃね?」
「え!」
クナルが突然爆弾を落とし、燈実は途端に大焦りとなった。それを紫釉が可笑しそうに「良いですね」なんて言うものだから引っ込みがつかなくなる。結局手伝う事となった。
屋敷はこぢんまりとしたものだった。平屋で屋根は比較的平坦。朱色の柱などは使われず、木目が綺麗な高床の屋敷は落ち着いていて居心地がいい。
食事をする場所、客室などの案内をされ、荷物を置いてから俺は燈実の案内で炊事場へと案内された。
炊事場は普段の宿舎よりも時代がかっている。基本は木造で、煮炊きには竈が使われていた。けれど本当に水の中で火が使えていて、改めてどういう仕組みなのかと疑問符だらけとなった。
給仕をしている女性達が何事かと此方を見ている。その前に立った燈実が、女性達に向かって声を上げた。
「皆すまない。主上が今宵の食事を此方にいる地上の神子様に作ってもらいたいと仰った。そこで急ではあるが一品作らせてもらいたい」
この申し出に女性達は少しザワザワする。急な事だし当然だ。
俺は前に出て、彼女達に丁寧に一礼した。
「初めまして、マサと申します。急なお願いで本当に申し訳ありません。お邪魔じゃなければ一品、添えさせて頂ければと思うのですが」
「それは構わないけれど」
給仕をしていた女性の一人が声を上げ、前に出てくれる。そしてスッと手を出した。
「給仕頭の林杏だ。地上の神子というと、獣人国かい?」
「はい」
「此方とは随分味付けが違うから、楽しみだ。まずはこの国の料理を味見するといい。作るにしてもあまりに味が離れていると妙だろ?」
「いいんですか!」
思わず目が輝く。なにせ魚人族の料理だよ! 興味がないわけがない!
どうやら夕食を作っていたらしい。海の底だから今が昼か夜かも分からないが、現在は夕方なのだそうだ。