「皆、急な宴にも関わらず準備をしてくれたこと、感謝する」
大きな声を出しているわけではない。けれどその声はとてもよく通る。青い瞳が人々を見回し、厳かな様子のままで続けられた。
「今宵、我等は彼の厄災を退けるべく一人の客人を招いた。地上の厄災を退けた地上の神子である」
そこまで言うと、紫釉が此方に手を差し伸べてくる。こうなりゃ腹を括るしかない! そろそろっと出た俺は招かれるまま紫釉の隣に並んだ。
「あ……マサと申します! 微力ながら、紫釉王の助けとなれるよう、頑張ります。宜しくお願いします」
声、だいぶ震えてたかも。体は言わずもがなだ。
それでも最後まで言えてほっとする俺を、紫釉がやんわりと見つめ頷いてくれた。
「彼の厄災と対峙することはあまりに危険な事。禁忌とされるほどに。もしかしたら、皆の安全を脅かすやもしれない」
そう、隠す事なく伝えられる言葉にざわめきが起こる。不安が小さな音になって、それが集まってザワザワと響いてくる。
けれど紫釉は目を閉じ、フゥ……と息を吐いて皆を見回した。
「だが、時は待ってはくれない。彼の厄災が動き出したというならば戦い、退けねばなりません。我々はただ怯え隠れ、嵐が過ぎるのを待ってはいられないのです。我は必ず皆を守りこの地を守ってみせます。我を信じ、皆の力を貸してください」
伝えきった紫釉に、人々はしばらく静かなままだった。緊張が増すような時間。その時、小さな拍手が近くで起こった。
秀鈴が小さな手を叩いている。それに燈実や他の官吏の人も手を叩き、それが伝播していく。気づけば広場は沢山の拍手の音が響いていた。
ほっと、紫釉が息をついたのが分かった。震える指先を温めるように握った彼はこちらを見て、照れくさそうに微笑んだ。
祭が始まるとそれは賑やかだ。太鼓の音に人々の声、料理や酒を楽しむ声もする。櫓を囲んで好きに踊り出す人と、その人に向かって手拍子を打つ人。歌う人に合いの手を入れる人。
俺達も広場に降りていった。すると色んな人が近くにきて、手を引かれ背中を押されて何故か用意されている小上がりの場所に座らせられた。
「料理持ってきてやんなー」
「神子様は酒は飲めるのかね?」
「お兄ちゃん神子様なの? 普通なのに」
なんて、色んな人が話しかけてきてオロオロする。でもなんか懐かしい。店を切り盛りしていた頃の賑やかさに近い。
おばさん達が焼き魚や貝やら汁物やらを持ってきてくれる。お猪口と徳利もきて、紫釉が俺に注いでくれて、俺も紫釉に注いだ。
「明日からの討伐に向け、鋭気を養いましょうか」
「はい」
飲み込んだ酒はカッと喉を焼くような強いものだったけれど、思ったよりもスルリと入っていく。
同じように飲み込んだクナルは一瞬耳と尻尾がビリビリっと逆立って、次には汁物を飲み込んだ。
「おや、合いませんでしたか」
「飲み慣れず、すみません」
「構いませんよ。陸の人はよく言います。マサ殿は平気なのですね」
「俺の世界の酒に似てます。こちらの方が癖がありますけれど」
「こちらと似ているというなら、天狐の里などが近いかもしれませんね。機会があれば行かれてみるとよいでしょう」
クスクスと笑う人が俺の空いたお猪口にまた注ぐ。それを飲み込み、思い思いに踊る人々を見て気分は徐々に楽しいものに変わっていく。明日から大変な調査があるというのに。
「こんなに楽しい時間、いつぶりでしょうね」
「え?」
ほんのりと頬を染めた人がうっとりと笑い、不意に口を開く。
こぼれ落ちるような美声が音に合わせて海に響く。それを聞いて、人々は曲を変えた。柔らかく、気持ち良さそうに歌う紫釉はずっと笑っているように思う。そんな彼を燈実は珍しい様子で見ている。
やがて歌い終えると拍手喝采だ。
「王様素敵!」
「綺麗だったね」
「本当に素敵な声と歌ね」
口々に囁かれる言葉に彼はちょっと恥ずかしそうにする。その側に燈実が近付き、水を一杯置いた。
「お珍しいですね」
「気分が良いのです」
「左様ですか」
ふふっと笑う人と、側に控える人。多くを語らなくてもお互い嬉しそうで、ちゃんと繋がっていて、そんな二人がとても素敵だって、俺は思った。
§
翌日、クナルと燈実は現地調査をすると朝から出ていった。魔物の多い海域で、リヴァイアサンの目撃情報もある場所らしい。
勿論俺は留守番だ。それでなくても慣れない海の中、しかもカナヅチ。そんなの抱えて危険な場所になんて行けない。来いと言われても躊躇ってしまう。
そんな事で、俺は紫釉について結界の要があるという塔に案内される事となった。
寺社なんかにある五重塔だ。門番の人に挨拶をして招かれた塔は螺旋階段の五層。その最上階が目的地だ。
六角形の建物の最上階はこの町を見下ろす程に高く、三六〇度の絶景パノラマだ。
室内は案外温かみのあるもので、仮眠が取れる程度の長椅子に毛布とクッション。お茶が出来るようなセットもある。
そして部屋の中央に真珠色の玉が浮いている。
バスケットボールくらいの大きさのそれは淡い乳白色に光りながら浮いていて、そこから上へと光の帯を出している。
「あれが、結界の要となる宝珠です」
部屋の中央にあるそれを指差した紫釉に連れられて近くまで行く。そうすると、ほんのりと温かなものを感じた。
「これに魔力を注ぎ込む事で結界が維持されます」
「なんだか、優しい感じがします」
本来は冷たいはずの海の中が温かいのはこれのおかげなのかも。そんな事をふと思ってしまう、そんな不思議なものだった。
ふと吸い込まれてしまいそう。見つめているうちに触れてしまいそうな気がして、俺は慌てて視線を外し僅かに距離を取った。