「それにしても、良かったんですか? 俺、一応部外者なのにこんな大事な所につれてきてもらって」
毎日門番が立っていて、今も俺と紫釉だけ。こんな大切なものがある場所に、普通部外者は入れないだろうに。
思って……ふと見た彼の目が何処か暗いものになっていた。
「本来なら、いけませんね」
「あの」
「ですが、ここくらいでしか秘密の話ができないのです」
「え?」
フゥ……と彼は息をつく。そうしてこちらを向いた時、紫釉は今にも泣き出しそうな、必死な表情をしていた。
「お願いします、マサ殿。力を貸してください」
「え! あの、それは構わないんですけれど、何かあったんですか?」
あまりに苦しそうで俺が焦る。勿論友人になったんだから、及ぶ限りは力を貸すつもりでいる。元々そのつもりでここまできたのだから。
もしかして、魔物の事で重大な事が起こっているとか?
そんな事を思っていた俺は、紫釉を見て動けなくなった。彼は笑いながら泣いていた。凄く綺麗に笑うのに、その目からはずっと涙が零れていたんだ。
「紫釉さん」
「マサ殿……我はもう長くないのです」
……え?
一瞬、理解が追いつかなかった。そして次には震えて、否定した。
長くないって……それはどういう!
「我の体はもう限界なのです。このままではおそらく一年、この命は続かない」
「そんな! あの、怪我ですか? 病気ですか? 他の人は!」
急き込んで聞く俺に、彼は静かに首を横に振る。次には凍るように冷たい目をした。
「隠さねばならないのです」
「どうして!」
「この町を、この町の歴史を守る為。地上と海を繋ぐこの町の文化を守る為です」
そう、彼は言い切った。
とにかく立ったままは心配で、俺は紫釉を長椅子に座らせて隣に座った。
彼の手はずっと震えている。肩を落とし、俯いて……怖いよな、こんなの。
「見苦しいですよね。既に覚悟はできているというのに、今更震えなど」
「そんな事はありません」
膝の上で組まれた手に、俺は手を重ねた。それでも紫釉の震えは止まらないままだ。
「……先程の続きです。悲しい事ではありますが、昨夜の狼藉者の考えが魚人族の主流なのです。海の国は他にもありますが、ここほど陸と近い国はない。故に陸と海を繋ぐ事が、この町のあり方です」
はっきりとした声で彼は言う。意志の強い瞳は外へと向けられている。
「ですが、快く思わない者が多いのです。陸の人間を理由もなく、思い込みで嫌っている者が大半です。そうして引きこもり、交流を絶ってしまった。ですがそれではこの海は閉じた世界となってしまう。人も、どんどん狭量となり偏屈となっていく。私の父もそうです」
「……喧嘩、しているのですか?」
俺の問いかけに、紫釉は苦笑して首を横に振った。
「喧嘩にもなりません。我は小さな頃から陸に興味があった。子の中で最も高い魔力を持つ我に父は期待したのですが、言う事も聞かず陸に行きたいと言うばかり。とうとう嫌われ、小さな時にこの町を治める叔父に預けられてそれっきりです」
「そんな!」
それはあんまりなのでは! 憤る俺を見て紫釉は楽しそうに笑う。少しだけ顔色が戻ってきた。
「楽しかったのですよ、叔父との生活は。我以上に地上かぶれで可笑しくて」
「……幸せだったんですね」
「えぇ」
躊躇いなく肯定した紫釉の、それが真実なんだろう。
「けれど父がこの町のあり方を嫌うのは今も同じ。今我が倒れれば、父は代わりの王子をここに寄越すでしょう。自分の言う事を聞く、従順な者を。そうなれば陸との交流は絶たれ、海の世界は完全に孤立してしまう。脅威が広がる今、手を取り合う事もせずただ海神に祈るばかりでは解決できません」
そう、紫釉は確信しているのだろう。
重ねていた俺の手をギュッと握った人はまるで祈るような様子でいる。それがとても悲しく思えた。
「治して欲しいとは申しません。もう少しだけ命を繋げられれば良いのです。秀鈴がこの宝珠に魔力を注げるようになるまで。それまででいい。立つ事も、声を発する事も出来なくていい。あの宝珠に触れ、魔力を送り結界を維持する役目だけでも果たせれば良いのです。マサ殿、お力をお貸しください」
「……俺がここに呼ばれたのは、この為だったんですね」
勿論脅威を取り除きたいという気持ちは本当だろう。けれど紫釉個人の用件はこっちだと思う。
紫釉は一瞬強ばり、少しして頷いた。
「ルートヴィヒ殿に相談し、最初は聖女様に回復を掛けてもらったのですが、あまり効果がなく。ならばと其方を紹介されたのです。瀕死であったロイ殿を救った奇跡の聖人であり、厄災級の魔物ベヒーモスを討伐した人。そのような方であればどうにかならないか。藁にも縋る思いだったのです」
また、彼の白い頬を涙が落ちる。それはポロポロと白い真珠のようになって落ちていく。
「これ」
「……海神の涙ですよ」
苦笑した紫釉がそれらを拾い、綺麗な箱に収める。けれどその箱の中は沢山の真珠で埋まっていた。
ここで一人、どうしようもない現実を抱えて泣いていたのだろうか。誰にも言えず、時が過ぎていくのを恨めしく思っていたんだろうか。
「……怪我、ですか? 病気ですか?」
「マサ殿」
俺はギュッと紫釉の手を握り、ちゃんと前を向いた。
俺にどこまで出来るのかは分からない。でも、助けてって言っている友人を見捨てたくない。強くなるって、決めたんだろ。
俺を見る紫釉が嬉しそうに笑う。けれど次には歯切れが悪くなった。
「病気……なのでしょうか。怪我のようでもあるのですが、傷がないので」
「え?」
「……魔力を使うと、全身が痛むのです。手から腕にかけてはズタズタに裂かれたように痛み痺れて、今では気をつけないと震えてしまいます。物を落とす事も増えていまして」
「病気……」
「文献を調べてみたのですが、それらしいものはなく。発症も突然で原因は分からぬままです」
ジッと見てみると鑑定眼が仕事をするけれど、体調不良である事しか教えてくれない。なんていうか、ピントが合っていないみたいな感じがする。もしくは解像度が足りない?
「最近、リヴァイアサンの動きが変わり活発になってからというもの、周辺の魔物まで活性化しております。そのせいで結界に負荷がかかり、僅かに損傷する事も増えました。本来であれば一日一度でいい魔力の供給を日に何度も行っていた時に、突然激痛に襲われたのです」
痛い……ってことは、やっぱり原因はあるんだと思う。
とりあえず、俺は紫釉の手を取って祈った。痛みが和らぐよう、不調が消えるように願って魔力を送り込んでみる。
でも、なんだろう。妙に抵抗を感じるというか、上手く入っていかない感じがする。
それでも何もしないよりはと、俺はそのままずっと祈りながら手を握っていた。