「マサ殿、お願いです」
「っ!」
どうする? どうしたらいい! 何度鑑定眼で見ても原因が掴めない。ただ状態異常を示す部分が黄色くなっている。危険度が増したってこと?
見えないものは直せない。分からないものは直せない。俺の知識がきっと足りていない。このままは危険だって、俺だって分かるのに。
不意に、震えた手のまま紫釉が俺に触れた。苦しいのに、それでも微笑んで。
「今を乗り切れればいいのです。お伝えした通り、そう長くはなかった。悔しくはありますが、今を守れればもう贅沢など申しません」
「そんなのダメですよ!」
俺は嫌だ。今だって、悲しそうなんだ。目を見れば分かるんだ。笑っているけれどその目は泣いている。まだ諦めたくなんてないはずなんだ!
俺は宝珠を見て立ち上がる。そしてそこに触れて、魔力を注いだ。
「マサ殿!」
俺の置いた手に宝珠が吸い付くとピリピリする。科学館とかにあった静電気のガラス玉みたいだ。それが俺に繋がって魔力を吸い取っていく。
でも、俺の魔力は膨大だ。今だけでも乗り切ってみせる。問題は……。
「紫釉さん、魔力は俺が注ぎます。でも、結界の修繕とか細かな感覚が俺じゃわかりません。お願いできますか」
「そんな! もの凄い魔力を消費するんです。倒れてしまいますよ!」
「大丈夫です。俺の魔力、虹色級なので」
この無駄に多い魔力を今使わなくて何に使うんだ。俺には戦う事なんて出来ない。それならせめてこういうことくらいはしないと。
紫釉の表情が締まり、座ったまま震える手を宝珠に置いた。すると彼は驚いた顔をして俺を見た。
「凄い……本当に結界の維持に必要な魔力が足りています。これなら補強と修繕のみに魔力が使える!」
紫釉の体から青い光の帯のようなものが流れて宝珠へと吸い込まれていく。すると俺の手から取られる魔力が僅かに増した。
けれど同時に宝珠の中に、なにやら映像が映り込んだ。
「え?」
それは結界から見える映像だろうか。突然外壁の外の映像が映り込んだ。そしてそこにはクナルと燈実の両名が、リヴァイアサンに対峙しているのが見えた。
「あ!」
思わぬ事に声が出る。それは紫釉も同じで、心配そうな表情で食い入るように見ている。
間近に見るリヴァイアサンの大きさはやはり大きすぎて分からない。ベヒーモスに似た圧迫感を感じる。こんな巨大な魔物を討伐しようとしているなんて。
「リヴァイアサンって、どうやったら討伐できるんだよ」
「体の何処かにある逆鱗と呼ばれる部分を貫けば死ぬと、天啓がありました」
「逆鱗?」
それって、弱点ってこと? でも何処にあるか分からないんじゃどうしろと。
「作戦では寝床を探し、そこに強力な眠り薬と痺れ薬を撒いて行動力を削いで探し、逆鱗へと一斉に攻撃する予定だったのです」
「それでもおそらく倒しきる事はできないでしょうが」と彼は続ける。それでもかなり弱らせる事はできると予測しての事だ。
そのまま追い立て、海面に姿を出した所で地上からも攻撃をしかけて挟み撃ちにする。それが海洋都市ルアポートとの討伐予定だった。
「我の体が多少まともになれば海中だけでも勝負を決する事が出来たかもしれない。そうでなくてもこの程度はするつもりでいたのですが」
宝珠の中でリヴァイアサンはクナル達に向かって突進をする。もの凄い速さのそれをクナルも燈実も除けた。よく見たら足の辺りからジェット噴射みたいな水が吹き出ている。
「クナル殿は水と氷の精霊と親和なのですね」
様子を見ていた紫釉に俺は頷く。
宝珠の中のクナルはグングンと上へ向かい、そこで手を上へと大きく伸ばしている。するとそこに巨大な槍が現れた。氷で出来たその槍は……え?
「大きすぎない!」
隕石みたいな大きさになっている槍を思い切り振り下ろしたクナルは更に水の魔法で後押しし、槍の速度は弾丸みたいになっている。
それがリヴァイアサンの胴体に突き刺さると、流石の魔物も大きく胴をくねらせ海底を叩き、それで大きく町が揺れた。
「うわぁぁ!」
「っ!」
結界も軋むような音を立てる。俺は慌てて魔力を注いで、紫釉も修繕を行った。
「海中ですので水の精霊は豊富……と申しますか、ほぼ囲まれている状態ではありますが、それでもあのような魔法は」
「はは……」
どうにも怒っている……よね?
クナルが完全にリヴァイアサンの注意を引いてくれたおかげで結界の修復はかなり終わって、心なしか紫釉の表情も和らいだ。
ふ……と息を吐き、椅子の背もたれに体を預けた彼の息は未だに切れている。いっそ息苦しいんじゃないかってくらいだ。
近付いて触れると指先なんかは冷たく感じるのに首筋は熱い。意識も少し浮いている感じがある。
「紫釉さん、しっかり」
「ありがとうございます、マサ殿」
「え?」
「どうにか、守れそうです。クナル殿と、燈実が無事であれば後は」
宝珠の中の映像は続く。
クナルを敵とみなしたリヴァイアサンは食い殺そうとしている。けれどクナルはとても身が軽い。素早く逃げたかと思えば長大な胴を思い切り殴りつけている。ただ、こんな大きな魔物では殴る程度はダメージにならない。それでも動き回るだけ敵の体力も落ちる。
そこに燈実が刀を抜き、そこに魔力を込めた。
トンと地を蹴り舞い上がった彼がリヴァイアサンの胴体めがけ刀を振り下ろす。青い残像を残した斬撃は巨大な魔物の胴に確かな傷を残した。
「凄い!」
正に武将という感じの燈実の強さに思わず声を上げると、紫釉も嬉しそうに頷く。その視線が、見つめる様子がとても幸せそうだ。目尻を下げ、自然と微笑む人を見て、俺はこの二人の間にも……少なくとも紫釉の中では特別な感情があるのかなって、そんな風に思う。
だってこの目はロイが殿下を見る、殿下がロイを見る目に似ている。もしくはリデルがデレクを見る目にも。
でもお互いに何も言っていない。きっと紫釉は言わない。それが言えているなら体の事もきっと言っている。
治す方法を探さないと。決意を新たにする俺の視線の先に映る宝玉の中で、リヴァイアサンは海底に倒れた。