俺は丁寧に曇った部分を拭いた。隅々だ。そうすると元の綺麗な透明に戻っていったけれど……次には違う問題が見えてきた。
「目の表面が凸凹になってる……」
角膜っていうのかな? 目の表面に凄く歪な凹凸ができている。凹んでいる部分は溶けた感じだ。
これが毒の影響なんだろうか。一番深いところだと眼球にも傷がついている。
このままだと見えないと思うし、凄くドライアイになりそう。
そういえば、星那はよくカラーコンタクトを使っていた。あれって、眼球の形に合うようになってたよな? 例えばこの、凹んだ所を透明な……周辺と同じ素材で滑らかに埋めていって、表面に凹凸がないように整えて……。
うんうん言いながらも俺は指先を動かす感じで周辺の透明な部分を増やして延長して、凹凸を滑らかに整えていく。金の光が溶け込んで失われた部分を補っていくのが分かる。
そうして格闘すること十五分。どうにか納得できる状態になった。
「ふぅ……」
よし、一息。あと気になったのは目の筋肉だ。随分動きが悪そう。多分悪くなった目を酷使するから、疲れているんだと思う。
こういう時は温めるのがいいって、俺は知っている。何せホットアイマスクのお世話になりっぱなしだったから!
「あ……あぁ、これ……はぁぁぁ」
「うお! なんだリンデン、妙な声を出して!」
「目が……気持ちよくてこれ、温かいのがジワッと染みこんで……」
「……ほぉ」
一瞬、殿下の鋭い声が聞こえたけれど気のせいにしておこう。
手の平温かで目の筋肉も十分に解れた所で、俺は手を離して目を開けた。
「どう、ですか?」
リンデンに声をかけ、彼が目を開けて……固まった。
「あの、治ってませんか!」
「いえ! あの、見えすぎるくらい鮮明で、こんな……」
呟く彼の目から涙が零れて溢れていく。それがポタポタ落ちていって、彼の服を濡らした。
「ありがとう、マサ。この目はもう戻らないと諦めていた。それがまた……こんなに鮮明に見えるようになるなんて」
「リンデンさん」
ぱっと振り返り、しっとりと濡れた手が俺の手をしっかりと握る。その強さが、彼が今まで耐えた辛さなんだと思ったら俺までジンときた。
「良かったです」
「ありがとう」
「良かった。ところでトモマサ、目が温かくて気持ちいいというのは、どういうものかな?」
「あ……」
ニッコリ笑った殿下の目が怖い。これは多分、やらなきゃ終われない奴だ。
すごすごと殿下の後ろに回り、「失礼します」と声をかけて同じように手で覆い、目の奥の筋肉に温かく届けるイメージをする。
すると殿下も同じように「はぁぁぁぁ」と声を上げている。ライオンの耳が徐々に横向きにぺたんと寝てきた。
十分程度そうしていたか。解れた所で手を離すと、殿下は目を開けて辺りを見て……俺を見て手を握った。
「定期的にお願い」
「え? えっと……そんなにですか?」
「書類仕事が多くて目が死ぬ。なにこれ、目が凄く軽い。明るさまで違って見えるよ」
でも、定期的にって……。
「温めたタオルを畳んで目の上に置くだけでも違いますよ」
「なるほど、それもありなんだ。試してみる」
これ、今度リンデンにホットアイピローとか教えたら作るかもしれない。
なんとなくそんな予感がした。
何にしてもこれでリンデンも聖樹の森に行って兄捜しができる。
ルルララ様は一足先に戻って準備を整えると帰っていき、俺達は数日後に護衛騎士と馬車を用意して向かう事となった。片道二週間、なかなかの遠出だ。
宿舎に戻ってデレクに報告をし、グエンにも報告するともの凄く渋られてしまった。俺の料理がもっと食べたいと言われて嬉しいやら。レシピを教える約束をして、実際に教えて作ってしているとあっという間に準備が出来た。
出発の日、リンデンは伊達眼鏡に弓と杖を持って合流し、クナルは相変わらずの軽装。俺は普段着に防寒用の外套と愛用のマジックバッグを持って馬車に乗り込んだ。
長期旅行用の馬車はそれなりに大きく広く作られ、座面は柔らかい。この中で寝る事も想定しているらしい。
見送られて出発し、色んな町を通り時に野宿をして、順調に二週間。俺は目的の聖樹の森の手前に降り立った。
「凄い森だ」
見渡す限りの木々に思わず声が出る。国境の高い外壁を出てから数時間、馬車で行けそうな整備された道はこの森の手前で終わっている。
「ここからは徒歩になるよ」
手荷物を持ったリンデンが声をかけてくる。
そして俺の隣にクナルが立った。
「歩きづらそうだな。マサ、手を」
「うん」
すっと手を差し伸べられ、従って手を置いて歩き出す。
ここからが本番だ!
§
意気込んで聖樹の森に入って一時間。俺は既にバテバテだ。
「悪いリンデン、少し休憩を頼む」
俺の隣を補助しながら歩いているクナルが声をかけ、数歩先を行くリンデンが振り向いて頷いた。
「そうだね。じゃあ、三十分くらい休憩にしようか」
「ご……ごめん……」
「大丈夫。後二時間くらいかかるし」
二時間この状態なんだぁぁぁ。
大きな木を背にして座った俺の隣にクナルもついて水の入った水筒を出してくれる。それを飲み込むだけで大分癒される感じがした。
見上げる空はほとんどが木々に覆われ濃淡の違う葉が茂っている。にも関わらず明るい日差しは地表まである程度届いていて、澄んだ空気に満ち満ちている。道は木々の根や倒木があり平坦な道のりではなく、更に獣道らしいものもない。苔もあって滑りやすく、俺は足を取られて何度も転びそうになった。
「道らしい道もないのに、リンデンさんは迷わないんだね」
俺にはさっぱり分からない。黒の森はまだ獣道みたいなものが薄らとあったけれど、ここはまったくだ。
「俺にも分からないな。方角くらいは分かるが」
「慣れもあるし、聖樹の発する独特の魔力もあるからね。私の目には、仲間達や聖樹が導く魔力の道が見えるんだ」
「魔力の道?」
不思議な言葉に首を傾げると、リンデンは笑って頷いた。
「エルフは特に魔力に敏感な種族なんだよ。魔力にはそれぞれ癖があったり、色がある。音の時もあるし、匂いの時もある。私が辿っている道はそういうものが濃い道なんだ」
「人が多く通った目に見えない痕跡を辿っているわけか」
「まぁ、そういう事だね。クナルだって匂いに特化して感じてみれば分かるよ」
そう言われ、クナルはクンクンと空気を嗅ぐようにする。そうして少しで、すっと先を指差した。
「草花と果実の匂いだな」
「おぉ、流石。歌も聞こえないかい?」
「風に乗って微かにな」
「聖樹が歌っているんだ。この森を守るようにね」
人間の俺にはまったく分からないけれど、二人は感じ取っている。そういう、不思議な感覚が多分本当にあるんだろうと思う。