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11話 東国からの要請(2)

「あの、緊急の事と聞きました。いったい何が起こっているのですか?」


 この問いに猿之介はスッと静かな目になり、お茶を一口飲み込んで居住まいを正した。


「病でございます」

「病?」

「はい。事は一ヶ月程前、突然でした。里の老人を中心に複数人が、突然腹が痛いと言って倒れたのです」


 それは本当に、何の前触れもなかったのだという。

 症状は腹痛、下痢、嘔吐などの食中毒に似た症状。それらを訴えたのも老人がほとんどで、真っ先に隔離してそれらに効く薬を煎じ飲ませたという。

 同時に症状の出た家の食事や台所、食材を保管している場所や周辺も調査されたけれど不審な所もない。何より食中毒であれば家人も同様の症状が出る事が多いがそれもない。

 行動を洗い出したが、大抵が家で飲み食いをして外食はほぼしていない。


「その間に高熱が出て、食事を取れず体力が落ち、痙攣を起こす者も出始め、既に数人が……」

「っ」


 もう、余談なんてない話なんだ。


「里にある薬草の類いは全て試しましたが、どれも効果がいまいち。魔物の穢れかとも思いましたが、傷を負った様子もない。患者は増えて隔離しているお堂は地獄のような有様。そこで俺が国を代表し、まずは交流も深いエルフの森へと赴いたのです」


 そこで、俺の話を聞いたという。

 聞くと、おそらく俺達がエルフの里を出て数日後の事。エルフ女王ルルララ様達が、俺の事を伝え「よくしてやって欲しい」と殿下へも口添えを持たせてここに急いだという。


「薬草も多く持たせていただき、ポーションも分けてくださいましたが、これまで薬の類いがいまいち効かなかった事もあり、奇跡の聖人様を頼った次第です」


 丁寧に膝に手を置いて深々と頭を下げた猿之介は少し震えていた。きっと、不安でいっぱいなんだろう。

 俺はクナルを見る。するとクナルもこちらを見て、強く頷いてくれた。


「やります」

「智雅様」

「様なんて! 俺に出来る事は可能な限り力になりたいです」


 俺がそうしたい。お世話になった分を返したいんだ。


 こうして瑞華遠征が決まった。船で三日程かかるそうで、船の手配を殿下がしてくれる事となった。

 三日後に王都の港で。

 そう決まったなら、俺はこっちでやってみたい実験をする事に決めた。


§


 城に呼び出された翌日の夜、俺は夕飯の片付けも終えた後で試作をする事にした。


「マサは本当に料理好きだな」

「グエンだって料理好きだろ?」

「お前にゃ負けるって」


 そう言いながらも俺の手伝いをしてくれるグエン。それに俺についているクナルとお茶友のリデルがいる。


「何やら、見た事のない食材ですね」

「カカオだよ」


 俺が取りだしたカカオは二百グラム。これをまずはローストする。オーブンで余熱をして、これらを重ならないように天板に並べて三十分程度熱している。これによってチョコの香りや深い苦みが出てくるのだ。


「なんか、嗅いだことのない匂いだな」

「ナッツを炒ってる時の匂いにも似てるが、もっと苦みのあるような」

「これ、本当に食べ物なんですか?」


 俺としては徐々にチョコ独特の香りを感じるけれど、こちらでは初めての香りで戸惑いが大きそうだ。

 そう、俺が今作っているのはチョコレート! 定番の甘味で、ちょっと中毒性すらあるあれだ。

 この世界にチョコはなかったから、そもそもカカオが無いんだと思っていた。まさかドラゴニュートの国にあるとは!


 ローストが終わったら作業台の上に広げて、手で持てるくらいまで冷まして殻剥きだ! 地味作業だけれど大事だ。使うのは殻を剥いた中身だけだから。

 殻を割る方法は簡単。栗と同じだ。親指と人差し指で挟んで力を込めるとパキッと外皮が割れる。そこから丁寧に殻を取り除いていくのだ。


「地味で疲れるな」


 これはクナル達も参加してくれて、四人で黙々と行っている。なんか、案外無言で集中するんだよな、もやしのヒゲ取りとか。


 そうしてボウルに集められたカカオの実は約百六十グラム。おおよそ想定通りだ。

 ここで砂糖を用意するわけだが、カカオ何パーセントで設定するかによって砂糖の量が変わる。今回は六十パーセントくらいを目指して材料を用意した。

 砂糖、カカオの実、本来ならカカオバターが欲しいけれど無かったので代用で無塩バターを入れる事にした。これに粉末ミルク。代乳で使われるらしい。


「マサ、これがいるんだろ?」

「ありがとうございます!」


 グエンが持ってきてくれたのはこの世界の粉砕機だ。しかもかなり大きい。その分、粉砕スピードの他に粗めから微細まで作れる優れものだ。

 まずはこれでカカオの実を粉砕する。魔法石に魔力を送ると中の刃が高速回転していく。順調に粉砕されていくことで香りはより出てきた。


「けっこう細かくするんだな」


 手元を覗き込んだクナルが珍しそうにしている。グエンも同じくだ。


「滑らかな口当たりにするならできるだけ細かい方がいいんだ」


 まずは粗めに。そこから徐々に細かく粉砕していくと粉状になるけれどまだまだ! これだけでも徐々に粘り気が出てドロドロになっていく。一旦粉砕機の蓋を開けて確かめて、更に細かく。ちょっとずつチョコ感が出てきた所で、粉砕機から巨大なすり鉢に変更した。

 すりこ木で更に細かくすり潰していく。粉砕機から出した時点でかなりの熱が加えられている。ここから耐えず擦り続ける事で温度が下がらない様にするのが目標だ。


「グエン、しっかり押さえててくださいね」

「おっ、おう!」


 すり鉢をがっちりと持ったグエンは頷く。俺はそこから一心不乱に、一定の速度で擦り潰した。

 こういう地味に筋力を使うのって、お菓子作りだと定番だ。泡立て器でバターと砂糖を混ぜたり、メレンゲ作ったり、生クリーム泡立てたり。あれがどれだけ筋力トレーニングになるか。


「マサ、大丈夫か?」

「任せて」


 ゴリゴリしながら既に照りまで出始めたカカオはもう粉感はない。最初の粉砕機が余程優秀だったんだ。楽が出来る。

 そうなるとここに砂糖、バター、粉ミルクを数回に分けて投入。更に擦り混ぜていくと溶けていく。これが不足すると舌にざらつきが残るんだ。


「トモマサさん、あんなに細い腕の何処にこれだけの力が」

「俺も最近これに気づいた」


 クナルが呆れ、リデルはちょっとオロオロしている。

 本来ならばここから完璧に滑らかになるまで数日擦るけれど流石に無理。材料全てを滑らかになるまで擦り合わせること二時間。額に浮いた汗を拭いつつ俺は鑑定眼でチョコの温度を測った。


『温度:五一度』

「よし!」


 理想的!すり鉢から浅めのボウルにチョコを移して、氷水を入れた深めのボウルに重ねて冷ましながら木べらで滑らかにしていく。所謂テンパリングだ。

 これを行う事でバラバラだった材料の中の粒子を綺麗に整えていく。温度管理が面倒くさいんだけれど、今の俺はお茶の子さいさい! 鑑定眼を常に使って温度をリアルタイムに見ている事ができる。


「グエン、お湯用意しておいて」

「おう」


 ずっと手伝いながらも俺のしている事を不思議そうに見ているグエンだが、流石に手際がいい。さっさと薬缶でお湯を沸かし始めた。


 その間にもチョコは二〇度程度になっていく。

 ここで氷水からは上げて水を捨て、代わりにお湯を入れてもらって今度は湯煎。もったりとしていたチョコは少し温められてまた滑らかな輝きを増していくが、ここでは時間をかけずささっと。温まり過ぎると失敗だ。

 パッと温めるだけでもチョコの温度は三〇度少々。ボウルから上げたら、次の工程だ。


 オーブンを予熱。そして取り出したるは今晩の余ったパン。これを食べやすい薄さに切っていき、ここにチョコを潜らせて天板の上に並べる。

 そうして数十分焼き、次にクナルにゆっくりと冷やしてもらって完成だ!


「チョコ染みパンの出来上がり!」


 余るとやっぱり硬くなるパンにチョコを染みこませて再度焼き、冷やし固めたもの。これがまた美味しいんだ。

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