慌てて先の二人の元へ行くと、思い切りシムルドに「遅い!」と文句を言われた。
下を眺めると八岐大蛇はノソノソと辺りを動き回りながら長い舌を出している。どうやら警戒しているようだ。
「俺と猿坊でまずはあいつらを攪乱する。クナルは智雅を連れて社まで行き、守りに徹してくれ」
「分かった」
「智雅、瑞華と蛇野郎との繋がりは見えるか?」
問われ、鑑定眼でよく見ようとするけれど距離があるからか見えない。首を横に振るとシムルドは頷き配置についた。
軽やかに地面へと降り立ったシムルドを見つけて、八岐大蛇は最大限の警戒をしながら叫ぶような声を上げる。細かな振動で空気や地面が揺れている。それに心配してクナルと猿之介を見たけれど、今度は二人とも大丈夫そうだ。
「音も武器とはよく言ったもんで」
「大丈夫なの?」
「シムルド様に防音障壁の張り方を教えていただきました。一定以上の音を遮断するなんて、凄いですな」
「俺も平気だ。多分マサからの加護のお陰だな」
これで一番の懸念はなくなった。三人で頷き、まずは猿之介が先に戦うシムルドへと近づき素早く手で印を結んだ。
『分身!』
それは魔法なのか、忍術なのか。一気に五人に増えた猿之介が八岐大蛇を翻弄しながら四方へと逃げる。首はそれを追おうとするけれど、これで胴体は一つ。それぞれが好き勝手な方向へと向かうと対応しきれないのか立ち往生している。
「上手いな」
「うん」
「今なら行ける」
俺を背負ったクナルが一足飛びに地上へと降りる。一瞬空中に浮かんだ感覚と、落下時の内臓が持ち上がる感覚。見る間に地面が近付いていくのを怖いと感じ薄目になるが、クナルは気にもせずに綺麗に着地し、そのまま社へと一直線に走った。
これに八岐大蛇は気づいた。だがその首がこちらを向くよりも早くシムルドが思い切り胴体を蹴飛ばす。数メートルはありそうな巨体が数十センチ浮き上がるような蹴り上げに、この怪物も流石に苦しげな声を上げる。
その間に俺は社に到着し、クナルの背を降りて駆け寄った。だが、それは途中で阻まれてしまう。社の周囲をぐるりと、黒い結界が囲っていたのだ。
『浄化!』
何度もやっている間に言葉と行動が対応し始めている。俺は結界に向けて浄化を行った。この真っ黒な感じは穢れに似ていたから、咄嗟にそうした。
けれど俺の浄化は結界に弾かれてしまった。
「そんな!」
簡単な浄化じゃだめなのか。そうなるともっと魔力を込めて使わないと。
「懐かしい匂いがする」
「え?」
驚いて見ると、社の中にいた少女が薄らとこちらを見ていた。何処か虚ろに、だが意志を持って見下ろしているのだ。
「其方、姉様の匂いがするの。メリノ姉様かと思ったぞ」
「貴方は」
「瑞華じゃ。この地を任されていたというのに、情けない神獣の一柱じゃ」
そう、自嘲している。そしてふと見て、驚いたように紫の瞳を開いた。
「シムルド? 坊や、あそこにおるのはシムルドかや?」
「はい」
「なんと……あぁ、懐かしい兄様じゃ。もう二度と会えぬと思うておったが。そうか、生きておるのだね。元気そうじゃ」
そう言って、少女は涙を流して笑う。それがあまりに痛々しくて、俺は必死に結界を解こうと踏ん張った。
社を囲うような真っ黒な結界は地面に何やら模様を描いている。そこには幾つか楔になっているポイントがあるんだけれど、それをどうにかしようにも一向に上手くいかない。触れようとすると強い力で弾かれてしまう。
「っ!」
「大丈夫か」
「俺は大丈夫。でも」
八岐大蛇の方を見て、俺は焦る。シムルドはまだ大丈夫そうだけれど猿之介はかなり消耗している。このまま俺の方で打つ手無しではじり貧だ。
「酒じゃ」
「え?」
「あの蛇野郎、酒が大の好物でな? 出せばベロンベロンに酔っ払って止まるぞえ」
「え!」
不意に聞こえた声。見れば瑞華はニタリと凶悪な笑みを浮かべている。美少女のニヒルな笑みって……。
だがいい事を聞いた。あれが止まれば少し時間を稼げる。
「クナル、水球って出せる?」
「ん? あぁ。でも、ただの水だぞ?」
「大丈夫」
ただの水なら、俺が酒に変えてみせる!
クナルの出した人の頭ほどの水球に触れた俺はとにかく願った。なんでもいい、味なんて二の次の強い酒! 大蛇を酔わせる八塩折之酒だ!
水球から徐々に強烈な酒の匂いがし始める。ワインみたいなものではなく、とにかく酒精の強い日本酒のような匂いだ。
「これ、俺達も酔わないか?」
「かもしれないけれど、とにかくぶん投げて!」
「了解!」
水球を思い切り振りかぶったクナルが放ったそれはグングンと伸び、見事蛇の頭の一つに当たった。途端に弾ける強い酒の匂いに対峙しているシムルドまで「ん!」という顔をし、猿之介はちょっとしたらホワァァという目をした。
「もう一発!」
「おうよ!」
用意される水球を次々強力酒精弾に変更して投げてもらう。次々ヒットする酒に八岐大蛇は徐々に良い気分になってきたのか首が上に下にと揺れてきている。心なしか目もトロンとし始めた。
「特大準備できた!」
「ぶちかます!」
俺一人くらいはすっぽり入ってしまいそうな特大酒爆弾をぶん投げてクナル。それは見事に八つの蛇の首全部にぶつかって弾け、地面には浴びるような酒溜まりが出来た。
そんなものでずぶ濡れになったシムルドは呆然。猿之介は酒気だけで酔っ払ったのか、地面に伸びてしまっている。
「くくっ、ふはは……あーははははは! どうじゃ蛇野郎! 状態異常は流石に譲渡できまい。無様に酔っ払うがよいわ!」
縛られて身動きの取れない瑞華まで上機嫌で笑っている。
そこに、酔い潰れた猿之介を引きずったシムルドが合流してムスッとした。
「俺まで酒浸しにするこたぁ無かっただろうが」
「ごめん、楽しくなっちゃって」
「勘弁しろよ、酔っ払い。のんべんだらりでベロンベロンだぞ、ありゃ」
八岐大蛇は一人祭で盛り上がり、大量の酒を浴びるようにして楽しんでいる。既にこちらなど眼中にないようだ。
「まぁ、このまま酔っ払って寝るまで待つか」
「そうだね」
蛇は酒好き大酒飲み。そして鬼も蛇も酒に酔わされ失態を犯すのが日本の物語の定石だったりする。
八岐大蛇は久しぶりの酒を大いに楽しんだ後、そのままだらしなく床に突っ伏して眠ってしまった。