その夜、俺達の部屋に瑞華が来て酒を交わしながら話をする事になった。離れの縁側は綺麗な庭に面していて、開け放てば青白い綺麗な月が見える。
「手間をかけたなえ、智雅」
「無事で良かったよ」
お猪口に酒を入れてチビチビと飲む俺と瑞華の側で、クナルはちょっと無理をして日本酒を飲んでいる。飲み慣れないなら無理をする事はないのに、同じ物が飲みたいと言って付き合ってくれている。
「ねぇ、瑞華。間違ってたら悪いんだけど」
「ん?」
「千姫の先祖って、瑞華じゃない?」
ずっと気になっていたから尋ねてしまった。それくらい、二人の雰囲気は似ていたのだ。お淑やかで物静かな千姫と、明るく活発な様子の瑞華では受ける印象こそ違え、パーツで見ると良く似ている気がしたんだ。
俺の指摘に瑞華は少し驚き、次には嬉しそうに頷いた。
「妾と弥彦の子の末裔だろうの」
「そうなんだ」
聖人と神獣の恋か。ロマンチックだな。
「まぁ、妾の寿命は長すぎて、人の寿命は短すぎた。年老いた弥彦とずっと居たくて、子を人に託してあそこに籠もってしまったのだがな」
「やっぱり、あの仕掛けを考えたのは弥彦さんだったんだ」
「左様じゃ。同郷の者ならば解けるがこの世界の者ではまず難しかろうとな。だが、少々籠もりすぎたのじゃろう。このような事態になってしまった」
少し寂しそうにしながらチビリと飲み込む瑞華は、ぼーっと月を見ている。その横顔は見た目の幼さとは違って、大人の顔をしている気がする。
「瑞華殿、お聞きしたい。貴方にあのような術を掛けたのは何処の誰か」
クナルの硬い声に瑞華は紫色の瞳を向け、ゆっくりと頷いた。
「黒い外套を纏う者が、社で眠る私を押さえつけて術をかけたのじゃ」
「黒い外套……ローブの事だったか。ではやはり、邪神崇拝者が」
「そうさな。だが妾の力を押さえて八岐大蛇を覚醒させたのは違う者じゃぞ」
「え?」
虚を突かれた様子のクナルを見る瑞華は、暗く不穏な目をする。残っていた酒を一気に飲み干した彼女は空の器を見つめ、口を開いた。
「妾を封じ、八岐大蛇を覚醒させたのは天人族じゃ」
「!」
確信のある言葉に、俺の心臓はギュッと絞られたように痛んだ。
女神を祭る女神神殿の総本山、天空都市。そこに住むのが天人で、神殿の大神官などは皆天人だと聞いている。
そんな者が、神獣を封じて魔物を蘇らせた。
「女神神殿と邪神崇拝者が組んでいると?」
「そうさな」
「あり得ないだろう」
クナルもこれはきっぱりと言う。だが瑞華は小さな笑みを浮かべた。
「そも、女神神殿と冠しておるがな。あの者等が本当に女神を崇拝しているかなど分からぬぞえ」
「……どういう意味だ」
「……妾が見たのは大きな白の羽を付けた、金髪金眼の天人。だがその顔に……その目に妾は見覚えがあったのよ。よもやの者の面影が」
「それって……」
だがそこで、瑞華は口を閉ざした。確証のない事を言うつもりはない。そんな様子で。
「何にしても、神獣を利用しこの地に害を出したとなれば女神神殿への追求も可能になる。これは一度殿下に相談すべきだな」
「止めておけ。多くの犠牲を払っても得られるものなどないぞ」
「だが!」
「それに……そうさな。そのうち接触もあろうよ」
そう言った瑞華が俺の顔をジッと見る。何か、確信めいた様子で。
「智雅の中に姉様の魂がある限り、奴は欲しいだろうのぉ。であれば、強引にでも手に入れようとする。クナルや、しかと守れ。相性が悪く、妾から其方に何も贈り物が出来ぬのは心苦しいが、智雅にはしっかりと守りを授けた。愛しい者であれば、守ってやれ」
既に俺の手首にあるブレスレットには真っ赤な宝石が嵌まっている。蒼旬やシムルドと同じく、何かあれば瑞華も駆けつけてくれるという。
不意に強い視線を感じた。それはクナルで、俺の事をジッと見つめている。その様子をニヤニヤと眺めた瑞華は立ち上がり、うんと伸びをした。
「さて、行くかのぅ。世話をかけたなえ」
「千姫に挨拶しないの?」
「なに、同じ土地におるでな。これからは近く見守ってゆくよ。忌々しい楔も無くなったことだしな」
首元をクリクリと手で撫でた瑞華がポンと庭に踊り出る。そして次にはとても美しい狐の姿に変わった。
真っ白い肢体に九つの尾。耳と尾の先が朱色で、目尻も朱色が入ったその神獣はぱっと月を仰ぎ見てそこに向かい走っていく。天を翔る姿はやがて山向こうに消えてしまった。
「行っちゃったね」
少し寂しくも思えて口にした。その俺の体を横合いから、クナルがグッと抱き寄せてくる。少し冷たくなっていた体が、急に温かくなった。
「俺が守る。絶対に」
「! うん」
嬉しい。素直にそう思える。
実際は凄く難しいと思う。殿下ですら慎重になる相手に敵対する可能性もあるのに。
でも、信じている。実際は分からなくても俺は、クナルの側にいたいから。
「俺も、クナルの側にいたいよ」
回された腕に手を添えて、逞しい胸に身を預けて。俺はそっと目を閉じた。