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12話 北国から、愛をこめて(6)

§


 それからも旅は順調に続いた。途中何度か馬を入れ替えて、俺と星那で馬が元気になるよう励ますと回復がかかったりもして。これにオレグが驚いたりして。

 野宿をしたり天候のいい日は夜も走ったり。

 気づけば辺りは真っ白な雪景色になって、音は吸い込まれるように静か。毎夜綿のような雪が降るようになっていた。

 それでも予定よりも七日早く最初の目的地、北の辺境レナウォンへと到着した。


 鬱蒼とした黒い樹皮の森を抜けた先は少し開けて見通しが良く、その先に高い壁が見える。しっかりとした塔を備える壁は町をぐるりと囲んで、外から見ても堅牢だと分かるものだった。


「立派だね」

「新しい領主が真っ先に壁の補修と補強をしたようでしたよ」


 オレグの言葉に俺と星那は顔を見合わせる。俺は正直、驚いている。今の領主はスティーブンだから。

 けれどオレグから聞こえてきたのは、俺の思い込みとは違う言葉だ。


「昨年まではボロボロで、正直心配しましたけれどね。今の領主は着任して間もないのによく立て直しましたよ」


 嬉しそうなオレグを見ていると……この立派な外観を見ていると、俺の思い込みは間違っているんだと思う。いや、間違いではないんだけれど。


「見極めよう、お兄ぃ」

「星那?」

「私はその為にここにきたの。あの人を、もう一度ちゃんと見ようと思って」


 強い決意を秘めた星那の眼差しに、俺はおずおずと頷く。俺は正直今も怖い。この世界に来て最初に受けた恐怖も、黒の森の出来事も忘れる事はできない。俺の中のスティーブンは身勝手で、高慢で横暴で。

 でもエルシー妃が言うスティーブンは心優しい。殿下の言う彼も臆病だが優秀らしい。

 心を操られていたあの人が今どうなっているのか、その答えがこの先にあるんだ。


 馬車が近付いていくとその先が見えてくる。立派な城門の前に誰かがいる。

 長い金色の髪はこの白い世界で輝いて見える。大きな狼の耳に、ふさふさとした尻尾が怯えたように垂れ下がっている。それでも背を伸ばし一人でいる彼を、俺は知らない誰かを見ている気分で見つめた。


 馬車が止まり、クナルが扉を開ける。オレグを残して俺と星那だけが降りたその先に、彼はいた。

 緩く波を打つような長い金髪に、切れ長の青い瞳。知っているのに、受ける印象はまったく違う。目尻を下げ、表情は柔らかく申し訳無く、同じく金色の尻尾は今にも股の間に入ってしまいそうなほど下がっている。震えそうな程怖いんだ。

 それでも彼は進み出て、俺と星那の前で膝を折って騎士の礼をした。


「遠路遙々お越し頂きありがとうございます、聖女セナ様、聖人トモマサ様」

「!」


 穏やかな声で俺と星那を迎えてくれたスティーブンからはもう、あの激しい感情は伝わってこない。苛立ちも。


「そしてまずは、お二方に謝罪したいのです。私がお二方に行った卑劣な行為も、高慢な態度も、全ては私の愚かさ故。今更何を言っても遅い事は重々承知しております。受け入れて欲しいなどとは申しません。ただ一言、謝りたかったのです。本当に、申し訳ありませんでした」


 深く、これ以上は土下座になるんじゃないかってくらい頭を下げたスティーブンは震えている。耳は垂れて、それでも向き合っている。

 俺は、正直あの恐怖を忘れる事はできない。でも……今の彼を信じたいとも思う。地位のある人が人前で、こんな風に謝るのはとても勇気がいることだと思う。凄く怖いと思う。その勇気や覚悟を、突っぱねるのは違うんだ。


 歩み寄った俺の気配をスティーブンは感じたんだと思う。ギュッと身が竦んだのが俺から見ても分かる。怯えているのが伝わってくる。

 近付いて、膝をついて、手に触れたら驚いたように顔を上げた。あれだけ釣り上がって怖かった青い目は今、不安に揺れていた。


「俺は、今も少しだけ貴方が怖いです」

「……はい」

「でも、今の貴方は怖くありません。貴方の言葉も、本当の貴方の中から出てきたと思います。だからもう、謝罪は十分です」

「!」


 驚いたように見開かれた目が、少しして緩まってくる。するとじわりと薄く涙が浮いて、次には心から安堵の笑みが浮かんだ。


「ありがとうございます、トモマサ様」


 これでいいんだよね? 後ろを見たら星那もクナルもほっとした笑みを浮かべている。それに、俺も笑顔で返す事ができた。


 お互いに立ち上がって、側に星那も来て改めて握手をした人は年齢よりも幼く可愛い笑顔を見せる。垂れていた尻尾が僅かに揺れるのを見て、嬉しいんだって伝わってくる。


「本当に、遠い所をありがとうございます。屋敷の方へご案内いたしますので馬車へお乗りください」

「私は歩くわ。町を見てみたいし」

「マサはどうする?」

「え? あぁ、じゃあ……俺も歩きたい、かも」


 クナルが育った町を見てみたいと思うから。


「分かりました。使者殿はこのまま馬車で。他の方の馬はこちらで預かり、世話を致しましょう。セナ様はよろしければ私がエスコートをしたいのですが、お許し頂けますか?」

「いいけれど……変な事しないでね?」

「そんな! 滅相も……あぁ、本当に申し訳ありません。その節は大変な無礼を働き、貴方の信用を失ってしまいましたね。他の者に」

「冗談よ。よろしく」


 慌てて否定して、昔の事を思い出して項垂れて、尻尾も耳も下げてしまうスティーブンに星那は笑う。そして徐に手を差し出して、スティーブンは驚いたけれど嬉しそうにその手を優しく取った。

 これが、本当のスティーブンなんだろう。


 町は美しい雪国を思わせる、何処か可愛らしいものだった。白壁に黒い木材の柱や窓枠。屋根は三角形で一軒一軒はあまり大きくはない。立派な煙突があって、軒下にはランプが下がって、玄関横に雪だるまのある家も多い。

 スノードームの中を見ているようでもあり、昔に読んだ海外のクリスマスの絵本から飛び出したようにも思えるものだった。


「素敵!」

「ほぉ、随分綺麗になったな。俺が居た頃はけっこう汚れたり、壊れていたりしたが」

「修繕が間に合って良かったよ。この辺りは冬が厳しいから、なんとしてもその前に住居と壁を直したかったんだ」


 目をキラキラさせる星那と、感心するクナル。それに笑みを浮かべて答えたスティーブンは何処か堂々としている。


「あっ、領主様!」


 小さな子が鼻の頭を赤くしながら雪だるまを作っている。こちらに気づいて手を振るのに、彼は嬉しそうに笑って手を振り返した。


「まともに戻ったな」

「これが、クナルの知ってるスティーブンさん?」

「あぁ。甘っちょろくて臆病で控えめで、でも誠実で真面目な奴なんだよ」


 その言葉を、今なら信じられる。行き交う町の人達と笑顔で挨拶をして、一言二言交わす人の表情は明るく穏やかで、本当にいい関係が築けているんだと思えるから。

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