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第70話 昂りが起こす“つい····”


 湊が極々小さな声で囁いたクレームを、しっかり聞き逃さなかった煉。


「あ? お前が悪いんだろ。人が折角色々我慢してやってんのに煽ってくるから…」

「あ、煽ってなんかないもん! そもそも、煉のキスがえっちなのが悪いんだからね。ていうか地獄耳すぎでしょ····」


 グイッと、煉の胸を押し離して言う湊。


「そうだ。ねぇ、そろそろ聞きたいんだけど」

「何を?」

「煉が、えっと··キス、上手な理由」


 瞬時に目を逸らす煉。ついに、あのことを話す日が来てしまったのかと、大きな溜め息を吐く。

 が、説明の前に一言、煉は文句を言わねば気が済まなかった。


「お前なぁ、これからデートって時に聞く話じゃねぇだろ」

「あ··。ご、ごめん····」


 謝るものの、やはり理由が気になってしまう湊。それを察した煉は、観念して語り始めた。


「先に言っとくけど、キスはお前としかシたことねぇからな」

「えぇっ!?」

「いちいちムカつく反応してんじゃねぇよ。いいから黙って最後まで聞け」

「はい····」



 煉のキスが上手い理由。それは、100%穂月の所為だった。

 穂月があの部屋で煉とおこなっていた事。それは、穂月が自分のファンと致すところを、煉に見せつけていたのだ。

 穂月曰く、可憐に抱かれる自分を見せつけ、煉が欲情する事に賭けていたらしい。単純に、見られながらする行為に背徳感で悦ぶ変態なのだと、煉はつけ加えた。

 あわよくば、煉が嫉妬してくれれば万々歳だと、穂月は包み隠さず煉に言っていた。穂月が夢見た瞬間など、ただの一瞬も訪れることはなかったが。それでも、穂月はめげることなく、湊が煉を救い出したあの日まで、そんな蛮事ばんじを繰り返していた。

 要するに、煉は見たくもないものを見せられ、嫌々そういったものを覚えたのだ。


 あの日、苛立って教室を飛び出した煉に、穂月から『待ってるわ』とメッセージが届いた。その足であの部屋へ向かい、苛立ちを穂月にぶつけていた煉。罵詈雑言の止まらない煉を黙らせる為に、穂月は『少し落ち着きなさい』と言って薬を混ぜたお茶を飲ませた。

 穂月が煉に飲ませたのは、俗にいう媚薬の類。湊には鎮静剤だと言っていたが、全く反応を示さない煉に苛立っていた穂月は、時々そういう悪戯をしていたのだ。それでも靡かない煉を、穂月は半ば諦め気味で弄んでいた。

 けれど、あの日以来、煉は穂月の呼び出しを断り続けていた。湊に操を立てる、などと、当時の煉はそこまでは思っていなかった。けれど、心のどこかでそういう意識が芽生えていたのかもしれない。



 話を聞き終えた湊は、常軌を逸した穂月にドン引きしていた。煉に掛ける言葉も見つけられずに、ただただ話を理解する事に努めた。


「大丈夫か?」

「んぇ··? う、うん。なんか····なんだろ、穂月さんって、凄いね」


 煉は項垂れ、湊の肩に頭を置いて言う。


「今は、つぅか、あの日から、もうお前抜きでは関わってねぇ」

「····うん」

「俺は、お前意外とシたいと思わねぇ」

「··っ、うん」


 耳元でぽそぽそと喋る煉の言葉を、湊は耳を熱くして聞く。


「キスは、お前を気持ちくしてぇから··、俺も必死なんだよ。余裕あると思ってたら大間違いだぞ、バカ」

「ひゃ、ひゃい····」


 煉の甘い声を、煉の弱音ともとれる甘い本音を、冷静に聞いていられなくなった湊は、両手で顔を覆って全力で勘違いを詫びる。


「ごごっ、ごめんね! 僕てっきり、穂月さんといっぱいキスした事があるから上手いんだと思ってた。ホントごめんなさい! 分かったから、もう、さ··、耳元で喋んないでぇ····」


 パニクっている湊を面白がった煉は、顔を湊へ向け、意地悪く耳元に唇を寄せて答える。


「やだ。許さねぇ」

「ひゃぁぁ··♡」


 湊は、弱々しく甘い声を漏らす。これ以上は我慢が利かなくなると判断し、煉は湊をおちょくるのをやめて水族館へ行こうと言った。


「いつまでもンな顔してっと襲うぞ」

「だ··誰の所為だと思ってんだよぅ····」


 湊の頬が林檎から桃色に戻るのを待ち、2人は目的地の水族館へ向かった。



 水族館は、休日にも関わらず思っていたより人が少なかった。そして、案の定薄暗い。客は水槽に夢中。

 この機を逃すまいと、湊は勇気を振り絞って自分から煉の手を握る。が、煉はその手をパッと離してしまった。

 不安を露わに固まってしまう湊。煉は、表情かおを強張らせる湊を覗き込み、揶揄うような口調でこう言った。


「バーカ、気が早ぇんだよ。ちゃんと周り見ろ。バレたら今度は、綾斗に怒られるだけじゃ済まねぇんだぞ」


 そう言われて、ハッとする湊。進路と周囲を確認する。

 行く先は照明が他よりも明るく、水槽の少ないゾーンになっていた。煉は、その先を指差して『あそこまで我慢しろ。俺も我慢してっから』と言って頭をぽんぽんする。

 またも耳まで熱くなる湊。少しだけ煉に身体を寄せて、小さく返事をした。


 ライトアップされたクラゲが、長い毒手を優雅に揺らして漂う。客の視線はそれに集中している。

 けれど、湊はクラゲどころではない。再び勇気を奮い立たせなければならないのだ。クラゲを眺める煉の横顔を、チラチラと盗み見てタイミングを窺う。ざわざわする周囲の様子も気になる。

 リスクを最小限に留めるため、人混みの後ろに立つ2人。後は、ほんの数センチ、手を寄せれば煉に触れられる。しかし、たった数センチが遠く感じられる。湊は、2度目の勇気をなかなか振り絞れなかった。


 そんな湊をチラリと見降ろす煉。見かねて煉から湊へ手を寄せた。ちょんと触れ合った指先が湊の手を呼ぶ。

 湊は、呼ばれるがまま煉の手をキュッと握った。漸く触れ合えたことに、湊は安堵の表情を見せる。


 湊の嬉しそうな顔を見て、煉は思わず湊のマスクを下ろした。驚いて煉を見上げる湊に、自分もマスクを下ろしてキスをした。

 一瞬の出来事だった。2人はすぐにマスクを上げ、クラゲに視線をやる。


「わりぃ。つい····」

「ううん。僕もシたかったから····」


 2人はゆっくりとお互いを見て、視線が合うとふわっと笑い合った。



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