煉の軽薄な発言に、先が思いやられるとばかりに頭を抱えてしまった湊。ハッと、ある事を思い出す。
「そういえばさ、1人暮らしする事、お兄さんに許可貰えたの?」
「あぁ。嵐に『シャカイベンキョーのために一人暮らししたい。オニーチャン、タスケテー』つったらめっちゃ悩んでた」
「そりゃ、煉と居るために家出ない人だもんね」
「けど、たまに会いに来んの許したらあっさりオッケーしたぜ。なんか、張り切って『お兄ちゃんに任せろ』とか言ってたな。他にもなんか言ってたけど聞いてねぇわ。つぅかアイツ、マジでチョロいな」
そう言った煉は、気楽にケラッと笑っている。
(チョロいのは多分、煉のほうだと思うんだけどな····)
浮かれている煉に水を差したくない湊は、無粋な事は言わないでおこうと言葉を飲み込んだ。
家の見学会を終え、夕飯を食べて帰路についた2人。いつもの上ヶ谷公園でキスをして別れる。
バイクで去ってゆく煉を見送る湊。家に向かう為、クルッと振り返った。すると、そこにはレジ袋を持った樹が仁王立ちしていた。
「うわぁぁぁっ!!」
「うぉっ····そっ、そんなビックリしなくてもいいだろ? 俺のがビックリだよ」
樹は湊と一緒になって驚き、自分の胸を押さえながら言った。
2人は束の間見つめ合う。気まずさから逃れようと、先に言葉を放ったのは樹だった。
「デート?」
「うん」
一瞬の沈黙が、またも2人を取り巻く。
「··あぁ、テレビ見たよ。苦手だって言ってたダンスナンバーもさ、すげぇイイ感じだったじゃん! いつもは可愛い湊がカッコ良く見えた」
樹は、張り詰めた気まずさを誤魔化そうと、いつも通りの飄々とした態度に努める。
家族同様、全力で湊の応援はするが、ライブなどには積極的に行ったりしない樹。本当は、テレビを見た直後に連絡を取ろうと思っていたが、文化祭でのキス以来、妙に緊張して接し方が分からないでいた。
コンビニへ行った帰り、たまたま煉と湊の別れ際を見てしまった樹。自分のつけいる隙がない事に焦燥し、やり場のない怒りが込み上げた。
これといって戦略もないまま、湊に声を掛けたいが為に、気がついたら煉が去るのを待ち湊へ近づいていた。
それを今は、少しだけ後悔している。
「んへへ、ありがと。可愛いは余計だけどね」
前髪を弄り、照れながら答える湊。
「樹のことだから、見たらすぐに連絡してくると思ってたよ」
樹のいつもと変わらない様子に絆され、湊は屈託のない笑顔を見せる。けれど、次の瞬間、湊は樹の唇が視界に入り固まってしまう。
「あ··、えっと、そういえば、なんか··話すの久しぶりだね」
あからさまに動揺し始めた湊に気づく樹。俯いて耳まで赤くし、指先をもじもじしている湊を、樹は何も言わずにジトッと見下ろす。
「そうだね。あのキス以来、だよね」
樹は意地悪く、湊の顎を人差し指の先で持ち上げて言った。
「あ··ぅ··そ、そうらね····」
強張った唇で返事をする湊。目には、今にも溢れそうな涙が待機している。
樹は、このまま攻めようか引くべきかを悩む。本音を言えば、さっきの煉とのキスを上塗りしてしまいたい。
だが、それで湊に嫌われてしまったら、取り返しのつかない涙を流させてしまったら····。そんな不安が過り、樹はパッと手を引いてしまった。樹は、湊の怯えた瞳に負けたのだ。
「冗談。意地悪しないからさ、泣かないでよ」
そう言う樹のほうが泣きそうじゃないかと、湊は思ったが何も言えなかった。
「な、泣かないよ。樹のバカ····」
「ならいいけど。家帰るんだろ? 一緒に行こ」
2人は並んで帰路につく。
(これって浮気になるのかな。もし煉が見たら、また殴り合いとかになっちゃうのかな。ヤだな····)
不安になった湊は、チラリと樹を見上げる。
「なに? 煉よりカッコイイって? 知ってる~」
「言ってないよ。煉のほうがカッコイイもん」
「え~、俺も負けてないと思うんだけどなぁ。てか惚気けるようになったのね〜」
貼り付けた笑顔で、湊を緊張させないように取り繕う樹。そんな樹の心中を察してか、湊もいつも通りの態度でいるよう努める。
公園から数分、湊の家に着いた。樹は、何か言いたげに湊へ視線を落とす。
「ん? 樹、どうしたの?」
「外でキスすんの、マジで気をつけろよ。俺だったからよかったけど、バレたらお互い大変だろ」
見られていたことを知り、湊の心臓が跳ねる。
「うん。ごめん····」
しゅんと落ち込んだ湊の頭を、優しくぽんぽんする樹。視線を上げた湊に、下心のない言葉を掛ける。
「俺は湊の味方だよ。湊を悲しませたり、傷つけるような事は絶対しない」
樹のまっすぐで強い瞳に、湊はひと時惹き込まれてしまう。
「だから安心しなよ。湊を諦めたりしないけど、
それが強がりである事を、湊は分かっていた。それでも、湊はその優しさに甘えてしまう。
これまでも、こうして樹の優しさに甘えてきたのだろうか。気づかないうちに、樹の好意に慣れ過ぎていたのだろうか。湊はそう考えると、どうにもいたたまれない気持ちに苛まれた。
「俺はさ、湊の幸せな顔見れんの1番幸せなの。んで、湊を幸せにすんのは俺がいいなって思ってるだけ」
とても静かに、湊へ語りかける樹。湊は黙ってそれを聞く。
「ただの、さ、俺の我儘。だから、湊は気にしなくていいんだよ。湊は自分の気持ちに正直でいなよ」
そう言って、樹は湊の言葉を待たずに帰っていってしまった。