洛寒軒に身体を抱えられて屋敷に戻ってきた沈楽清は、洛寒軒の腕の中で息をひそめて、そのまま人形のようにじっとしていた。
「楽清・・・」
あまりに大人しい沈楽清に、初めて会った時のことを思い出した洛寒軒は、長椅子に彼を下ろすと、そっと頭を優しく撫で始めた。
初めて会った時、彼は頭を撫でると、ひどく安心していたのを思い出して。
それでも今日の沈楽清はにこりともせず、何も映さない瞳で洛寒軒を見上げる。
「・・・離して・・・」
「楽清、だが・・・」
「お願い。今日は一人にして。」
「・・・分かった。」
ごめんね、と洛寒軒に断り、沈楽清は寝台が汚れるのも構わずふらふらと中へ入ると布団を上からかぶった。
泣き声が聞こえるかと思い、そうしたら彼を慰めようとしばらく佇んでいた洛寒軒だったが、彼からは何の音も聞こえてこない。
気を取り直してもらおうと、お茶を淹れて部屋へと戻った洛寒軒だったが、沈楽清が変わらぬ姿勢のまま寝台に臥せっているのを見て、部屋を後にすると、そのままそっと扉を閉めた。
今は何も出来ることはない。
そう悟った洛寒軒は、大きなため息を何度かつくと、お茶を手にしたまま、そのまま奥の蔵書室へと入って行った。
『お前のせいで、お前の母親は!』
「ごめんなさい!!」
沈楽清は自身の大声でハッと目覚め、がばっとその場に起き上がった。
滴り落ちた冷や汗をぐいっとぬぐい、沈楽清はぐるりと部屋へ視線を巡らせる。
「寒軒・・・?」
室内はすでに真っ暗になっており、沈楽清はいつの間にか自分が眠ってしまったことに気がついた。
沈楽清は寝台から起き上がると、そのまま部屋の外へ出て行く。
「寒軒?」
部屋から出た沈楽清は、一つ一つ部屋を見て回り、洛寒軒の姿を探した。
自分から突き放したのに、なんて身勝手なと思いながらも、今、どうしても沈楽清は彼の顔が見たかった。
奥の蔵書室へと入った沈楽清は、長椅子で横になっている洛寒軒に気がつき、彼にそっと近づく。
整った美しい顔、一見すると細いのに、しっかりと筋肉のついた身体。
長椅子に投げ出された、長い両手足。
すぅすぅと小さな寝息が聞こえてきて、沈楽清はその顔をじっと眺めながら、長椅子の側に座り込んだ。
そのまま息をひそめて、じっと洛寒軒を見つめる。
「本当に綺麗・・・」
ぼそりと呟き、引き寄せられるように、沈楽清はその唇に自身の唇を重ねた。
唇のひやりとした感触に、何もかけずに横になっている洛寒軒が心配になった沈楽清は、自分の部屋から掛け布団を持ってくると、その身体の上にそっとかける。
最後に真っ黒な髪をそっと優しく撫で、その額に口づけた沈楽清は音をたてずにその場を後にした。
一人になった沈楽清の頭の中を、昼間の光景が何度もフラッシュバックする。
優しかった村の人々。
自分をお嫁さんにすると笑った、可愛かった阿凱。
あまりに正論で、耳が痛くて仕方がなかった沈栄仁の叱責。
そんな自分を必死でかばおうとする洛寒軒。
(でも、村に火を点けたのは寒軒だ・・・)
最後こそ業火で焼き尽くしたが、最初は猿神を殺すため、そして生者がいるかあぶりだすために、彼は村のあちこちに火を点けたのだろう。
玄肖も洛寒軒も、それが元人間であったとしても、殺すことに関して、何も躊躇ってはいなかった。
次は自分も彼らのようにやらなくてはいけない。
もう二度と失敗してはいけない。
自分が、あの村の人たちを殺した。
どうしようもなく暗い気分になった沈楽清は、これからどうしようか、と部屋へ戻ろうとして、少し気分転換をしようと屋敷の外にある池へと向かった。
服を脱ごうとして、服に血がついているのを思い出した沈楽清は、一緒に洗えばいいかとドボンとそのまま池へと飛び込む。
ああ、この時間だとこんなに真っ黒なんだな、といつものように沈楽清は空を見上げた。
通常であればキラキラ光る水面なのに、今日はひどく暗く冷たく感じる。
沈楽清はそっと瞳を閉じた。
そのまま水に己の身体が沈んでいくのを任せる。
(あれ・・・俺、何してるんだ?)
こんな時間に服を着たまま池に飛び込んだ自分に、沈楽清は滑稽さを感じて、クスリと小さく笑った。