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第71話

「う・・・ん・・・?」

いつものように朝早く目が覚めた沈楽清は、自分の隣で寝ている洛寒軒の顔をじっと見つめた。

朝が弱い彼は、未だに小さな寝息を立てている。

ぎゅっと沈楽清の自分より一回り小さな身体を胸の中に閉じ込めた洛寒軒は、決して彼を離さないと言わんばかりに、その腕は沈楽清がどこにも行くことが出来ないよう、その背にしっかり回されていた。

あれから、この腕の中で何日過ごしたのだろうかと沈楽清は洛寒軒の身体にそっと触れ、身体をぴたっとくっつけた。

今はもう、洛寒軒の身体の傷が何処にあるのか全て手に取るようにわかる。

本人ですら気がついていなかった背中のほくろも弱点であるわき腹も、洛寒軒が触れると喜ぶ場所も全て

洛寒軒の特別になれたこと満足感に浸る沈楽清と同じように、洛寒軒もまた手に入れた沈楽清がどこまでも愛しくて仕方がなかった。

身体を重ねている時はもちろん、寝台で並んで話をする時も、寝ている時も水浴びに行く時も、洛寒軒は沈楽清の身体から一度もその手を離さず、常にその腕の中に沈楽清を閉じ込めている。

全ての物から守るように、世界で一番大切な宝物だというように。

そのかいもあって、体験するまではあれほど怖いと思っていた行為が、沈楽清は今ではもう何も怖くない。

それどころか、この腕の中では自分はどこまでも強くなれるような気すらしていた。

「寒軒。」

沈楽清はそっとその愛しい人の名を呼ぶ。

その声に洛寒軒の耳がピクリと反応し、ゆっくりとその目が開かれた。

「・・・楽清・・・」

桜色の瞳に自分が映るのを見た沈楽清は、洛寒軒に微笑みかけると、その口に自ら口づけた。

「おはよう、寒軒。」

「うん・・・おはよう。」

まだまだ眠いのか、洛寒軒は寝ぼけながらも、その背に回されていた腕が動き、沈楽清の身体をそっとなぞる。

その淫靡な手つきに沈楽清の身体がビクンと跳ねあがった。

「ちょ・・・もう、身体、もたないっ・・・」

「本当に?」

刺激から逃れるように身体を反らせた沈楽清に洛寒軒は覆いかぶさると、首筋から下に向かって順番に口づけていく。

沈楽清は仕方ないなと微笑むと、洛寒軒の背に自分の腕をしっかりと回し、彼にぎゅっと抱き着いた。


よほど精も根も尽き果てたのか、満足げな表情で深く眠った洛寒軒の腕からようやく逃れた沈楽清は、鈍い痛みが走る腰をトントンと軽く叩きながら、何日かぶりに厨房へと向かった。

自身の喉が渇いたのもあるが、何よりこの数日間、ずっと一緒にいた洛寒軒が食事をしているのか心配になってきた沈楽清は、彼が次に起きた時のために粥か何かを作ろうと、その中へと入って行く。

「宗主、おはようございます。いえ、もうこんにちは、ですかね。」

いつものように優しい笑顔を浮かべた沈栄仁の姿に、一瞬心臓がドキッと跳ね上がった沈楽清だったが、彼の側に近寄ると、彼に対して頭を下げた。

「栄兄・・・この前は・・・」

「もう、声がガラガラですよ。そんな声になるまで、妖王はどれほど貴方に無理をさせたんだか。ほら、今、お茶をいれますね。座っていてください。」

「あ、でも、寒軒の・・・」

「大丈夫ですよ。この三日間、貴方が眠っている間に彼はしっかり食事を摂っていましたから。」

沈栄仁は沈楽清を椅子に座らせると、慣れた手つきでお茶を淹れていく。

「三日・・・」

沈栄仁の言葉で、ようやく自分が何日洛寒軒の腕の中で過ごしていたのかを知った沈楽清は、真っ赤になった顔を両手で覆った。

「なんか、ごめんなさい・・・」

「いえいえ、今が一番楽しい時ですよね。」

「ちょっと、これから先は違うみたいな言い方しないでよ。」

どうでしょうねぇとフフッと微笑んだ沈栄仁は、沈楽清の前に湯呑を置くと、自分も沈楽清の隣に座った。

お互いにお茶を飲み、そのまましばらく無言になる。

お互いのお茶が無くなるころ、ようやく沈栄仁は口を開いた。

「・・・妖王から聞きました。貴方が死のうとしたと。」

「違う!あれは・・・」

咄嗟に反論しかけた沈楽清をそっと手で制し、沈栄仁は言葉を続ける。

「ごめんなさい、楽清。異世界から来たばかりの貴方に、私のあの言葉は厳しすぎました。生まれて一か月や二か月の子どもにも同じことを言うのかと、妖王にひどく怒られて、さすがに反省しました。」

「違うよ!俺が、ずっと、ちゃんと意味を分かっていなかったから。あの本だって、討伐に行く前日にようやく寒軒が実在する妖族が載ってるって教えてくれて。ようやくその本当の意味が分かったんだ。いや、きっと栄兄のことだから、その意味を言ってくれていたと思う。でも、俺は大して何も気にしてなくて、それで!」

「楽清・・・」

「それに、俺、あの日何もしてない。凶熊とか低級の妖族は倒したけど、猩猩を倒したのは寒軒だし、あの村のことを全て処理したのは栄兄と寒軒だった。俺がやらないといけなかったのに、俺は泣いて、動けなくて・・・それを思うと情けなくて、俺・・・俺のせいで村のみんなは死んだのに・・・!」

沈楽清の告白を黙って聞いていた沈栄仁は、その頭をそっと撫でた。

「貴方のその責任感の強さを、私はもっと考えるべきでした。何より、いつの間にか私は貴方を・・・本当の自分の弟のように、阿清と同じように考えて扱っていて、だからとても厳しくなってしまった。知ってますか?昔、妖王に机をひっくり返されたことがあるんですよ。お前は厳しすぎる。もう出来ない!って。」

「聞いたよ、寒軒から。栄兄から何度も死ぬような修行をさせられたって。」

この三日間、沈楽清と洛寒軒はたくさんお互いのことを話した。

お互いの過去の話も、この世界にきてからの話も、お互いに何も隠すことなく全て。

その上で、何度も身体を重ねた。

「本当にあの子は・・・おしゃべりなんですから。」

少しだけ空気が和んだのを感じた沈楽清は、謝罪と共に伝えたかったことを伝えるため、沈栄仁の名を呼び、その目をしっかりと合わせた。

「栄兄・・・俺、寒軒の妻になったよ。」

「ええ、知ってますよ。」

「それで、順番が逆だと思うけど・・・寒軒との結婚を許してください。」

「もちろん許すに決まっています。むしろ私が煽ったんですから当然でしょう?」

沈栄仁は苦笑すると、沈楽清の湯呑にもう一杯いかがですか?と急須からお茶を注いだ。

ありがとうと湯呑を手にした沈楽清に、「ちょっと待っていてください。」と席を外した沈栄仁はすぐに戻ってくると、その手に鮮やかな赤の衣装を二着持ってくる。

「これは必要ですか?」

「婚礼衣装?」

「元は私が着る予定だったものなので、貴方には少し大きいかもしれませんが・・・」

沈栄仁は沈楽清をその場に立たせると、自分の衣装をその背にあて、「うん、長さは大丈夫そうですね」と満足気につぶやいた。

「でもこれは、栄兄が炎輝兄様のために・・・」

「ええ。だからこそ、誰も一度も着ないままでは可哀想でしょう?」

沈楽清を衣裳部屋へと連れて行った沈栄仁は、沈楽清に服を着替えるよう促す。

沈栄仁に勧められ、服を着替えた沈楽清は、その身体の線をぴたりと拾う赤い衣装にクルクルとその場で回ると、「変じゃない?」と沈栄仁に確認した。

「似合いますよ、楽清。」

「ありがとう。でも、すごいね。栄兄、これ自分で作ったんでしょ?すごい細かい刺繍・・・」

「ええ。あの人の家の家紋や、あの人の好きな花が描かれているものなので・・・すみません。これじゃ、楽清が夏家に嫁ぐみたいですね。」

「いや、いいよ。そんなの!だって、その寒軒用の衣装だって・・・」

「確かに。楽清の衣装以上に、夏家のものだと分かりますし、それに、炎輝の衣装があの子には大きすぎるのは、今あの子が着てる衣装で分かってるんですよね。身長はぴったりでしょうけど、横幅が違うので。」

「たぶん、炎輝兄様は向こうの俺と一緒くらいだよ。」

「そうなんですか?」

あちらの沈楽清を知らない沈栄仁は、思わず目の前の沈楽清の身体が大きくなった姿を想像して思わず吹き出してしまう。

けらけらと楽しそうに笑う沈栄仁を見ながら、その時初めて、洛寒軒がここへ来た日に沈栄仁が持ってきた衣装が夏炎輝のために彼が縫ったものだと知った沈楽清は、そんな大事な物を渡してくれた沈栄仁の心を思って、ぎゅっと彼の手を握りしめた。

「ごめん、栄兄。本当にありがとう。」

いいですよ、役に立って良かったですと笑った沈栄仁は鏡台の前に沈楽清を座らせると、その髪をあっという間に結い上げていく。

さらりと一筋だけ前にたらし、後ろはきっちりと纏め、美しい銀細工のかんざしを挿す。

「化粧は・・・紅だけで十分そうですね。」

沈栄仁は、沈楽清のきめ細かい雪のような白い肌には何も乗せない方が良いと判断し、彼に紅を二つ差し出した。

「どちらにします?」

その手には、本来、花嫁がつける赤い紅と、洛寒軒の瞳と同じ桜色の紅が乗せられている。

「こっち。」

迷うことなく微笑んで桜色の紅を取った沈楽清に、お熱いですねと沈栄仁は肩を竦めながら、その紅を沈楽清から受け取ると、彼の唇をそっとその指で彩った。

「立って。」

沈栄仁に促され、靴をいつもの白い靴から少し踵の高い赤い靴へと履き替えた沈楽清は、裾を踏んで転ばないように静々とその場に立ち上がった。

「どう?栄兄。」

「よく似合います、楽清。とてもきれいですよ。」

頬を染めてはにかむ沈楽清に、沈楽清の手を取った沈栄仁は、その両手を己の両手で包み込むと心からの賛辞を贈る。

「沈楽清、おめでとうございます。」

「ありがとう、栄兄。」

ただね、と沈栄仁は沈楽清の身体を抱きしめると、その耳元で一つの質問をした。

「ねぇ、でも、おめでとうございますでいいんですか?貴方は妖王に身体を許した。それは妖王と共にこれから生きていくため。ただ、貴方は本当にそうするんですか?」

「・・・」

沈楽清は沈栄仁からそっと身体を離すと、イエスともノーとも言わないまま、兄にふわりと微笑み返した。

「阿清・・・?」

その笑みに、己の弟を重ねた沈栄仁は、それ以上は何も言わず、まるでバージンロードを歩く花嫁を誘導するように、彼の手を引いて部屋を後にした。

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