洛寒軒に連れられ、沈楽清がたどり着いた場所は、彼と初めて会った場所のすぐ近くの村だった。
その村の外れの、一本の桜の木以外、何もない場所を洛寒軒は指さす。
「ここにかつて母さんと暮らした家があったんだ。この前話した通りで、もう燃えて跡形もない。唯一、この木だけが残っていたんだが・・・珍しいな、もう他は全て散っているのに、この木だけ満開だなんて。」
手を繋いだ二人は、木に近づくと、そのまましばらく桜の木を二人で見上げた。
「季節外れなのかもしれないけど綺麗だね。」
「そうだな。」
ハラハラと落ちて来た花びらが沈楽清の頭に落ちる。
その花を頭から取った洛寒軒は沈楽清に向かって微笑んだ。
「お前には重い話かもしれないが、母さんにお前を紹介したかった。ここに来ると母さんに会えるような気がして、俺は毎年清明節になるとここへ来ていたんだ。代わりに会ったのはお前だったけど。今は、母さんが会わせてくれたんじゃないかと思ってる。」
洛寒軒の母の話は彼から聞いており、母親の死は自分のせいだと語った洛寒軒がひどく辛そうな顔をしていたことを知っている沈楽清は、繋いでいた手を離し、洛寒軒の身体を抱きしめ、優しくその背をさする。
「寒軒・・・」
「桜雲。」
「え?」
「桜雲。俺の本当の名前だ。今、この名が俺の本名だと知っている者はこの世界でお前しかいない。だから二人きりの時は俺をその名前で呼んでくれないか?」
洛寒軒の告白に、この人は最初から自分に何も嘘をついていなかったんだと知った沈楽清は、驚きと同時にひどく嬉しくなって、うんと大きく頷いた。
その笑顔を見て、微笑み返した洛寒軒は、家の方向に視線を向けてぽそりと呟く。
「母さん。貴方の望み通り、貴方の子どもは幸せになったよ。」
洛寒軒の感慨深げな言葉に、自分も挨拶したくなった沈楽清は、居住まいを正し、その場に叩頭した。
「楽清・・・別にそこまでは。」
「ううん。ちゃんとしたいの。俺にも挨拶させて。」
深々と頭を下げた沈楽清を止めようとした洛寒軒だったが、さっき栄兄にこうやって挨拶してくれたじゃないと沈楽清に言われ、沈楽清の隣で自分もその場に叩頭する。
「桜雲のお母さん。私は沈楽清と申します。桜雲の妻です。」
その時ふと沈楽清は本当にその場に桜雲の母親がいる気がして、これから話すことをなんと言おうとか、一瞬言葉に詰まる。
「でも、ごめんなさい!私にはやらなくてはいけないことがあって、これから桜雲と一緒にいることは適いません。でも誓って私は・・・私には一生、桜雲だけが私の夫であり最愛の人です。桜雲は俺にとっては勿体ないほどの人で・・・だから・・・私はどうしても彼がよくて・・・彼と出会えたことは、私にとってこの上ない幸運でした。」
沈楽清は地面に頭がつくのではないかというぐらい、もう一度、さらに深く頭を下げる。
「桜雲を生んでくれて、守ってくれて、本当にありがとうございました!」
「楽清・・・」
沈楽清より先に頭を上げた洛寒軒は、沈楽清の身体を起こさせると、そのままぎゅっと力強く抱きしめた。
「・・・愛してる。」
「うん、俺も愛してる。」
洛寒軒に痛いほど強く抱きしめられた沈楽清は、自分も負けじとぎゅっと彼を抱きしめ返す。
しばらくそうして抱きしめ合い、顔を見合わせた二人は照れくさそうに笑い合った。
「戻ろうか。」
「うん。」
先に立ち上がった洛寒軒が、沈楽清をその場に立たせようと手を差し伸べる。
その手をしっかり取って立ち上がった沈楽清は、洛寒軒の指に自分の指を絡めた。
奇妙な手のつなぎ方に、これは?と首を傾げた洛寒軒に対し、沈楽清は恋人つなぎというんだよとはにかむ。
「いつか・・・好きな人とやるのが夢だったんだ。」
「そうか。」
しっかりと手を繋ぎ、幸せそうに歩き出した二人の横を、突然強い風が吹き抜けた。
そのあまりの強さに、空いた手でとっさに洛寒軒が沈楽清を抱き寄せる。
しばらくして風が止み、洛寒軒の胸の中から顔を上げた沈楽清は、ぽかんと桜の木を見上げた。
「あ・・・」
桜を見て、目を丸くした沈楽清に倣い、洛寒軒も桜の木を見上げ、彼もまた目を大きく開く。
二人の目の前で満開の桜の花が一斉に散り始め、あっという間に二人の身体は桜の花びらに包み込まれた。
「フラワーシャワー・・・」
自分達に降り注ぐ大量の花びらに、挙式後に教会から出てきた新郎新婦にゲストが花びらをまいて祝福するセレモニーであるフラワーシャワーを思い出した沈楽清は、この花を贈ってくれたのが洛寒軒の母親であると確信し、さっきの口上では何とか耐えた涙が、今度は止まらなくなる。
「やっぱり、お母さんはここにいるよ。桜雲・・・」
「楽清?」
「桜雲。フラワーシャワーは、花の香りで周囲を清めることで幸せを妬む悪い物から、新郎新婦を守るおまじないなんだ。桜雲のお母さんが、俺たちを祝福して、俺たちのこれからを守ってくれているんだよ。桜雲のお母さんは本当に優しい人だったんだね。」
桜の花びらが舞い散る中、涙を流す沈楽清を、そのまま胸に抱きしめた洛寒軒は、「ありがとう、母さん・・・」とその目を赤くしながら桜の木に向かって呟いた。