「で、これどうなるのよ。」
パソコンの前に突っ伏して、画面を睨みつける洛美玲に、「何がですか?」とコーヒーカップ二つを両手に持った『沈楽清』が答えた。
「もう一か月も何も更新されないのよ、このパソコン。一体どうなってんの?ここまでは勝手にストーリーが出来て、どんどん勝手に書き込まれていったのに!どうして二人がきれいに別れたところで話が止まるのよ。おかしいじゃない!」
パソコンに向かって噛みつく洛美玲に苦笑した『沈楽清』はここに置きますねと彼女の側にコーヒーを置き、自身は近くにある椅子に座った。
「まぁ、物語としては、一応綺麗に終わってますけどね。」
沈楽清の指摘に、そうだけど・・・と頭をかきむしった洛美玲は、思いの丈をぶつけ始める。
「私は、出来ればハッピーエンドになって欲しいの!今のままだと、どのカップルもお互いが心の中で想いあってるから幸せって話じゃない。そうじゃなくて、もっとこう・・・分かる?!現実的な接触っていうか、ロマンチックなシーンというか、触れ合いっていうか!っていうか、結婚までしたんだから一緒にいなさいよ!沈栄仁がいるんだから、自分が幸せになっても別に良かったのに、楽清ってばバカじゃないの?!」
「いや・・・むしろ快楽に負けずというか、楽な方に流されずというか、よく決断したと思いましたよ。宗主の仕事なんて、基本きついか、つらいことしかないのに。」
『沈楽清』のくたびれたサラリーマンのような発言に、元々の原作者である洛美玲は責任を感じて、ごめんなさいと謝った。
「お気になさらないでください、美玲姉様。もう遠い昔の話です。宗主の役割も、最後の日のことも。」
『沈楽清』の言葉に、洛美玲は二か月前のあの日を思い出す。
物語に入った従弟である沈楽清の代わりに、この世界に来た『沈楽清』は、どういう訳か洛寒軒たちに乱暴され、殺された直後の『沈楽清』だった。
洛美玲の住む学生寮から病院へ運ばれた『沈楽清』は、そのせいか初めの頃はひどく人を怖がり、看護師や医師が近くで声をかけるだけで怯えていた。
その上、「宗主」「仙界」など訳の分からないことをひたすら話すので、幻視幻覚が見えると精神科病棟へ送られそうになった『沈楽清』だったが、面会に来た洛美玲が彼の話を聞き、また彼女自身もパソコンが勝手に小説を書き上げていくという不可解な現象に見舞われていたため、すぐに彼が『沈楽清』であると気づいてくれて、『沈楽清』は難を逃れた。
沈楽清の両親も洛美玲が説得し、とりあえず今は記憶喪失で休学扱いになっている。
この世界の常識も何も知らない『沈楽清』を寮に一人にしておくのは危険だと判断した洛美玲は、この世界のことを教えるために夜以外は毎日『沈楽清』と行動を共にしていた。
最初は、彼が語った生々しい凄惨な体験に対する贖罪の気持ちから始めた洛美玲だったが、徐々に現在の『沈楽清』のあまりの素直さや従順さに、彼を可愛い弟のように思い始めた洛美玲は熱心にこの世界についてレクチャーし、そのおかげか、『沈楽清』は今はもう人に日常生活であれば何となく送れるくらいまでになっている。
「ねぇ美玲姉様。そもそも、姉様はこれをどんな話にするつもりだったんですか?」
「どうって?」
「今の話は勝手に何かが書いたものなんでしょう?だったらそもそも美玲姉様はどんなお話を考えていたんですか?私に謝罪するのは無しにして、話の筋を教えてください。」
「え、何も・・・実はまだキャラクターしか考えてなかったのよ。で、頭に思い浮かんだシーンから書いていったって感じ。ああでも、沈楽清の死で夏炎輝と沈栄仁が結ばれ、洛寒軒と陸承が死ぬっていうのだけは確定済みだったか。」
「他の、白秋陸派とかはどうだったんです?正直なところ、私は彼らに会ったこともなかったので、話を読んでいても彼らが何者か分からなくて。中には知らない名前もありますし、知ってしまって本当に驚いた事実もいくつかありましたし・・・」
『沈楽清』が落ち着き始めた頃、洛美玲はこの小説を彼に見せた。
最初はきょとんとした表情で読んでいた彼だったが、徐々にその顔色が変わり、いくつかの場面ではショックのあまり一時的に食事を食べられなくなってしまったこともある。
ただ、物語が沈栄仁から沈楽清を中心にした物語へ移行するのと同時に、『沈楽清』はこれを完全な読み物として割り切ることが出来るようになった。
彼と自分は別人だから、と。
たとえそれが自分の身体で、大逆罪に問われる洛寒軒との婚姻を結んだ時も、『沈楽清』は「彼らしい決断だね。」と笑っていた。
「彼らの存在は、私は考えていなかったわ。だってラブロマンスにあんな陰謀論みたいな話いる?親世代の話とか、正直はっ?って感じよ。そんなのどうでもいいから二組のカップルがイチャコラしているところが見たいじゃない。」
あけすけな物言いをし始めた洛美玲に『沈楽清』は乾いた笑いを浮かべつつ、う~んと軽く唸った。
「そうだとすると、洛寒軒と沈楽清、炎輝兄様と栄仁兄様が結ばれるには、沈楽清が死ぬしかない?」
「え?いや、片方だけに幸せになって欲しいわけじゃないんだけど・・・何より、洛寒軒しか見えていない能天気なお花畑頭でも、あれ、一応私の従弟だから。死んでほしくないし。」
洛美玲はいつもけちょんけちょんに沈楽清を貶しながらも、最後には沈楽清を心配し、彼の幸せを誰よりも願っていた。
こちらにいた沈楽清は、誰にも頼らず、一度も誰にも涙を見せたことが無い人間だった。
不慮の事故でサッカーが出来なくなった時ですら、彼はそれをみて嘆き悲しむ人を慰めるような男だった。
そんな沈楽清が、洛寒軒の前でだけは本音を曝し、素直に泣くことが出来る。
だからこそ、洛寒軒と離れてしまったまま長い時間生き続けることは残酷だと洛美玲も思ってしまうが、さすがに死ねばいいという発想には至らなかった。
「いや、物理的にではなくて、社会的にでもいいんでしょ?だったら、彼が宗主でなくなればいいんじゃないですか?」
「へ?」
「だって、彼が宗主じゃ無くなれば栄仁兄様がおそらく復帰するでしょう?栄仁兄様が復帰するならば、絶対に炎輝兄様と結ばれるじゃないですか。栄仁兄様が天清沈派の宗主になるなら、沈楽清は何もかも捨てて洛寒軒と共に妖界で生きていけるんじゃないんです?それとも、後継を育てて宗主の座を譲り、第二の人生を洛寒軒と送るとか?」
「各家、直系の子孫が継いでるでしょ?誰かに譲るなんて、そんなことできるの?」
「出来ますよ。天清沈派だって、系譜の中の何人かは養子です。実力があり、宗主がそれを認めれば、あまり血統は重視されません。そうでなければ、炎輝兄様と栄仁兄様なんて、別に女性とも結婚しないといけなくなるじゃないですか。あの栄仁兄様が、炎輝兄様が他の人と関係を結ぶところを目撃したらどうなると思います?いっそ死んだ方がましっていうくらいの目に遭わせるに決まってるじゃないですか。そんな恐ろしい世界見たくもないですよ。」
アハハと笑う沈楽清に、あれほど意思がなく従順だった『沈楽清』は意外に兄の事をよく見ていたのだなと洛美玲は感心する。
「え、じゃあさ、こんなのはどう?」
洛美玲は少し考えこんだ後、メモ用紙にいくつか思い浮かんだことを箇条書きにする。
【この話の本当の設定】
・夏炎輝と沈栄仁、洛寒軒と沈楽清は一生一緒に過ごす(精神的にだけじゃなく、物理的にも!)
・天清沈派に次期宗主候補が彗星のごとく現れる
・何があっても、最後はハッピーエンド
「どうよ!」
「いや、何があってもって表現はちょっと・・・」
ふんぞり返る洛美玲の隣で、『沈楽清』が口をはさむ。
兄や洛寒軒の過去の話もあり、正直なところ、何があってもという表現だと沈楽清や沈栄仁に再びそういう危険が襲う可能性も捨てきれない。
自身がとても嫌な目に遭った『沈楽清』だからこそ、沈楽清にはそんな目には遭って欲しくないし、兄にも二度とあんな目には遭って欲しくなかった。
「え、じゃあ、えっと・・・沈楽清と沈栄仁の二人が関係を持てるのは心から愛した人だけ・・・ってことでどう?」
「うん!それなら!」
ぐっと親指を立てた沈楽清に、同じく親指を立てた洛美玲は、パソコンにメモ用紙の内容を打ち込んだ。
「これでよし!さぁ、楽清。頑張って世界一幸せになりなさいよ!」
洛美玲は最後にエンターキーを力強く押し、固唾を呑んで事の成り行きを見守った。
カタ、カタカタカタ・・・
洛美玲の書いた文章の真下。
それまで洛美玲が何を書き込んでも、死んだようにうんともすんとも言わなかったパソコンが、再び意思を持ったように猛然と動き始め、文章を紡いでいく。
「やったぁ!」
万歳をした『沈楽清』と洛美玲は、そのままお互いにハイタッチをした。