「それにしても・・・寒軒は何をしに来たんだと思う?」
ガラガラと走る馬車の中。
久々に天清山の屋敷に行くことになった沈楽清は、屋敷へと向かう見慣れた道をぼんやりと眺めながら目の前の沈栄仁に尋ねた。
「私に聞かれても・・・というか本人に聞けば良いでしょうにって、ああ、そうですよね。会うとそれどころじゃないですよねぇ。」
まだ痕ついてますよと付け加えた沈栄仁の言葉で、ばっと首元を隠した沈楽清はあわあわと慌てふためく。
「え、どうしよう・・・見えない所にはつけないようにってお願いしたんだけど・・・え?どこに?みんな気づいてた?え?!」
顔を真っ赤にして自身の身体をきょろきょろと見回す沈楽清に、笑いをかみ殺した沈栄仁はしばらくしてから「冗談です」とにっこり微笑んだ。
「せっかく私が優勝したのに、きちんと見てくれていなかったので拗ねてみました。」
「もう!栄兄ってば。それは悪かったってあの時も謝ったじゃない!」
「それにあのあと、大会で疲れている中、丸一日誰も貴方の部屋に近づけないよう苦心したのは誰だったとお思いで?」
意地悪気に笑う沈栄仁に、それ以上何も言えなくなった沈楽清はごめんなさいと素直に謝った。
そんな沈楽清の頭を撫でた沈栄仁は、でも会えて良かったですねと優しく微笑む。
そんな彼にうんと嬉しそうに沈楽清は頷くと話を大会へと戻した。
「それにしても陽明が強くてびっくりした。まさか炎輝兄様にあそこまで善戦するなんて。」
「それに関しては私も同意見です。そのおかげで私が炎輝に勝ったようなものでしたし。おそらく今回の大会で一番名を上げたのは彼でしょうね。」
若干本気の夏炎輝と戦えなくて残念だとほのめかしつつ、珍しく沈栄仁が江陽明を手放しで誉めた。
「もとは人界出身で両親も人間。きわめてまれな人材です。当然養子縁組の話が持ち上がるでしょうね。宗主の元にも話が行くと思いますので、本人の意思も大切ですが、ここは宗主も慎重にご決断を。」
沈栄仁の言葉に「養子?」と沈楽清が首を捻る。
「ええ。仙界では家を継ぐのは実子とは限りません。素質があれば各家の宗主には誰がついてもいいんです。今は偶然にもここ何代か直系が跡を継いでいますが、どちらかというと珍しいのですよ。それに次代の風家宗主は養子ですしね。」
「え、じゃあ、もし・・・」
沈楽清はそこまで言いかけて言葉を飲み込んだ。
さすがにそれは無責任すぎると簡単に考えてしまった自分を戒める。
しかし、彼が何を言いたいのか分かった沈栄仁は少しだけ微笑むと話を続けた。
「ええ。私も貴方も、だから結婚相手を自分で選べるんです。そうでなければ、私が炎輝と道侶になるなんて絶対に許されませんでしたよ。」
「じゃあ・・・もし陽明がこれからも優秀で、俺の跡継ぎになれると俺やみんなが思えば、彼に跡を譲ってもいいの?でも、そうなったら栄兄はどうするの?」
「私は江陽明がふさわしい器の人物であれば、彼が天清沈派の次期宗主になってもいいと思いますよ。それに陸承。彼もこの一年で貴方の影響を受けたからか父親になったからかは分かりませんが、だいぶ人が変わりましたし、今の彼ならば宗主になれる可能性があります。あと私は・・・」
沈楽清に言葉にしばし考えこんだ沈栄仁は「その時は、炎輝に養ってもらいましょうかねぇ」と冗談めかしてそう答えた。
「え・・・それは今、栄兄達はどういう・・・」
「さぁ着きましたよ。宗主。」
質問しようとした沈楽清の言葉を遮った沈栄仁は、玄肖の姿に戻ると馬車を降り、いつものように沈楽清をエスコートしようとその手を伸ばした。
天清山での仕事を終え、久々に離れの屋敷へ籠った沈楽清は、結界をはると奥の蔵書室に向かった。
「桜雲。」
扉を開き、中にいるであろう人物へと声をかけると、返事をする代わりにその身体が優しく抱き締められた。
抱きしめ返すと大きな手で優しく髪を撫でられ、その心地よさに沈楽清はふふっと目を閉じる。
「楽清。呼んでくれたのはありがたいが大丈夫なのか?」
「ここは大丈夫だよ。絶対に誰も入れないから。」
洛寒軒の意外な言葉に、沈楽清は彼の背中に回した腕に力を込め、彼の胸に擦り寄る。
「やっぱり・・・前に桜雲が言った通りだった。一回でも会うともう駄目だ。永遠に離れると覚悟したときも、この一年も耐えられたのに・・・」
この一年で仙界のことを学んだ沈楽清は、ここへ来たばかりの何も知らずに無邪気に妖王を慕っていた頃とは違い、今自分がやっていることがどれほど愚かなことなのかしっかり理解している。
妖界と仙界は、もう数え切れないほど太古の昔からいがみ合ってきた。
実際に沈楽清も、妖族に殺された人間や門弟たちを何度も目の当たりにし、その残された家族と面談するたびに、その心はひどく痛んだ。
仇なす妖族を許せないとも思っている。
それでも、何を見聞きしても、洛寒軒への想いが変わることは一度も無かった。
「俺・・・きっともう頭おかしいんだよ。」
「お前がおかしいなら俺も同じだ。」
長椅子へ沈楽清を連れて行き、腰かけた洛寒軒はいつものように彼を自身の膝の上に乗せる。
「ねぇ、寒軒。もしも、俺が天清沈派の宗主じゃなくなったら・・・その時は、龍王窟でお前と一緒に暮らしてもいい?」
「もちろんいいが・・・もしかして、やっぱりあの後何かあったのか?」
沈楽清が宗主の仕事をやるためにここに残ったことを知っている洛寒軒は、そんな彼の思わぬ言葉に眉をひそめた。
この前不用意に会ったことを思い出し、沈楽清に何かあったのではないかと心配になる。
「ああ、この前会って何かあったわけじゃないよ。そうじゃなくて栄兄に言われたんだ。優秀な人材が現れて、もしもその人が宗主になるなら家督を譲っても良いって。」
「優秀な人材?お前や藍鬼以外に?」
「うん・・・ほら、桜雲がこの前戦った子覚えてる?江陽明って言うんだけど。」
沈楽清の言葉に「ああ」と洛寒軒はあいまいな返事をする。
そんな洛寒軒の変化には気づかず、沈楽清は言葉を続けた。
「あの子はまだここに入ったばかりなんだけど、仙術も学術もとても優秀で、人付き合いも上手なんだ。気が早すぎるけど、もしかしてあの子ならここの宗主になれるかもって思って・・・」
「・・・そうなのか。」
「今すぐは無理だけれど、もしかしたら、数年後にはって栄兄とも話してて。あの子、本当にすごくて、この前も・・・」
まだ話を続けようとする沈楽清をぐいっと洛寒軒は押し倒すと、その身体を長椅子に押さえつける。
「え、ちょっ・・・」
「次にいつ会えるか分からないのに、他の男の話はもういいだろう?」
「・・・それは、嫉妬?」
「悪いか?」
洛寒軒の思いがけない可愛い一面に、仕方ないなぁと笑った沈楽清は洛寒軒の首にすっと手を回し、彼の髪紐についた琥珀の玉飾りを引っ張った。
高い位置で結わえていた洛寒軒の髪がその背中にばさりと落ち、相変わらずの絹糸のようなサラサラとした触感に指を絡ませて楽しんだ沈楽清は、その髪を一筋掬い上げるとちゅっと音を立てて口づけた。
「俺が好きなのは、お前だけなのに。」
耳元で囁いた沈楽清に「部屋へ行こう」と囁き返した洛寒軒は、その身体を軽々と抱き上げた。