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第82話

「こ・・・こちらです・・・」

「ありがとう。」

非常に優しい微笑みを浮かべたままにも関わらず、剣をしっかり男の首に突きつけた沈楽清は、男の案内でご本尊の間から続く地下の扉の前でふぅっと息を整えた。

扉越しでも分かるほどの禍々しい妖気に満ちている。

地上に漏れ出ないよう幾重にもかけられた結界の見事さに、沈楽清はこの中にいるのはよほどの腕の人物だろうと気を引き締めた。

「陸承、討伐します。」

「はい、宗主。」

油断できる相手ではないと悟った沈楽清は、話し合いではなくここの殲滅を計ることにした。

沈楽清の合図で扉を蹴り破ると同時に、陸承は全てを薙ぎ払う様に風の術を使って、室内へと大量の風を送り込む。

ゴオっと大きな音を立てて、風が通り過ぎた後、室内を覗いた二人はわずかに目を見開いた。

「すごいな・・・」

自身の腕に覚えがある陸承は、まるで何も起こっていない室内を見て思わず感嘆の声をあげる。

沈楽清も陸承の強さを知っているため、彼の力が全て無効化されたことに驚きを隠せなかった。

妖族について詳しく書かれた書の中、確認された妖族の中で、このような芸当が出来るだろう者は三人しかいない。

「妖王、朱羅、猿神・・・どれだと思う?天清神仙。」

「新しい妖族の可能性もありますけどね・・・」

「まぁな!」

陸承が再び、今度はフルパワーの炎を室内に叩き込む。

ドォンと大きな音を立て、室内が赤々と燃え始めた。

部屋の奥で何かがゆらりと揺らめく。

彼らが人間ではないことに気がついた案内役がひぃひぃと大きな悲鳴を上げるのを聞いた沈楽清は、これ以上人間を関わらせる訳にはいかないと彼を眠らせると風の術で彼を外へと逃がした。

「行くぞ、天清神仙!」

「ええ!」

踏み込んだ二人は、そのままその揺らぎに向かって切りかかった。

先にたどり着いた陸承の剣がぐっと何かに食い込む。

「もらった!」

そう思ったのもつかの間、ぐにゃりと大きく形を変えたそれはそのまま怪しげな光を放ち始めた。

「陸承!」

嫌な予感がした沈楽清が、陸承の身体に向かって防御の術を施したのと同時に、それは大きな爆発を起こした。


目の前で爆発が起きた瞬間、これで死ぬんだと沈楽清は思った。

もう二度と洛寒軒に会えない。

あの再会以降毎日会いたくて仕方がなかったけれど、下手に会うのは危険だからと年に一度、清明節の夜だけあの思い出の場所で逢瀬を重ねていた。

陸承だけでなく江陽明という若者が育ってくれたことで、もうすぐ本当に一生共にいられることになるはずだった最愛の人。

「ごめん、桜雲・・・」

滅多に見せない彼の優しい笑顔を最後に思い出し、沈楽清の口から謝罪の言葉が漏れる。

「・・・何がだ?」

周囲が爆発の影響か黒い煙で覆われ、何も見えない中、急に目の前で楽寒軒の声がして、沈楽清はぎゅっと閉じていた目をそっと開いた。

目の前に、いつもと変わらぬ洛寒軒の美しい顔がある。

「神様ってすごいな。最期に一番合いたい人に逢わせてくれるなん・・・んっ?!」

自分に向かって涙目で微笑んだ沈楽清を、洛寒軒はぐっと片手で抱き寄せるとその唇を奪った。

「んんっ!んんーーー!!」

いきなり息も出来ないほど深く口づけられた沈楽清は、それが夢や幻の類でないことをようやく自覚し、こんなことをしている場合ではないと彼の腕から逃れようと少しもがく。

「桜雲!どうしてここに?!」

「・・・すまないが楽清。先に薬をくれないか?」

沈楽清を放し、飄々とした態度で手を伸ばした洛寒軒の半身をみた沈楽清の口から小さな悲鳴が上がった。

「桜雲!その怪我・・・」

「大丈夫だ。以前、お前に吹っ飛ばされた時の方が重傷だった。あれに比べればかすり傷だ。」

沈楽清は胸元をごそごそと探り、薬を取り出すと洛寒軒に渡す。

仙薬を一気に呷った洛寒軒はそのまま再び沈楽清へと口づけた。

わずかに洛寒軒の口の中に残っていた薬が沈楽清の口に流れ込み、それをごくんと飲み込んだ沈楽清は「桜雲!」と彼に向かって非難の声をあげる。

「俺は必要ないって!」

「鈍いな。お前も怪我してるぞ。」

洛寒軒の指摘で、ようやく沈楽清は自分の腕の辺りが出血し、白い服がわずかに赤く染まっていることに気がついた。

「すまない。庇いきれなかった。お前に怪我をさせるなんて・・・痛くないか?」

「お前に比べたら怪我のうちに入らないだろ!本当にありがとう。助けてくれて。」

話しているうちに目の前で洛寒軒の傷が癒えていくのを見た沈楽清は、綺麗に傷が無くなった彼の身体に強く抱きついた。

彼の頬に両手で触れ、背伸びをすると自ら唇を重ねる。

そんな沈楽清に応えた洛寒軒は、少しだけ唇を離して「無事で良かった」と呟くと、再び優しく重ねた。

「死んだと思った・・・お前にもう二度と会えないって・・・そんなの、絶対にいやだ・・・」

腕の中で震える恋人の頭を優しく撫でた洛寒軒は、前の方から強い妖気を感じて鋭い視線を向けた。

パチパチと拍手をする音がして一人の男が悠々とその姿を現す。

「貴様・・・よくも楽清を。」

「あれを避けるとはさすがですね、妖王。そこの可愛い人も、きちんと部下を守って素晴らしいです。以前よりお強くなられたのでは?」

猿神の指さす方向に、沈楽清の張った結界の中で陸承がこちらを唖然とした表情で見つめている。

彼に怪我がないことに安堵した沈楽清は、洛寒軒とのことをこのような形で知られてしまった以上、後で彼としっかり話し合わなくてはいけないと考える。

「猿神・・・またあなたですか?」

「おや、もう何年も前に一度会ったきりなのに私の名前を憶えていてくれたんですね、可愛い人。それにしても、まさか貴方が天清神仙だとは。妖王の恋人が天清沈派の宗主とは驚きです。ずっと仙界はその清純そうな顔に騙されて続けている訳だ。」

「・・・騙してはいません。」

「でも、ずっと恋人だったのでしょう?しかも、深い仲の!そんな人間が仙界で神に等しい称号を持つ『神仙』とは仙界も落ちたものですね。妖王に抱かれた汚れた存在でありながら。」

かつて村を焼いた時と同じ村人の姿をした猿神は、沈楽清達を煽るように大笑いしながら嘲っていく。

「猿神・・・二度と北領へは来るなと言ったはずだ。覚悟は出来てるな?」

洛寒軒は沈楽清に「ここにいろ」と言って、彼の身体を離すと同時に猿神に向かって抜いた剣を一閃させる。

逃げる隙など与えず、洛寒軒の剣は猿神をあっさりと真っ二つに切り捨てた。

あまりにもあっけなく散った猿神の最期に、嫌な予感がした沈楽清が洛寒軒に駆け寄ろうとした瞬間。

彼の身体を四方から伸びた金色の光が拘束した。

「あ・・・」

「楽清!」

何かに掴まった沈楽清に駆け寄ろうとした洛寒軒と拘束された沈楽清の間に目に見えない透明な壁が立ちふさがる。

洛寒軒は妖気をこめた手でその壁を叩くも、その壁はびくともしなかった。。

「楽清!」

「寒軒!ダメ!何もしないで!」

「え・・・?」

思わぬ沈楽清の言葉に、本気で壁を叩き壊そうとした洛寒軒の手が止まる。

「天清神仙・・・信じられない。貴方は自分が一体何をしているのかお分かりですか?」

沈楽清の背後から、ひどく冷たい声が聞こえてきて沈楽清はその目を閉じた。

陸壮の後ろに多くの兵の気配を感じ取った沈楽清は、その場に膝をついて恭順の意を示す。

「・・・ええ、分かっています。陸宗主。」

「妙に妖王を庇いだてする人だとは思っていましたが・・・彼と抱き合うなど気でも触れたのですか?それとも無理やり・・・」

「いいえ!洛寒軒は何も悪くありません。」

猿神にはめられたと、沈楽清はようやく理解した。

妖族と関係を持つことは仙界で最も禁忌とされている。

それを何らかの形で知った彼は、自分の命を賭して沈楽清と洛寒軒の関係を明るみに出したのだ、と。

「天清神仙・・・まずは大人しく来ていただこう。」

「はい・・・」

白秋陸派の兵に捕らえられた沈楽清は、少しだけ時間をくださいとお願いして洛寒軒へと近づいた。

「楽清!こんなもの、すぐに・・・!そいつらを全員殺すことだって!」

透明な壁の向こうで叫ぶ洛寒軒に沈楽清は微笑むとそっと首を横に振った。

「ダメだよ、寒軒。そんなことをしたら戦争になってしまう・・・本当に二度と一緒にいれなくなってしまう・・・」

この場で白秋陸派を一掃することくらい洛寒軒にはたやすいことと沈楽清は知っている。

でも、彼らの後ろにいるのは天帝。

彼らを殺そうとした瞬間、何が起こるか分からない。

もし仮に今、何も起こらなくても、妖王が白秋陸派の宗主や仙人を大量に殺したとなれば、仙界は妖界との全面戦争に乗り出すだろう。

その結果、多くの血が流れる。

下手をすれば天清沈派のみんなが、大切な兄とその恋人が犠牲になることだって・・・。

ここへ来て一か月だった自分であれば、洛寒軒を沈楽清は選べたのかもしれない。

でも六年もの間、宗主を務めて多くの人々と温かい交流を持ってきた今の沈楽清にはそれはとても耐えられなかった。

「お願い・・・何もしないで・・・」

悲し気に目を伏せて自分へと哀願する沈楽清に、洛寒軒は強く拳を握りしめた。

「お前は・・・またそちらを選ぶんだな・・・」

「ごめん・・・」

沈楽清の肯定に我慢しきれず、洛寒軒が両手で壁を叩くと、その部分がピシピシと音を立て、バリンとガラスが砕け散るように、壁が一気に崩れ去った。

「そんな!」

「天帝の宝器が・・・!」

妖王の絶大な力に全員が大きく動揺する中、沈楽清に近づいた洛寒軒は彼を強く抱きしめるとその唇を重ねた。

光の束に身体を拘束されて洛寒軒を抱きしめ返すことが出来ない沈楽清は、その顔だけ上げて彼の唇を受け止める。

「桜雲・・・」

「・・・今は退く。だが、必ず助ける・・・」

沈楽清の頬を愛おしそうに優しく撫でた洛寒軒は、さっとその身を翻した。

彼に手を貸す様に、急に濃い霧のようなものが周囲に立ち込め、その姿が虚空へと消える。

しばらく彼が消えた方向をじっと見つめた沈楽清は、毅然とした表情で立ち上がると、陸壮の元へ歩いていき、「行きましょう」と自らの足で仙界へと向かった。


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