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第83話

「う・・・」

全身に、特に下から鈍い痛みを感じながら、沈栄仁はけだるげにその目を開いた。

「今・・・何時?」

自分が酷くかすれた声をしていると気づき、沈栄仁はとにかく強い倦怠感の残る身体を何とか起こす

と、寝台の横の机にある杯を震える手で取り、何とか水を口に含む。

よほど喉が渇いていたのか一気に杯を呷った沈栄仁だったが、勢いよく飲みすぎてゴホゴホと軽くむせてしまった。

杯を再び元の位置に戻すと、身体を起こしていることすら出来ない沈栄仁は再びごろんと寝台に横になる。

彼が寝ている真っ白な寝台はひどく乱れており、沈栄仁の全身に残る痕からも昨晩ここで何があったのか全てを物語っている。

もうここへ来て何日になるのか・・・とひどくぼんやりとした頭で沈栄仁は考えた。

小さい頃から何度も遊びに来た夏炎輝の部屋。

玄肖として飲み仲間になってからも、よく訪れては朝まで二人で楽しく語り明かした。

そんな楽しい思い出しかないこの部屋で自分は何故こんな目に遭っているのか・・・

とんとんと扉を叩く音が聞こえ、沈栄仁は視線だけそちらへ向ける。

「入浴の準備が整いました。」

「・・・つらくて起き上がれません。このまま寝させてください。」

「そんな訳には参りません。自分が帰るまでに玄肖様には入浴をさせて、その間にきれいに部屋を整えておくよう命令されております。」

使用人の感情のこもらぬ声と態度に、沈栄仁はぐっと奥歯を噛みしめた。

「・・・あなた方は今、自分たちが何をしているのかお分かりですか?」

「はい、もちろん。宗主があなた様に沈栄仁様の格好をさせ、ここに監禁していることは重々承知しております。ですが・・・私は華南夏派の従者。主人の命に従うだけです。」

毎日毎日続く同じ問答に、沈栄仁は拳を握りしめると、その場にたたきつけた。

自分の正体を他の人に明かしていないことは、せめてもの夏炎輝の配慮なのだろう。

玄肖と呼ばれながらも、夏炎輝に暴かれて本来の姿をさらしている沈栄仁としてはもう呼び名などどうでも良かった。

「・・・起きます。」

「ありがとうございます。どうぞこちらへ。」

浴室についた沈栄仁は服を脱ぎながら、その首元につけられた首輪を触る。

「炎輝・・・」

仙界で罪人を拘束する際に使われる拷問器具を、まさかあれほど愛していると繰り返す相手に使うとは・・・。

沈栄仁は小さく低く笑うと、昨晩の情事の後が残っている身体を彼の望み通りに洗い清めるため、洗い場へと向かった。


「栄仁、ただいま。」

「・・・おかえりなさい。」

「その服、お前に似合うと思って買っておいたんだ。良く似合ってる。」

「ありがとうございます。」

いつも通り一日の仕事を終えた夏炎輝は、食事と入浴を済ませて部屋に入ってくるなり寝台に横たわった沈栄仁の側に嬉しそうに駆け寄り、彼の身体を起こすと自分にもたれかけさせる形で座らせた。

まるで昨日の夜のことなど忘れたかのように。夏炎輝は沈栄仁の身体をこれ以上ないほどに優しく抱きしめる。

自分が贈った服の上から沈栄仁に触れながら、お前はいつも本当に美しいなと、沈栄仁の長い黒髪や藍色の瞳、何もしなくても赤い唇に口づけを落とす夏炎輝に、沈栄仁は何とも言えない表情を浮かべた。

自分のせいで彼がここまで狂ってしまっていただなんて。

沈栄仁は監禁しておきながら優しく愛を囁く夏炎輝に対して、もう何も言うことが出来ず、悲し気にそっと視線を落とした。

そんな沈栄仁に、少しでも笑ってもらおうと思ったのか、夏炎輝は他に何か欲しいものはないか?昼間は暇だろう?と彼を気遣う。

このなんとも皮肉めいた言葉に沈栄仁は呆れたように小さく笑った。

「炎輝・・・そう思うならいい加減私を・・・」

「栄仁。」

急に打って変わったような冷たい声で名を呼ばれ、沈栄仁の身体が一瞬で強張る。

そんな彼の頬にそっと触れた夏炎輝は沈栄仁の顔を上に向かせ、自分を見るよう促した。

「お前はただずっと私の側にいればいい。阿清・・・いや、今はもうなんと呼ぶべきか悩むが、あの子ももうすぐ妖王に嫁ぐのだろう?お前はこのまま私の道侶になればいい。安心しろ。あの二人が幸せになるのを反対もしないし、絶対に華南夏派は妖界に手出しをしないと約束する。大切なお前が帰ってきたんだ。妖王への恨みなど何もない。」

「炎輝・・・」

どさりと身体を横たえせられた沈栄仁はそれ以上何もいう事は出来ず、夏炎輝の首に手を回すと彼を黙って受け入れた。


「抱き方が違うって・・・自覚してるんですかね?」

散々自分を抱いた後、満足そうな表情で眠る夏炎輝の頬をそっと撫でて沈栄仁はぼやいた。

とても熱心に、愛情深く求めてくるのは以前と少しも変わらない。

しかし、あの一夜とは何かが決定的に違う。

抱かれているうちに、夏炎輝が激しい怒りを自分に対して抱いていることに沈栄仁は気がついた。

「いや」と拒否しても黙らせるように唇を塞がれるたびに、抗おうとした手を紐で拘束されるたびに。

我慢できずに自分が堕ちるまで、執拗に弱いところを攻める夏炎輝の表情は、快楽や愛情といったものではなく、いつも鬼気迫るものだった。

「ここで私を離したら、またどこかに行くって、二度と戻ってこないって、そう思ってるんですか?炎輝。」

沈楽清が全てを話して呼び出されたあの日。

ひどく酔って嘆く夏炎輝の涙に驚きと共に憐憫の情が沸き、彼が眠ってしまうであろう頃合いを見計らって、自分の姿をさらしたのが間違いだった。

もう楽になって欲しいと、自分を忘れて欲しいと『夢』という体で彼に一言伝えるつもりだった。

『ずっと怪しいとは思っていた・・・でも、お前はもう何年も私に正体を明かさなかった。数か月前にお前がそうだと確信して、それ以降、私は何度もお前を促して来たのに、自分から明かしてくれるのを待っていたのに・・・そんなに私が嫌いだったのか?それとも、もう他に誰かいるのか?!』

もともとかなりの体格差があり、武器が無ければ沈栄仁は夏炎輝に勝てたことが無い。

細い手首を思わず悲鳴を上げるほどの力で掴まれ、寝台に引きずり込まれると、それ以降はもう抵抗することなど適わなかった。

「炎輝・・・どうすれば貴方を安心させられるんです?どうすれば私を許してくれるんですか?」

例え何をされても、何があっても私は貴方を愛しているのに、と思いながら沈栄仁は夏炎輝の炎のように赤い髪をそっと撫でる。

ドンドンドン!

夜中にも関わらず、激しく寝室の扉が叩かれ、夏炎輝に優しく触れていた沈栄仁は驚いてそちらを振り向いた。

「・・・なんだ?誰だ?こんな時間に。」

沈栄仁が身体をゆすり、その呼びかけで身体を起こした夏炎輝は、沈栄仁の姿が誰からも見えないようすっぽりとシーツで頭から覆うと扉へと向かう。

「宗主!大変申し訳ございませんが、火急の要件が・・・」

「お前がそういうならそうだろうな。どうした?」

夏炎輝は扉の向こうにいた人物に寛大な態度を見せると、あまり中が見えないように扉を半分閉める。

「宗主。先ほど天清神仙が陸宗主に捕縛されました。」

「は・・・?」

「罪状は、妖族との姦通罪であるとのことです。」

門弟の報告にぐっと言葉を詰まらせた夏炎輝に対し、門弟は「かの方の弟君に限って、このような醜聞、信じられないかもしれませんが・・・」と言葉を濁す。

しかし、夏炎輝の驚きはそれとは別のものだった。

どうして今さらバレたんだ?と口の中で小さく呟く。

その時、ガタンっと部屋から沈栄仁が床へ崩れ落ちる音がして、夏炎輝は「支度をしたら、すぐに行く」と門弟を下がらせると、足に力が入らずに寝台の下に座り込んでいる沈栄仁を抱き起した。

「栄仁・・・聞いた通りだ。私が見てくるから、ここで大人しく・・・」

「炎輝、約束します!絶対に貴方の側からいなくなったりしない!だから、私を・・・私も楽清の所へ!」

しかし懇願する沈栄仁の身体を抱きかかえて寝台に横たえさせた夏炎輝は「ダメだ。」と冷たく言い放った。

「お前を愛してる・・・でも・・・お前の言葉が、もう信じられない。」

沈栄仁の目が大きく見開き、その目から一筋涙がこぼれた。

「栄仁・・・」

初めて見た沈栄仁の涙に、夏炎輝は思わず顔を背ける。

そして自身もまた辛そうな表情のまま、部屋を出て行こうとした。

「炎輝!」

夏炎輝の身体に追いすがった沈栄仁は、無理やり彼と一緒に外へと出て行こうとする。

「ダメだ、戻れ!栄仁!」

沈栄仁に背中を掴まれて焦った夏炎輝が振り返る間もなく、沈栄仁が一歩外に出た瞬間、首輪が一気にぎゅっと閉まって気管を塞ぎ、沈栄仁はそのまま意識を失った。

「・・・栄仁。すまない。ここで待っていてくれ。必ず阿清は私が助けるから。」

意識のない沈栄仁を抱え上げ、そっと寝台に寝かせた夏炎輝は、青白い顔をした沈栄仁の涙の跡を優しく拭うと辛そうな表情で部屋を後にした。


夏炎輝が去った直後。

主がいなくなるのを見計らっていたように、部屋の中へとするりと黒い影が入ってきた。

この部屋の中を知っているのか、その影は迷うことなく真っすぐ寝台へと向かう。

寝台に横たわる沈栄仁を見たその人物はクククっと小さく笑うと、彼の首についていた首輪を外した。

「全部うまくいったけど・・・あなたも沈楽清も洛寒軒も、もっと苦しんでもらわないとね。特に貴方は許せない。いつものように感情のままに動いて、全部失ってしまえばいい。」

音もなくその人物が去った後、沈栄仁は人の気配でふっと目を覚ました。

「え・・・?」

起き上がった反動で、首輪がするりと下に落ちる。

先ほど自分の首をきつく絞めた首輪がなぜか外されていることに気がつき、沈栄仁は「炎輝?」と呼びかけた。

しかし、室内は真っ暗で何も見えず、夏炎輝が近くにいる気配はない。

「楽清・・・」

沈栄仁は寝台から立ち上がると、よろよろと入り口に向かってその足を進めた。


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