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第85話

ガタッ、ガタン!

大きな音を立てて寝台から落ちた沈楽清は、自分が見た夢が信じられず、床に転がったまま目を見開いたままはぁはぁと呼吸を繰り返した。

「天帝に・・・沈仁清だって?」

最初に彼らの夢を見たのは、ここへ来てすぐの頃。

今後どうしていくか迷っていた時に夢に見た世にも美しい少年と凛々しい青年。

その後も沈楽清は数か月に一度くらい彼らのことを夢に見て来た。

最初の時の「もう二度と会わない」と青年が少年に向かって告げたあの悲痛なやりとりとは違い、その後はいつもどんな時も幸せな恋人同士にしか見えなかった彼ら。

町をデートする様子や一緒に妖族を協力して討伐する姿を見て、沈楽清は自分も洛寒軒とああやって過ごしてみたいと羨ましく思っていた。

心の底からお互いを信頼して愛し合う姿を見るたびに、沈楽清は目覚めと共に幸せな気分になったものだったのに。

振り返ってみれば、彼らの名前はそれまで夢で一度も出てこず、沈楽清は気になってはいたものの、なにぶん夢の話だったので本気になって調べようとはしなかった。

「沈仁清・・・って、栄兄と『沈楽清』の父親、だよな?」

天清沈派の二代前の宗主・沈仁清。

天帝がいれば本来生まれるはずがない生まれつき仙根を持った神の子『天清神仙』の父親で、それゆえに謀反人とされ、沈栄仁に家督を譲り自害した人物。

「それが・・・天帝と恋人だったなんて、ありえないだろ・・・?」

今までの二人を思い出すと、彼らの付き合いはずっと長くて深いものだった。

彼らは自分と洛寒軒のように、沈栄仁と夏炎輝のように確かに愛し合っていた。

「その天帝が、沈仁清が死ぬことを望むはずがない。」

一体どうなっているんだ?と沈楽清が呟いたところで、ギギィっと鈍い音を立てて扉が開く。

「天清神仙。」

ふいに自分と近くで声がして、びっくりした沈楽清は身体を竦ませた。

いくら寝ぼけていたとはいえ、音もなく自分に近づくなんて・・・

その上、暗い中でも彼の衣の色は白ではないことだけは分かり、こいつは誰だと沈楽清は警戒する。

かなりの手練れである相手がここへ来た意図が分からず、じっと床に座り込んだままの状態だった沈楽清に対して、「立てますか?」と手を差し伸べた青年は、沈楽清の背中を支えてその場に立たせると、「こちらへ」と言ってそのまま牢の外へと引っ張っていく。

「君は誰?私を一体どこへ?!」

「私は妖王の使いです、天清神仙。貴方様を自分の所へ連れてくるよう命を受けてこちらに参りました。」

「寒軒の?」

自分が囚われの身になって、あの洛寒軒が大人しくしている訳がないと沈楽清は思っていたため、沈楽清は一度はこの青年の言葉を信じた。

しかし外に出た瞬間、血の臭いが鼻につき、鼻と口を袂で覆った沈楽清の目に警備に当たっていたのであろう白秋陸派の仙人達の死体が無数に転がっているのが映る。

「これ・・・君が?」

「ええ。なので、早く行きましょう。追手が来ては面倒です。」

「・・・これを、寒軒が許したというのですか?」

「ええ。貴方を助け出すことができるなら、何をしてもかまわないと。」

「行きません!」

顔の目の部分以外、全身を黒い衣装で包んだ彼の部下だという青年の手を沈楽清はばっと振り払った。

「・・・天清神仙?」

「すみません・・・でも寒軒は、こんな・・・」

沈楽清の意図を汲んで引いてくれた洛寒軒が、自分が殺されそうになっているなどのよほどの事態がない限り、聡い彼が仙人を殺して大事にすることなどありえない。

洛寒軒という男を強く信頼している沈楽清は、今の状況を彼が命じたとは信じられなかった。

戸惑う沈楽清の手を再度強く掴んだ青年は、引きずるようにして沈楽清を連れて行こうとする。

「離してっ!私はここに!」

「宗主!」

周囲に響き渡るほどの大声と共に、黒衣の青年と沈楽清の間を裂くように刀が一閃される。

彼とその手が離れた沈楽清の身体はそのまま後ろに引っ張られ、剣をふるった相手の背中へとぐいっと強く押された。

「陽明!」

「貴様は何者だ?!宗主をどこへ連れていくつもりだった?!こいつらを殺したのもお前か?!」

沈楽清をその背にかばい、彼を攫おうとした相手へと強い怒りから江陽明は相手を攻撃し始める。

そんな江陽明の鋭い剣檄をかろうじてかわした黒衣の男は、そのまま森の奥へと姿を消した。

「陽明・・・」

「宗主!ご無事ですか?!」

沈楽清が声をかけると、江陽明はいつもの様子で彼に近寄ると、その身体に何も起こっていないか確かめる。

「何もされていませんか?ひどいこととか・・・」

「ええ、大事ありません。助けてくれてありがとうございました。」

沈楽清の変わらぬ微笑みに顔を赤らめた江陽明は、「ここでお待ちを」とその場で大きく笛を鳴らす。

笛の音で駆けつけた白秋陸派の面々に、江陽明は「間者が来て仙人を殺し、さらには沈楽清を攫おうとした」と説明する。

「という訳で、この方は私が連れて行きます。」

相手の返事を待たずに、江陽明は沈楽清の身体を「失礼します」と抱え上げると御剣で一気にその場を飛び立った。。

いきなりの展開に呆気にとられて江陽明を見上げた沈楽清に、にこりと笑った江陽明は「宗主、私と結婚しませんか?」と沈楽清の唇に己の唇を重ねた。


「その姿・・・それで、どうしてここに・・・?」

陸壮のところを何度訪れても門前払いされ、数日間は沈楽清を救出するために梦幻宮に泊まって粘り続けていた夏炎輝だったが、華南夏派領内に大量の妖族が現れたと報告を受け、一時的に赤誠宮へと帰ることになった。

ひどく情けないと思いながらも自分の部屋には行かずにそのまま領地へと向かおうと思っていた夏炎輝を、門のところで待っていたのは首輪が外れた沈栄仁だった。

「起きたら外れていました。」

おかえりなさいと沈栄仁は微笑むと夏炎輝へと近づき、そっとその手を彼の背中へ回した。

自ら腕の中に飛び込んで来た沈栄仁の温もりに、夏炎輝は戸惑いが隠せない表情のまま抱きしめ返す。

「ただいま・・・」

「炎輝、疲れていませんか?顔色が・・・」

「いや、私は大丈夫だ。それよりすまない、栄仁。阿清を・・・っ?!」

約束をしたのに沈楽清が救えなかったことを詫びようとした夏炎輝に、背伸びした沈栄仁は彼の頬に優しく触れるとそのまま口づけた。

「栄仁・・・?」

「炎輝・・・領内に大量の妖族が出たと聞きました。討伐へは私も一緒に行きます。二人で早く終わらせて・・・ちゃんと話をしましょう。」

「・・・分かった。」

きっと、これが最後になる。

沈栄仁を失う覚悟ができた夏炎輝は「少し待っていてくれ」と部屋へ戻ると、ずっと形見として預かっていた、彼が本来持つべき天清沈派宗主の剣・三智を沈栄仁へと手渡した。


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