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第86話

領内に出た大量の魔物。

弟から知らせを受けて、華南夏派の領地にやって来た夏炎輝と沈栄仁だったが、領地内にある赤誠宮にたどり着いた時には魔物達は煙のように全て消えていた。

「どういうことだ?」

単体では弱い妖族だとしても大量に発生した場合には多くの被害が発生する。

しかし、今回はその被害報告もなかった。

蜃気楼のように消えた魔物に、夏炎輝は困惑したまま大きなため息をつく。

「・・・別の狙いがあったのでしょう。おそらくは、貴方をここに呼び寄せたかっただけかと。」

「私を?」

「ええ・・・」

一つの推論が頭に浮かんだものの確信が持てない沈栄仁は固い表情で夏炎輝に進言する。

「とりあえず今日はもう遅い。私はこのままここで一番過ごすが、お前はどうする、栄仁?好きにすればいい。」

「・・・私もここに残ります。話をしましょう、炎輝。」


客間へ通そうとした夏炎輝を「今さらどうして?」と拒否し、強引に彼の部屋に一緒に来た沈栄仁は、その光景を見て絶句した。

「・・・物置にされてます?」

「違う・・・」

恥ずかしそうに顔を真っ赤にして背ける夏炎輝に、こんな一面は知らなかったなと沈栄仁は部屋の中へと足を踏み入れた。

自分が知っている夏炎輝の部屋は、無駄なものが一切なく飾り気もない、整然とした生活感がない部屋だった。

しかしこの部屋は、幼いころに使っていたのであろうおもちゃが入っている箱や大量に床に積まれた本や図鑑など、汚いわけではないけれどもお世辞にも綺麗とはいいがたい生活感あふれる部屋だった。

「あ、これ懐かしい。昔一緒に読んだ本ですよね!」

床に転がった一冊が目に入り、沈栄仁はそれを拾い上げると嬉しそうに夏炎輝に見せる。

「そうだな。」

齢四歳にして天清沈派の宗主となった沈栄仁は、他の家の子のように子どもらしい子ども時代を送れなかった。

そのため子ども達が読むような物語や歌、流行しているものなどはまるで知らなかった彼は、夏炎輝の自室に招かれた時に見つけたこの物語の面白さにすっかりはまり込んでしまい、全二十冊を一気に読み切ろうとそのままそこで徹夜した。

「思えば・・・貴方にはあの時からずっと迷惑をかけ通しでしたね、炎輝。貴方に婚約者がいたと、私は随分後になって知りました。それなのに、私が朝まで貴方の部屋から出てこず、出てきてからも一日ぼんやりしていたからあらぬ噂話が立ち始めて・・・」

「迷惑と、思ったことはなかったが?」

部屋の箪笥をガタガタと開けながら、夏炎輝は沈栄仁に返事をすると、自分はそのまま部屋着へと着替えを始めた。

よく日に焼けた筋肉質な身体が顕わになり、するりと床へ着物が滑り落ちる様に、ドキッとした沈栄仁は思わず顔を背ける。

「栄仁、お前も着替えを・・・って、栄仁?」

これしかないか、と自分が昔着ていた少し小さめの服を渡そうとした夏炎輝の前で、頬を赤く染めた沈栄仁は「いきなり着替えないでください。」と苦言を呈する。

「・・・見慣れているだろう?」

「そうですけど・・・」

もごもごと口ごもる沈栄仁に対して軽く笑った夏炎輝は「風呂へいかないか?その後で食事にしよう」と彼を誘い、右手を差し出した。


「酒は何がいい、栄仁。ある程度、何でもあると思うが・・・」

「では白酒で。」

入浴後、夏炎輝の部屋に用意してもらった料理を前に沈栄仁はキラキラと目を輝かせた。

「相変わらず、炎輝は辛い物が好きなんですね!」

激辛好きな沈栄仁は、この南方の唐辛子を大量に使った辛い料理が大好きだった。

天清沈派の領内は甘い辛いがはっきりしている料理が多い反面、辛さの大部分は塩気であり、実は沈栄仁が好む辛さではない。

そのため、最初に赤誠宮で真っ赤な麻婆豆腐を頂いた時の衝撃は今でもよく覚えている。

二人で乾杯をし、いただきます、と食事を始めた沈栄仁は目を細めた。

「うまいか?」

「ええ、とっても!」

普段人前で感情を押さえることが多い沈栄仁が、自分の前でだけ見せるこの無邪気な顔を見るのが夏炎輝は好きだった。

良かった、と口にし、自身は料理にほとんど手をつけず、少しずつ少しずつ舐めるように酒を口に含む。

「炎輝?」

「・・・話があるんだろう、栄仁。」

麻婆豆腐を食べ終えたところで、彼の料理が減っていないことに気がついた沈栄仁は小首を傾げ、そんな沈栄仁にまるで死刑宣告を待つ囚人のような表情で夏炎輝が彼に話を促す。

「あ・・・はい・・・」

ナプキンで口を拭い、彼の方へと身体を向けた沈栄仁は、口を開こうとしてそのまま黙り込んだ。

「・・・炎輝・・・手を、握ってもらっても・・・?」

「ん?ああ。もちろん。」

膝の上で真っ白になるほどぐっと握りしめた沈栄仁の拳の上に、夏炎輝の温かい手が優しく置かれる。

「炎輝・・・私はっ・・・」

真実を告げなくてはいけないという責任感から話をしようとするものの、言ったら嫌われてしまうのではないか、お前などいらないと言われるのではないかという恐怖感から、沈栄仁の瞳から涙が零れ始める。

そんな沈栄仁を見た夏炎輝は、やはり別れ話かと覚悟を決め、隣に座る彼の身体を抱き寄せた。

「栄仁、好きだ。ずっと昔、小さい頃に最初に会った時から、私はお前を・・・」

「炎輝・・・でも、私・・・」

「今からお前が何を言っても、私は一生お前を愛してる。それだけは覚えておいて欲しい。」

我ながら重いしどこまでも未練がましくて情けないなと思いながらも、彼を愛することを辞められない夏炎輝は、これが最後になるであろう沈栄仁を抱きしめる力を少しだけ強くする。

彼の温もりをしっかりと覚えておくために。

「炎輝・・・でも、私は・・・貴方にそんなことをいってもらう資格が・・・だって、私、私は・・・前妖王に・・・っ」

夏炎輝の愛の告白に腕の中の沈栄仁の身体がブルブルと震え出し、沈栄仁は震えを止めようとぎゅっと夏炎輝の身体に縋りついた。

この数年間、今まで何度シミュレーションしても「嘘つき」と夏炎輝に冷たい目を向けられる想像しか出来なかった。

「炎輝・・・私は・・・」

嗚咽交じりの震える声で、沈栄仁はぽつりぽつりと妖界へと派遣された日々を語り始める。

心が死んでいくような地獄の日々の中、どれほど夏炎輝の存在が救いだったかも。

「汚された私が・・・貴方の隣に立つなんて・・・出来ないって、だから・・・」

あの一夜がなければ、約束が無ければ、洛大覚に辱められた時点で沈栄仁は死を選んでいた。

それを押しとどめたのは夏炎輝にもう一度会いたいという想いと、自分を助けたせいで望んでいないのに妖王になってしまった洛寒軒への罪滅ぼしからだった。

「・・・あの子を妖王にした後、私は死ぬつもりでした・・・」

仙界から洛寒軒を殺すよう命を受け、ようやくこれで死ねると妖界へと戻ろうとした沈栄仁は偶然、他の妖族の討伐で人界へ来ていた夏炎輝を見かけた。

「覚えてますか、炎輝。助けたとても美しい娘に妻にとせがまれた貴方が、何と言ったか。」

「いや・・・」

八歳から沈栄仁をただ一人と定めてしまった夏炎輝に、それでも告白してくる人間は種族を問わず後を絶たなかった。

しかし夏炎輝からしてみればそれがどれほどの美女であろうと、断ったうちの一人でしかないため特に印象になど残っていない。

「私の妻は、永遠に沈栄仁ただ一人だと、貴方は彼女に言ってくれたんです。それを聞いて、私は、何としても生き延びて・・・」

貴方の所へ帰りたかったと蚊の鳴くような声で囁いた沈栄仁に、複雑そうな表情になった夏炎輝は、それでも彼を強く抱きしめた。

「・・・その言葉で死ぬのを思いとどまってくれたなら、どうしてすぐに帰ってきてくれなかった?全てのものから必ず守ってやると言った約束を忘れたのか?洛大覚と洛寒軒のことも良く分かった・・・その程度で私がお前を嫌いになるとでも?」

「・・・私は、天清沈派の宗主ではありませんから。」

「玄肖と名乗るしかなかったからか?別に身分なんてどうでも・・・」

「いいえ、違います。私は仁清様の本当の子ではないからです。私の本当の父親は誰か分かりません。乱暴され、身ごもった母が死のうとしていたのを止めたのが仁清様でした。生まれた私をあの方は自分の子として育ててくれたんです。」

沈栄仁の出生の秘密に夏炎輝は大きく目を見開いた。

確かに外見は全く似ていなかったとはいえ、どう見ても仲の良い親子にしか見えなかったこの二人にこんな秘密があろうとは。

「本来であれば、私は貴方とこうして二人で話など出来るような立場ではなかった。下手をすれば出会う事もなく、私は一生を人界で終えていたかもしれない人間です。そんな私では、華南夏派の正当な後継者である貴方の隣になんてふさわしくないと、ずっと・・・」

周囲に何を言われても沈栄仁が自分からの道侶の申し込みをずっと断り続けた理由がようやくわかった夏炎輝は、なぁ栄仁、と腕の中でずっと目を伏せたままの彼に声をかける。

「お前は私をどう思ってる?」

「どう、とは?」

「生まれや育ち、過去などを全て無視して・・・一人の人間として、お前は私をどう思ってるんだ?」

夏炎輝の問いに、沈栄仁は何の迷いもなくきっぱりと「愛しています」と答える。

「初めて会った時から、私も貴方を・・・ずっと・・・」

「栄仁・・・この部屋を見て分かると思うが、本来私はあまり片づけが得意じゃない。最初にお前が私の部屋に来た時、綺麗な部屋だと喜んでくれたから、それでずっと頑張っていた。」

「え?」

「それに私は、本当は辛い物が苦手だ。酒も本当はそこまで強くはないし、お前がこだわって淹れてくれるお茶の違いも実は良く分からん。果物をそのまま食べたり、魚を釣って焼いて塩をふって食べるのが一番うまいと思うような単純な男だ。あと金銀財宝にも興味はないし、衣服にもこだわりはない。ずっとお前に気に入られたくて、お前の隣にいて似合うだろう男を必死で演じて来た。他にも・・・」

「・・・」

夏炎輝が急に告白し始めた「本来の自分」に沈栄仁は言葉を失う。

「そのうえ本当の私は、お前を監禁して閉じ込めて無理やり身体を奪い続けるような、そんな卑怯な人間だ・・・そんな私でも、お前は私を好きなのか?」

そこまで言われて、夏炎輝が何をいいたいのかようやくわかった沈栄仁は、フフッと微笑んだ。

「お互いに考えすぎて、なんだかバカみたいですね、私たち。」

「ああ、そうだな。お互いにお互いのことしか考えてなくてすれ違うなんて皮肉もいいところだ。」

それまで目を伏せたままだった沈栄仁は、顔をあげるとしっかりと夏炎輝の瞳を見つめる。

その頬に手を伸ばして優しく触れた沈栄仁に、夏炎輝もまた同じように彼の頬に触れた。

「私と結婚してください、炎輝。どんな貴方でも私は貴方を愛しています。」

「私と結婚して欲しい、栄仁。どんなお前でも私はお前を愛している。」

同じタイミングで口を開いた二人は、一息に自分の言いたいことを言った後、お互いのセリフを頭の中で反芻し、思わず吹き出した。

「一緒だな。」

「一緒ですね。」

沈栄仁の腕が夏炎輝の首に回され、夏炎輝の腕が沈栄仁の頭と腰に回される。

再び顔を見合わせて微笑み合った二人は、そのままお互いの唇を重ねた。


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