「ねぇ・・・俺をこんな場所に連れてきて閉じ込めて、一体何をするつもりなの?」
ふわふわと浮かぶ球体の中に閉じ込められた沈楽清は、目の前で鼻歌を歌いながら呑気に剣を磨く江陽明に声をかけた。
「おっ、いいねぇ。その喋り方。良い子ちゃんなしゃべり方より全然いい。」
「ふざけてないで用件を言え!・・・いえ、言ってください、陽明。」
相手を喜ばせるのはごめんだと沈楽清は口調も表情も丁寧な自分に戻す。
「え?辞めようよ。その他人行儀な口の利き方。君は僕の妻になるんだし。」
「ならないよ!勝手に決めるな!!」
一度口づけた仲じゃないと投げキッスをしてお道化る江陽明に沈楽清は怒鳴りつける。
「俺はもう結婚してる!夫は洛寒軒だ。あいつ以外の妻になんて死んでもならない!」
顔を真っ赤にして怒鳴る沈楽清に、可愛い顔なんだから怒っちゃだめだよとますますおちゃらけた江陽明は大笑いしながら部屋を後にする。
「その球体、仕掛けは最初に言った通りだから下手なことはしないようにね。大人しく助けを待ちなよ、お姫様。まぁ気が向いたら出してあげるから。」
「おい。」
江陽明が廊下に出たところで、横の壁の方から声がかけられて江陽明はいつもの人の良い笑顔で振り向いた。
「なんです?教祖様。」
「その名はもう終わりだ。沈楽清はどうした?ここへ連れ込んでからかなりの時間があったが、さっそく自分のモノにしてたのか?」
「まさか!無理に決まってるでしょ?あの人、ああ見えて滅茶苦茶強いんですよ?襲った瞬間に殺されますって。」
へらへらと笑いながらのらりくらりと返事をする江陽明に、建物の影の中に隠れて姿を見せないその人物は苛ついた声を出した。
「眠らせてさっさとヤッて自分のモノにすればいいのに。じゃあ、どうするつもりで・・・」
「簡単です。妖王を彼の目の前で殺せばいい。」
死んだら流石に諦めるでしょとニコニコ話す江陽明に、勝算はあるのか?と男が問いかける。
「あるに決まってるでしょ?こちらに彼がいるんだから。」
「・・・まぁ、そのあと沈楽清は好きにしろ。そのままあいつをモノにして沈家を裏から操るのもいいし、面倒ならばあいつを殺してもいい。本来ならそこはお前のものだったんだから。」
「そうですね・・・確かに僕のものだったかもしれないですね。」
江陽明に「しっかりやれよ」と命令して、その影の気配が消える。
「ほ~んと、めんどくさいったら。」
はぁっと大きなため息をついた江陽明は、さて誰が一番にここに来るかな?とニヤリと笑うと再び沈楽清で暇つぶしをするために室内へと戻っていった。
仙界に来た洛寒軒と沈栄仁と夏炎輝は、沈楽清が捕らえられているはずの塔の周辺が大騒ぎになっているのを近くの森から眺めていた。
「白秋陸派があんなに血相変えているところを見ると、手紙の通り、楽清が攫われたというのは本当のようですね。」
さてと呟き、姿を玄肖に変えて出て行こうとした沈栄仁を二人が止める。
「状況も分からないのにノコノコ出て行く奴があるか!」
「お前が行ってもダメだろう。お前はただでさえ白秋陸派に睨まれているのに。」
夏炎輝の指摘に、洛寒軒が今度は一体何したんだ?と横目で見る。
「ち、違いますからね!何かを私がしたわけじゃなくて!仙界に戻ってからずっと『沈栄仁の真似をして炎輝に近づく痴れ者』って言われて軽んじられてただけです。」
「とんでもない通り名だな。」
「アハハ、まぁ時々本気でそれを信じて襲おうとする阿呆も・・・」
「ほぅ・・・それは、どこのどいつだ?栄仁。今も仙界にいるのか?」
妻が世話になったとご挨拶させてくれと笑みを深くした夏炎輝に、しゃべりすぎた沈栄仁はにっこり笑って、さてとと話を仕切り直す。
「大丈夫ですよ。いざとなれば二人が助けてくれるでしょう?」
「いや、ここは私が行こう。立場的にも一番話してくれるはずだ。」
「ちょっ、炎輝!貴方は演技が・・・」
沈栄仁が止めようとする中、立ちあがった夏炎輝はさっさと白秋陸派の門弟に近づくと沈楽清に会わせてくれと迫る。
「こんなところにいつまで宗主の一人を閉じ込めておくつもりだ?!」
「夏宗主!むしろ天清神仙が何処へ行ったかご存じなのでは?!」
「門弟の江陽明が迎えに来て連れて行ったのに、天清神仙は玄冬宮にいないのです!一体どこへ行くよう指示を?!」
「江陽明が阿清を?というか、待て待て。どうして私が?」
白秋陸派の門弟から詰め寄られた夏炎輝の耳に「夏宗主」と冷たい声音が届く。
「陸宗主。これは一体?阿清は?」
「・・・私はむしろ貴方が仕掛けたことだと思っていましたが?」
自分を睨みつける陸壮へ、おいおいと思った夏炎輝は「私がどうして?」と苦笑する。
「決まっています。沈栄仁殿の弟だからです。生きていらっしゃるんでしょう?ずいぶん長い間私たちを大胆な手口でだましてくれましたね。貴方は彼と組んで仙界で何をしようと言うのですか?」
「なんの話だ?栄仁?死んだ栄仁がどうしたんだ?」
「・・・夏宗主。玄肖殿・・・いえ沈栄仁殿はまだ貴方の部屋に閉じ込められているのですか?」
陸壮の合図で門弟達が剣を抜くと、一斉にそれを夏炎輝へと向ける。
「お前達、誰に剣を向けているか分かっているのか?」
わずかにじりじりと後ろに下がり、距離を取りながら夏炎輝は自身も剣を抜いた。
「捕らえろ。」
陸壮の指示で一斉に門弟が飛び掛かってくるのを見た夏炎輝は、応戦しようと剣を振りかぶる。
しかし、後ろからごうっと大きな音を立てて突風が起こり、白秋陸派の視界を遮ってくれたのを見て、夏炎輝は迷うことなくその身を森の中へと翻した。
「炎輝!」
走り出した夏炎輝の手を、先を走っていた沈栄仁が強く掴む。
「ありがとう!助かった!」
「どういたしまして。」
妖術で竜巻を起こした洛寒軒もまた彼らと一緒に走り始めた。
風が治まってきて、徐々に視界が開けてきた陸壮は「追いかけろ!」と門弟達に命令しようとして、視界に入った洛寒軒の顔に一瞬言葉を失う。
絹のような長い黒髪にわずかに精悍さを感じさせるこの世のものとは思えない美貌。
黒衣を纏う細くしなやかな肢体。
「・・・そんな、バカな。だって、もうあの方は・・・その子どもも確かに殺したと・・・」
陸壮の一瞬の迷いの間に、逃げた三人の姿はそこから煙のように消えた。