中からの刺激で大爆発を起こすと脅された球体の中でからかわれること半日。
どうにかしてここから抜け出したかった沈楽清は、彼に対して「お風呂に入りたい」と要望した。
「ずっと入ってないんだ。逃げないし、何もしない。だからお風呂に入らせて。」
まぁダメだろうなと半ばやけっぱちで言った要望が通され、沈楽清は一瞬喜んだものの、脱衣場で一緒になって服を脱ぎ始めた江陽明に「何してるんだよ!」と脱衣籠を投げつけた。
「何言ってるんです?男同士でしょ?」
「俺を妻にしたいなんて言う奴と一緒に風呂に入る阿呆が何処にいるんだよ?!」
「え~、背中洗いっこしましょうよ!」
「死んでも御免だ!!」
ひと悶着あった末、こっちを絶対見ないならいいと譲歩した沈楽清は、まずは江陽明を先に入らせて自分は後から浴室へと入って行った。
沈楽清の言いつけ通り、壁を向いて大人しく入っている江陽明の姿に少しだけ安堵した沈楽清はさっさと身体と髪を洗うとドボンとお風呂へと浸かる。
「は~生き返るぅ・・・」
ふ~と深呼吸をした沈楽清に「じいさんみたい」と江陽明の背中が笑う。
「・・・こっち、絶対に見るなよ?出たくなったら言って。俺、先に出るから。」
「見ませんって。それは初夜のお楽しみ・・・って、今それ当てたらそっち振りむいちゃいますからね!」
思わず湯桶を掴んだ沈楽清にどうやって気がついたのか江陽明が慌てた声を出す。
「ちゃんとお風呂に入れてあげたでしょ?もうちょっと仲良くしましょうよ~。ちなみに妖王とは普段どんな風にするんですか?お風呂の中とかでもしました?」
「バカなの?!死んでも話すか!」
ずけずけと洛寒軒とのあれこれを聞いてくる江陽明に、とうとう沈楽清はそっぽをむいたまま何も言わなくなる。
「ねぇねぇ、宗主。」
「・・・」
「ねぇねぇってば、そっちむいちゃいますよ?」
「向いてもいいよ?刺し違えてでも殺してやる。」
冷たい目で睨む沈楽清に「美人さんが台無しですよ~」とからかう江陽明に対して、とうとう我慢が出来なくなった沈楽清は大声で怒鳴った。
「別に俺は喋りたいなんて思ってない!喋りたいなら勝手に喋ればいいだろう?!」
ふぅふぅと肩で息をした沈楽清にますますケタケタと笑った江陽明は、笑いすぎて涙が出てきたその目から涙を拭くと「じゃあ」と話をし始める。
「つまんない話を一つ。あるところにね。すごく綺麗なお人形みたいな子がいたんです。すごく強い力を持ったその子は、誰にも何も教えられることもなく、愛情を向けられることもなく、何もすることもなく、一日の大半を椅子に座って過ごしていました。そんなある日、その子の世話係が交代することになりました。最初は今までの人間と同じようにその子を綺麗な人形さんとして扱っていたその男は、その子を見ているうちに、その子に本当は意思も表情もあることに気がつきました。」
「人間なんだから当たり前だろ?」
「・・・まぁ最後まで聞けって。気がついた男は、その子に読み書きを教え、ある日一冊の本を与えました。するとその子はあっという間に本を読み終えました。面白くなった男は、まるで動物に芸を仕込むみたいにその子に本を与え続けました。ありとあらゆることを知ったその子は、ある日自分の言葉で喋るようになったのです。」
江陽明の話す物語が良い話だと思った沈楽清は「良かったじゃないか。それで?」と続きを促す。
「その子が勝手に喋り出したことで周囲は慌てました。その子は自分の意思を持ってはいけない存在だったからです。周囲の人間は彼に知識を与えた男を糾弾しました。可哀想なその男は、全てを没収され、その場所から追い出されたのです。」
「え?その子は?その世話をされた子どもは男に恩義を感じてるはずだろ?どうして助けてくれなかったんだ?」
「恩義?!」
沈楽清の言葉に、珍しく江陽明が声を荒げる。
「何も考えたこともない、感じたこともない、書物でしか世界を知らない人間が恩義なんてものを感じると?!」
そう問われて改めて考え直すと、確かにそれは人との交流から生まれたものだと沈楽清は思い至る。
困った顔をした沈楽清にしまったという表情を浮かべた江陽明は一つ大きく深呼吸をした。
「・・・すみません、話がそれました。その後、その子は感情を押し殺し、再び人形に戻りました。しかし、ある日、その子の心を揺り動かすような出会いがあり、その子は再び心を取り戻しました。そしてその子はその運命の相手と幸せになりました。めでたしめでたし。」
パチパチと手を叩いた江陽明が何を言いたいのか分からず、沈楽清は困惑した声で「それで?その物語がどうしたの?」と問いかける。
そんな沈楽清を見た江陽明は、一瞬あっけにとられたような表情をした後、狂ったように大声で笑い始めた。
「おいおい、その言葉は本当か?!あんた、今までどうやって生きて来たんだ?なるほどなるほど・・・なんてバカバカしい・・・」
「陽明?気を悪くしたなら申し訳ないが、本当に君が何を言ってるか俺は・・・ぐっ?!」
鬼のような形相でこちらを振り向いた江陽明は、困惑していた沈楽清に一瞬で間合いを詰めるとその口を左手で塞いだ。
「黙れ!世間知らずの幸せなお坊ちゃん。本当にお前の兄はさぞや苦労したんだろうな。こんなお花畑の弟を育てたくらいだ。たった一人で全部背負わされて、散々辛い目にあわされて、結婚するはずだった男とも幸せになれず・・・かわいそうに。」
カッとなった沈楽清はその手を噛もうとするも、もう片手で沈楽清の首を掴んだ江陽明に身体を持ち上げられ、思いきり洗い場へと叩きつけられた。
「う・・・うう・・・」
痛みから動けない沈楽清の白く細い肢体をじっと見つめた江陽明は、ニヤリと笑うと沈楽清の両手首を片手で拘束して組み敷く。
「い、いやっ!」
「・・・弱弱しい振りしなくても分かってるよ、天清神仙。あんた、本気になれば大爆発起こせるんだろ?なんで本気出さないの?僕を殺しちゃうから?」
クスクスと冷たい瞳で笑う江陽明に「どうしてそれを?」と沈楽清は震えた声で尋ねる。
しかしその問いには答えず、江陽明は「どちらか選べ」と沈楽清の耳元で脅しつけた。
「死ぬか、抱かれるか、どっちがいい?ああ、抱かれて隙をついて僕を殺そうなんて都合のいいことは無理ですよ?だって、そろそろ効いてきたでしょう?」
「え?あ・・・」
ぐらりと急に眩暈がして、それまで江陽明に抵抗していた沈楽清の身体から一気に力が抜けていく。
そんな沈楽清の身体をゆっくりと触りながら江陽明はニィっと口の端を歪めた。
「あんた、人を信じすぎ。先に入って何もしかけてないと思ったの?それにしても媚薬効きやすいなぁ。普段、妖王とする時に何も使わないんだ。このまましてみる?すごく気持ちよくなれるよ?」
沈楽清の首筋に指を這わせた江陽明から逃れようと、沈楽清は必死になって頭を横に振った。
「死んでもいや!」
「・・・このままにすると身体辛いのにね。可哀想。じゃあ、死ぬ方でいいんだ?」
「その方がマシだ。」
死を選ぶ自分に頭の中の洛寒軒がひどく悲しそうな顔をしている。
彼の過去を考えれば、沈楽清に何があっても彼は全部受け入れてくれるだろう。
それでも洛寒軒以外を一度でも受け入れるのは沈楽清自身が無理だった。
「殺せよ。」
強く睨みつけた沈楽清に、ハハっと笑った江陽明は沈楽清を引きずって脱衣場へ行き、見たこともないような色の液体を彼に飲ませた。
ドクンと大きく心臓が波打ち、脈が飛んで、呼吸が一気に苦しくなる。
「これ、二日間かけて死んでいく薬なんだ。だからもう一度チャンスをあげる。僕の妻になると約束してくれれば解毒剤をあげるよ。でも、もしも・・・」
「宗主!!」
途中まで江陽明が言いかけたところで、脱衣場の入り口の方から起こった大きな竜巻が沈楽清の身体を攫った。
そのままぽすんと男の腕に納まった沈楽清は、自分を助けてくれた男を半分意識のない状態で見つめる。
「・・・陸、承・・・う、ううっ・・・」
ぐったりと荒い呼吸をする沈楽清を見た陸承は彼を抱きかかえたまま江陽明を睨みつけた。
「天清神仙の生まれ育った場所から物音がすると聞いて駆けつけてみれば・・・一体何をしている、江陽明?!お前は私の優秀な副官だと信じていたのに!なぜ宗主をこんな場所へ連れて来た?解毒剤とは何の話だ?!」
「おや、陸承殿。安心してください。僕は相変わらず優秀な副官ですよ?」
「はぁ?!宗主に毒を飲ませて、一体どの口がそんなことを?!」
クックックと笑った江陽明は「まぁ、いいです」と呟くと手を高く上に挙げた。
その瞬間、天井が爆発してガラガラとがれきがその場に大量に降り注ぐ。
「なっ?!お前!」
「早く治療しないとその人死んじゃいますよ?まぁ治療薬なんて仙界では見つかりませんけどね。じゃ、宗主。助かりたくなったら僕の名前を呼んでくださいね。」
崩れた場所から出て行った江陽明を追いかけようとした陸承を、沈楽清が「待って」と押しとどめる。
「・・・いい。このままで。」
「しかし、宗主!このままでは!」
「陸承、よく聞いてください。貴方を私の代わりに天清沈派の宗主に任じます。」
そう告げた沈楽清の身体からガクンと一気に力が抜け落ちた。
「宗主・・・宗主!」
心臓に耳を当てた陸承は沈楽清がまだ生きていることを確認し、そこにあった沈楽清の服で彼の身体を包むと、一気に御剣で人界へと駆け下りた。
「ふざけるなよ。こんなおこぼれみたいな形で宗主にしてもらって誰が嬉しがると思ってるんだ?お前を治して、その上で私に宗主を譲らせてやる!」