赤誠宮に白秋陸派の門弟たちが出入りしているのを見て、三人ははぁっと大きなため息をついた。
「ずいぶん幅を利かせた奴らだな。」
「天帝の側仕えですよ?やりたい放題に決まってるでしょ?」
「そこに合わない人間が他家に流れる。特に陸壮殿は賢い者しか登用しない。いくら腕自慢でもな。」
二人の説明に洛寒軒はなるほどと納得する。
「楽清の姿がない以上、天清沈派を尋ねるのも危険でしょう。どうやら私たちが楽清を連れ去った首謀者とされているみたいなので。」
「・・・龍王窟に来るか?お前達二人を匿うくらい訳はない。楽清と四人で暮らせばいい。お前たちは二度と表に出ることは適わないかもしれないが。」
洛寒軒の思わぬ提案に、顔を見合わせた沈栄仁と夏炎輝は首を横に振る。
「お心遣いありがとうございます。でも今行ったら、それだけで戦争の引き金ですよ。」
「今回のことは仙界の内部のことだ。人界や妖界を巻き込むつもりはない。だから、洛寒軒。私たちと別れて阿清を見つけたら、あの子が何を言おうと妖界へ連れ去ってくれ。二人はそのまますべて忘れて幸せになればいい。後のことは、私と栄仁がどうにかする。」
夏炎輝に肩を抱かれた沈栄仁は彼の身体にそっと寄りそった。
「・・・死ぬ気か?」
「ただでは死にませんよ。」
「俺と楽清が証拠になるだろう?俺たちと藍鬼、お前が証言すれば。」
「証言は証拠にはなりませんよ。貴方が桜蘭様の形見を持っていても、それは盗んだものとして処理されるでしょう。姿形も変化していると言われればそこまでです。楽清はもともと突然変異と言われてきた存在。今さら生まれつき仙根をもっているから天帝だと言ったところで誰も信じません。私の証言も・・・玄肖として六年も周囲を欺き続けた。誰が信じると?」
でも、と言いかけた洛寒軒の肩をぽんぽんと夏炎輝は叩くと「大丈夫だ」と明るく笑った。
「そんな顔をするな。安心しろ。栄仁と二人ならどこでも生きていくことができる。」
覚悟を決めている二人の横で、洛寒軒は近くにあった木を悔しそうに強く殴った。
「・・・いるじゃないか。」
「え?」
「もう一人・・・すべてを知る生き証人。」
「風金蘭殿ですか?あの方は陸壮殿ととても親しい。春陽風派のこともありますし、陸壮殿を裏切って、私たちにつく意味がない。」
全てを諦めたように笑う沈栄仁に洛寒軒はくってかかった。
「俺は楽清を泣かせたくない。どうせ死ぬなら先にやれることは全部やるぞ!」
「風宗主。」
養子息子に名を呼ばれた風金蘭は、ソファに深く腰掛けて憂鬱そうに抱えていた頭を上げた。
「浩然。もう実質的には貴方がこの春陽風派の宗主。貴方がその名で私を呼ぶのは止めて頂戴。」
すみませんと謝る風浩燃に微笑んだ風金蘭はそれで?と彼を促す。
「天帝より、風家も兵を出して急ぎ沈栄仁様と沈楽清様と夏炎輝様の三人を捕縛するようにと。彼らに加担する者も同罪なので同じく捕縛するようにとのお達しです。」
「・・・御意。浩燃、あとは頼んだわ。」
頭を下げて風浩燃が部屋を出て行き、その扉が閉まると同時に風金蘭は大きなため息をついた。
「天帝の命・・・いつ聞いても本当に笑えるわね。」
しばらくして蒼霊宮の門が開く大きな音がして、大勢の門弟が一斉に外へと出て行く音がする。
彼らの足音が遠ざかる音を聞きながら、風金蘭はその中にかすかに混じる琴の音に気がついた。
春を思わせる優しい音色。
「・・・桜蘭?」
椅子から立ち上がった風金蘭は、部屋を飛び出るとそのまま音がする方向へ走った。
廊下ですれ違う使用人たちに「ついてこなくていい」と声をかけ、中庭へと飛び出た風金蘭は一本の桜の木を目指して走っていく。
桜の季節に生まれた愛娘の誕生を祝って植えた桜。
毎年彼女と一緒に花見をしていたその場所は、あの日突然悲劇の場所へと変わった。
全ての罪がはじまったその地に、風金蘭があの日以降、足を踏み入れたのは一度だけ。
二度と行くことは無いと思っていた場所に近づくにつれ、どんどん大きくなる琴の音に風金蘭の心は大きく乱れた。
「そんな訳ない・・・あの子はあの日死んだ・・・孫も一緒に・・・」
白秋陸派の門弟が持ってきた男か女かも判別できない黒焦げの死体。
しかし強く握りしめた手に残されていた護符のかけらが、かつて自分が護身用にと彼女に渡したそれで、風金蘭はその死体を自分の娘だと確信した。
そしてその娘に抱きつくようにして死んでいたのは、おそらく成長した孫だろうと。
娘が大切にしていた琴は確かに見つからなかったけれど、あの日、娘と一緒に燃えてしまったものと思い込んでいた。
目的地にたどり着いた風金蘭は、木の下に一人の女性が座り、琴を弾いている姿を目撃する。
ふわふわと波打つ鳶色の豊かな髪の毛、桜色の大きな瞳。
その白い肌によく似合うようにと特別に作られた桜色の着物。
そして、琴の名手だった彼女が愛用した『連理』。
「誰なの?!」
桜の木の下で演奏していたその人は風金蘭の声を聞くとその顔を上げた。
「お母さま。」
ふわりと微笑んだその声まで、かつての娘にそっくりで風金蘭の瞳から涙が溢れ出す。
「そんな訳ないわ・・・あの子は死んだ。それに、桜蘭の美しかった顔は・・・私が・・・」
「そうだな。母の顔は焼かれていた。」
泣き崩れた風金蘭の耳に低い男性の声が響き、彼女はハッとその顔を上げた。
先ほどまでの美しい少女はそこにはおらず、代わりにいたのはこの世のものとは思えないほどの怜悧な美貌の男性。
その風貌に「天帝?!」と風金蘭は悲鳴を上げた。
「・・・前天帝にそんなに似ていますか?寒軒は・・・」
昔よく聞いていた声が後ろから響き、風金蘭ははっと後ろを振り替えった。
「栄仁様・・・夏宗主・・・」
「・・・ひどい真似をしてすまなかった、風宗主。」
「正面から普通に門を叩いてもダメだと思ったもので・・・彼が誰かはお分かりですよね?」
「・・・分からないわ・・・」
「風宗主!この期に及んで白を切るのは!」
非難の声を上げた沈栄仁に風金蘭はきつく彼を睨みつける。
「だって!私は、私の娘と孫の死体を渡されたの!黒焦げの、もう顔も何も分からない死体を!!でも、その手に確かに私が渡した護符を持っていた。あれが桜蘭でないなら誰だと言うの?!そんな桜蘭を守るように抱きしめていたあの子供の死体が・・・一緒に葬ったのが孫ではなかったなら・・・陸壮殿は、一体誰の死体を渡したと・・・」
「母の死体は確かに母のものだ。でもその子どもは違う。あの日捕まった俺は洛大覚に売られたんだから。」
それまで黙って聞いていた洛寒軒は琴を片付けながら、まるで世間話でもするような軽い口調で風金蘭に自身の過去を話し始めた。
「洛大覚はお稚児趣味で、捕らえた人間を散々拷問したあとで乱暴し、絶望を味あわせてから殺して食べるのが趣味だった。そうやって俺もすぐに殺してくれると思ったんだろう。まさかそいつが俺を気に入り、長くいたぶり続けるために自分に嘘をついてまで生かして手元に置いていたなんてことは奴も計算外だったはずだ。おおよそ母にくっついていたという子供は洛大覚がそうやって殺した子どもの死体だろうな。良く調べれば脳みそが無かったはずだぞ。あいつはそこだけは絶対に自分が食べていた。」
淡々と冷静に、まるで何でもないというような口調で話す洛寒軒の前で、風金蘭と夏炎輝の顔がみるみる青くなっていく。
目の前の若者の悲惨な過去を聞いて、声にならない夏炎輝は洛寒軒に駆け寄るとその身体をぐっと抱きしめた。
「・・・生きていてくれて良かった・・・」
「本当に・・・どこまであいつと同じなんだ、あんたは。」
自分のために目を赤くした夏炎輝の背中をぽんぽんと叩いた洛寒軒はふっと口元を緩ませた。
「風金蘭殿。助けてくれとは言わない。貴女にもこの家にも迷惑はかけない。でも、全てきちんと聞かせてくれないか?一体、仙界で何があったのか。どうして父が死に、楽清が産まれることになったのか。」
自分を見据える洛寒軒の真っすぐな瞳から視線をそらした風金蘭だったが、しばらく間があったのち、彼女はおもむろに歩き始めた。
「今は使っていない東屋があるわ。ついて来て。」
三人は顔を見合わせると、風金蘭の後に着いていった。