「では、三日後に。」
「み、三日もいる?だって今でも・・・」
「まぁ念には念をと言いますでしょ?頼みましたよ、寒軒。」
「ああ。」
去っていく沈栄仁と夏炎輝、朱羅に手を振りながら沈楽清は良かったと一息ついた。
「何が?」
「このまま陽明・・・朱羅といたら、そのうち喧嘩しそうだったんだもん。」
頬を膨らませた沈楽清に、龍王宮でなら好きなだけやっていいぞと洛寒軒は笑う。
部屋の中に入ろうとした沈楽清の身体を腕の中へ捕えると「風呂とは?」とずっと聞きたかったことを問いただす。
白秋陸派に捕らえられて仙界へ戻ってからの事を全て素直に話した沈楽清の前で、洛寒軒の顔がみるみるどす黒くなっていくのに苦笑した沈楽清は、自分を掴む手がどんどん強くなっていく洛寒軒の腕をぽんぽんと優しく叩き返す。
「上書きする?」
「そうさせてもらう。」
沈楽清が洛寒軒へと顔を向けた瞬間、こほんと遠慮がちな咳払いが聞こえ、二人はバッと身体を離した。
二人の視線が、気まずそうに立っている煌びやかな美しい女性に集中する。
「風宗主!すみません・・・その・・・」
「いえ、すみません。作戦の事もありますし、夜に来るのは不躾だとは思ったのですが・・・少しお話がしたくて。」
ついさきほどまでの話し合いの中で、沈楽清がこれからやろうとしている事に一番反対していたのは風金蘭だったが、結局周囲に押し切られる形で話の決着がついてしまった。
やはりまだ不満があったのかなととことん彼女と話し合うため「どうぞ」と東屋の中へと誘おうとした沈楽清に首を振った風金蘭は「こちらへ」とむしろ二人を手招きする。
「お二人に見ていただきたいものがあります。」
俺たち二人に?と顔を見合わせた二人だったが、相手に他意はないと分かっているため、そのまま素直に風金蘭の後に着いていく。
「それにしても蒼霊宮は大きいですね。うちの倍は軽くありそうです。」
「もともと沈家は質実剛健。華美なものや無駄なものを嫌う一族ですし、北領という魔物がよく出る地域ということもあって門弟の希望者も少なく、自ずと抱えている門弟の総数も少ない。当家はそれに比べればただ門弟が多い分だけ屋敷が広いというだけです。」
「ここが広い敷地で助かったけれどな。玄冬宮だったら俺たち全員が隠れて話し合うなんて難しかっただろうから。」
洛寒軒の言葉にまぁねと沈楽清は頷く。
「・・・いつから、と聞いてもよろしいのでしょうか?」
風金蘭の疑問に頷いた沈楽清は洛寒軒とのなれそめを多少作り替えた形で話す。
「さすがは天清神仙。私は予知夢など見たこともありません。」
「予知夢だなんて、そんな・・・」
さすがに従姉の物語を読んだだけですとは言えず、沈楽清は言葉を濁す。
「ではご結婚は?」
「かりそめの式のようなものは一度。兄に衣装を借りました。」
「正式に挙げるなら、全てが終わった後だが・・・まぁ、その辺りは花嫁殿に任せる。」
自分に微笑む洛寒軒にまたゆっくり考えようねと返事をしつつ、沈楽清は風金蘭に彼女の式について質問した。
「私はこの家の長子でしたから儀式続きの式でした。今でこそ後ろに控えることが多いのでこのような格好もしていますが、当時は前線に出る身。なので、女性らしい恰好をするのが嫌で嫌で、私も殿方の婚礼衣装を着て式に出たのですよ。」
「え?そうだったんですか?」
「ええ。それでも夫はそんな私を否定せず愛してくれた。優しい人でした。」
懐かしさに目を細めた風金蘭に、そういえばこの方の旦那様は随分前に亡くなっているんだっけ?と沈楽清は自分の中の記憶を手繰る。
「ご主人はどんな方だったんですか?」
「私の夫は人界でその当時この地域を治めていた王族の出身者でした。私と式を挙げ、数年後に桜蘭が授かった時、自国が滅びると聞きつけて自ら戦に・・・そのまま帰って来ませんでした。」
もともとこの仙界では圧倒的に男性の数が多い。
修行をして仙根を育てて女性仙師となるものも稀にいるが、一般的には生まれたのが女児だった場合、人界で普通の人間として育てて一生を過ごさせる選択をする。
「仙根さえ育たせなければ、私たちは単なる人間ですからね。桜蘭も最初はそう育てる予定でした。天帝の譲位の話さえ出なければ。」
洛寒軒の母親の名前が出て沈楽清はそのまま彼女の言葉に耳を傾ける。
「天帝から譲位の話が出た時にどの家も自分の家の女児を出す事を嫌がりました。当たり前です。いくら名誉なことと言えど、たった一度の天帝との交わりで子を成し、その子の出生と同時に命を落とす役割なのですから。」
「・・・あんたはどうして自分の子を?」
「・・・私が誰も出さない訳にはいかないでしょう?」
洛寒軒の非難めいた声に風金蘭は淡々と感情を押さえた声で吐き捨てる。
「あの子が十五になってすぐでした。急に天帝から呼び出され、婚礼前だからと拒否したのですが、話があるから来てくれの一点張りで・・・数人の供と行かせたのが間違いでした。私もあの時一緒に行っていれば・・・」
風金蘭の声が幽かに揺れ、沈楽清は彼女に近づくとその肩を優しく手を置いた。
その時に何があったのかは知る由もない。
それでもそこで何かが起こり、天帝は妖王・洛一龍になった。
一つ一つは本当に些細なことばかりだった。
しかし積み重なった因果はもうどうしようもないところまで来ている。
改めて沈楽清はもう全てをリセットしなきゃいけないと強く思った。